小さな世界とこどもの宇宙
10歳(小4)の息子が最近、星にハマっている。うちは田舎の、森の中みたいなとこに住んでるから、星空は最高だ。天気がいいと、ぱっと見上げればそこにすぐに天の川が見える。流星群が極大、なんてニュースを見たら、少し見上げていれば必ず見れる。
こんな環境に住んでたら、小さい頃から天体に興味を持つのかなと思いきや、うちの息子は天体にはさっぱり興味をもたずにここまできた。自然は小さな頃から大好きだ。昆虫、海や水辺の生き物、植物、動物、石、今までいろいろなものに興味をもってそれなりにハマってきたが、天体は誘おうが望遠鏡を見せようが、さっぱりだったのだ。
ところが、この夏くらいから突然、星、星、というようになった。最初は星座から。そこで10歳の誕生日に本人専用のジュニア向けの望遠鏡を買ってあげたら、その熱は星座から天体全体へと向かった。学校の理科で月の観察や星を学んだことも影響したのかもしれない。天文台に行きたいと言って仙台の天文台に行き、秋には彗星も見た。そして冬休みのここ数日、夜マイナス気温の中望遠鏡を持ち出して、自宅の庭で空を見上げながらあれこれと観察をしている。木星の縞模様も見た。今は星雲の話に夢中だ。
こどもの興味はいつ始まるのかさっぱりわからない。でも、小さな頃からいろんな種は撒かれていて、それを拾って溜めているんだろうなと思う。うちの子はそれがある日爆発したように大きくなり、そこからしばらく「どハマり期」が続く。
私は天体初心者である。息子に影響されて、息子と一緒にあれこれ見たり調べたりしているうちに、天体への興味も膨らみ、知識も増えた。そんな中、今日は太陽系の恒星や衛星に関わる動画を見ていたときに、なんともいえないものすごい高揚した気分になった。
宇宙のそれぞれは、本当に偶然に偶然を重ねてできたもので、ものすごいスケールでそれが起き続けているということ。ふっ、とそれを実感して、グワっと眩暈のような大きな衝撃が全身を襲った。とにかく、偶然性なのだ。
あらゆることを知っているかのような、決まったような感じの自分の毎日こそが、まやかしなのだ。自分の感情やら、自分の癖やら、自分の考えやら、こういうものだと決まっているかのように過ごしているのがえらく不思議に感じる。もっと、人生はこう、さまざまなことが起きるしランダムだし、うまくいったりいかなかったり、いやそんなことより、もっと驚くほどはちゃめちゃでいいのだ。
飛躍した感覚になっているのは自覚している。だけど今、何年も前に、酔った音楽仲間の友人から言われた「sakebitaryはもっと自由に生きたらいいのに。」という言葉が、また生き返って私にぶつかってきた。
こどもの興味は、宇宙に似ているなと思った。私はけっこう自由に生きていると思う。でもそれは「私の考える」自由であって「私の中の」小さな世界の話。今までに築き上げてきた自分の小さな世界は安全で安心で楽しい。でも、こどもと一緒に、宇宙を見てみたいと思った。宇宙にいたいと思った。飛躍した感覚、上等。飛躍した考え、上等。もっと飛躍してやれ!と思う。
※写真は、紫金山・アトラス彗星を見たときのもの。