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「どうしようもない」

唐突ですが、私は泣き虫です。
子どもに向かって言う、いわゆる「泣き虫だな〜お前は」というのとはちょっと違うと思うんだけど、はっきり言ってすぐ泣く。自分の中の感情が昂ってというよりも、泣いている人を見ると、自動的に涙が出てきてしまう。
その人が泣いている背景が全くわからなくても、泣いてしまう。なんでなのとか考える暇もなく気持ちが昂るというか、勝手に体が泣くモードになってしまうのだ。

下手をすると「泣く」とか「泣いた」とかいう文字を読むだけでもううっとくることがあるくらいだ。もうなんなんだか説明もできない。

こんなんだから、息子の保育園の卒園式は大変だった。何が大変かというと、卒園式2〜3ヶ月前くらいから「卒」という字を見ただけでタラーと涙が流れてくるし、卒園式の日を想像し始めようとしただけで、もうどうしようもなく泣き始めてしまうのだ。当日が来るのが本当に恐ろしかった。なんとか気を逸らそう、逸らそうとして、よく素数を小さい方から順に呟いていたりした。

よく泣く人、とか、いろいろなことに敏感な人は「HSP」というらしいが、自分は何となくこれとは違う気がする。泣くこと意外にはまるで鈍感な気がするからだ。繊細さんと呼ばれるHSPであるはずがない。じゃあ、スイッチが押されたようにタラーと流れてしまうこの涙は何なんだろう?涙腺がぶっ壊れてるんじゃない?そういえばうちの母親もしょっちゅう泣く人だった。涙腺に欠陥があって、それが遺伝してんじゃない?

原因を探ったところで、この泣き虫は全く治らないのでどうしようもない。全くどうしようもないのだ。

ああ、そうだ、
私は自分の感情的な解決できない何かについてよく「どうしようもない」という言葉を使う。自分の奥深くに「どうしようもない」の感覚が強く根付いているのかもしれない。
この「どうしようもない」は、とめどなく流れてしまう涙にもなり、わけのわからない詩にもなり、幼い頃から存在するよくわからない喪失感にもなっているのかもしれない。

私は、「どうしようもない」の感覚を、「どうしようもない」ままそこに鎮座させておくのが嫌なのだ。全力で抵抗しているのだ。それが私の「生きている」なのかもしれない。

実はものすごい抵抗感によって自分が生きているのだとしたら、それって小説になりそうだ。書けそうじゃない?まあ、そう簡単ではないだろう。だって、その「どうしようもない」を直視しないといけないことになるだろうから。

でも、いつか挑戦してもいいのでは。
どうかな。どうなのだろう。

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