シャニアニ1章1話が一番好き
先週シャニアニを鑑賞した後に色々ネタバレありで感想を漁っていましたが、わりと「1話は微妙…」という意見が多くて、個人的に1話がむしろ一番好きだったりしたので、1話のどういうところを良いと感じたかを一感想として残した方がいいと思ったので書きました。
■自分のシャニマスに対するスタンス
まずどういう鑑賞者の意見か?というのを書いた方がいいと思うので少しだけ自分について書きます。ただ自分が1話が良いと思った理由とあまり関連性は無いと思うので飛ばしてもいいです。
自分はシャニマスのサービス開始から今年3月の5thライブまでシャニマスを全イベントやってライブも全通(LVと配信のみですが)していたオタクです。「いた」と過去形なのは色々察して欲しいのですが、アニメの発表のタイミングとか、その後の他ブランドの展開との対比とのアレコレで拗れに拗れてシャニマスを見ているのが辛くなり、これ以上見てると完全にアンチになると思ったので全情報をシャットアウトして離れました。
ですが、別にシャニマスそのものを嫌いになったわけではなかったので心の整理がついたら戻ってこようと思いながら過ごしてきて、ミリアニの先行上映の予告で出てくるシャニアニのPVで動いてる彼女達の姿を見て、「やっぱりこの子達のことが好きだ…」と思い、ライブもゲームのシナリオも今の自分にはキツイけどまだ真乃がアイドルになってない世界線のお話からなら大丈夫そうかな、と思い、これをシャニマスに戻る足掛かりにしようと期待しながらシャニアニの先行公開を初週に見に行きました。
ここから先に書いているのはそういう背景のオタクが感じた内容の話です。なお、基本箱推しですが、特に強く好きなのは甜花ちゃんとまみみとひななです。
■どういうところが良いと思ったのか
本題に移りますが、自分が1話が良いと思ったのは以下理由からです。
①導入のワクワク感
②映像のキラキラ感(これは全話共通ですが)
③多くを語らず映像で感じさせる演出
④初期のイルミネの空気感
詳細は次項から語っていきますが、新しい物語を、今まで見てきたアイドルアニメと違う空気感で始めて、なおかつ既存ファンから見るともはや懐かしい初期のイルミネの姿も見せてくれて「…いいじゃん」って思いながら1話を見ました。
①導入のワクワク感
シャニアニはSpread the wingsの伴奏と共に紡がれる真乃の語りから始まります。
空に何らかの想いを馳せつつも飛びたいとは言わず、だけど何かを期待するような語り。
シャニマスの強みである繊細で儚げだけどどこか前に進もうとする意思を感じるいい出だしだと思いました。こういう語りの表現はシャニマスの演者様達も5年以上ずっと積み重ねてきたので得意とするところだと思うのですが、流石の上手さでした。
先に始まっているミリアニも春日未来ちゃの語りから始まりますが、未来ちゃの元気で「なにかしたい!」っていう幼さゆえのエネルギーを感じる語りと比べて、不安げでもどこか芯のある語りで、シャニマスというのがどういう作品なのかというのを魅せてくるいい語りです。
そして真乃から視点が変わって流れてくる他の子達のまだアイドルになる前の光景。
…いいじゃないですか。よくアニメとかにある「まだ見ぬ強敵達」みたいな感じでそれぞれの個性を感じる印象的な絵を流してきて「何かが始まる」という感じがスゴイしました。一瞬で流れていったのでこの冒頭だけでキャラクターを掴むことは絶対に出来ないとは思いますが、シャニマスの別の強みである絵や構図の美しさも感じられるいい出だしだと思います。TV放送されてサブスクで一時停止して見れるようになったらスクショ画像が出回りそうだなって思いました。
個人的にはまみみの最初期SRオマージュのやつが好きです。あと千雪さんの閉店のやつは単なる閉店なのか雑貨屋をやめるメタファーなのか気になります。多分あそこじっくり見ると色々仕込んでそう。
感想漁っても1話微妙と言っている人もこの最初の導入は悪く無かったと結構言ってて、この入りは間違いなくよいものだと思います。
シャニマスの強みである
・詩的な語り
・絵や構図の美しさ
・異なる背景を持つ「個」
それを短い間にスルっと流してくるいい出だしです。これから先何を見せてくれるのだろうとワクワクさせてくれるものだったと思います。
あと鑑賞時には気付かなかったですが、最初に流れたのがSpread the wingsだというのもよいですね。
………うん、そうだね。
………うん。その通りだよ。
自分は鑑賞時には気付けなかったけど、多分気付けて歌詞が頭に浮かんだ人は冒頭でボロ泣きしている気がする。
あそこやっぱりもう一度見たい。
②映像のキラキラ感
映像も綺麗だと思いました。シャニマスは絵が強みとしてありますが、あの絵をアニメでそのまま動かすのは。ほぼ不可能だと思っていましたが、まぁ綺麗に動く。
何よりキラキラしている。
シャニマスの絵は綺麗だと思いますが、その強みとは何だろうかと考えた時にそれは光の表現の美しさだと思うのです。
世界をやさしく彩るような光、
どこか攻撃的な燃えるような熱さの光、
陽だまりのような穏やかな光、
力強く照らし出す太陽のような光。
今回のアニメ化で出てきていないユニット達も皆印象的な光を共通要素としてもっており、それを絵の中に毎回練りこんでいると思います。Sカードとかでは通常と異なる照らし方をしたりもしています。
シャイニー=輝く
カラーズ=色彩
のブランド名通り、色づいた沢山の光の集合体である世界を描いています。
そうした光の表現というのを手書きで表現するのは至難だと思うのですが、ポリゴンピクチャーさんの3DCGはそれを解決するいい映像になっていたと思います。
むしろCGだからこそどこか光沢がある絵になっていて、絵から光を感じました。光沢といってもメタリックな感じなわけではなく、光の粒子が空間で満ちている感じ。
これが現在公開されている映像の中でわかりやすいのは真乃との出会いの桜をバックにしたシーン。同じセンター赤と桜というシーンはミリアニにも(デレアニにも)あるので比較するするとわかりやすいと思いますが、シャニアニは空間に光が満ちているのが特徴だと思います。
未来ちゃ(と卯月)は自らが光る感じで、桜が舞う中、にっこりと笑っています。彼女達の輝きは、彼女達自身の中からアイドルとしてステージに立つ前から溢れています。ニコニコ動画のコメント見ればわかる通りわりと多くの人が春日未来に光を見ています。
それに対して真乃は決して笑っていません。どこか戸惑うようなそんな表情をしています。多分シャニアニがニコニコ動画で配信されても、この時の真乃に対して「真乃は光」というコメントはつかないでしょう。
だけど彼女のいる空間は輝いています。
とんでもない美人だったりマユリ様みたいに偉大だからキラキラしているわけではありません。桜木真乃はそういう子ではありません。彼女のいる空間が輝いているのは、彼女の視線が捉えている世界の残滓を我々も見ているからです。
空を見上げながら何かを想って歌っていた彼女の内的世界が、Pに声を掛けられたことで途切れ、残光を纏いながら振り返ったあの瞬間をよく切り取れたと思います。口に出せば陳腐になるあの美しさをよく映像で表現しています。ポリゴンピクチャーズさん天才か?
私はあまりアニメを見るオタクでは無いのでもしかすると他にも出来る表現方法があったりするかもしれませんが、あの仄かなキラキラ感を伴って絵を動かすのは自分が見たことのある手書きアニメだとほぼ無理のように感じました。
Q)シャイニーカラーズのアニメは何故3DCGなのか?
A)ポリゴンピクチャーズさんの3DCGじゃないとこの絵を撮れなかったから。
めちゃくちゃわかりやすい回答を言外に1話Aパートで見せつけてきて「へぇ…?」となりました。
いいよ、いいよ。こういう狂的な執念大好きだよ。
完璧ではないのはわかります。ところどころCGを意識してしまうカットがあり、それがノイズになって没入感を削いでいるようには感じました。ですが、あの輝く空間を表現できるならおつりが来ると自分は思いました。
★③多くを語らず映像で感じさせる演出
他の方達の感想を見ている限りここが自分と印象の差を感じさせている点のような気がするのですが、ここが自分が一番1話を好きな理由です。
シャニアニ第1章の感想を見てて一番目にした感想が「説明不足」というものだと思います。
それはわかります。先ほど②で書いたような櫻木真乃の輝きについて初めてシャイニーカラーズを知る人が感じ取れたしたらその人の感受性が豊かなだけで万人が汲み取れるような内容だとは思えません。
他にも
・主人公っぽい真乃はどういう子なのか?
・真乃は何故冒頭で公園の方を見たのか?
・何故Pは灯織とめぐるの二人ユニットでは足りないと思ったのか?
・何故Pは真乃に声をかけたのか?
・最初断った真乃が何故その後考えを変えたのか?
・他の子達はなんなのか?冒頭の映像とどう繋がっているのか?
等々、わからないことだらけです。
「説明不足」
その通りです。私もそう思います。
でも1話の説明不足は私は決してそれ自体としては悪いわけではないと思うのです。
少し話は逸れますが皆様はミニシアター系邦画とかを好んで観たりしますでしょうか?ハリウッドとか話題作みたいな映画と異なり、低予算だったり色々な制約がある代わりに創意工夫により見たこと無い表現があったり、監督の圧倒的な「癖」が感じられたり私は映画マニアというわけではありませんが結構好きだったりするのですが、そうしたミニシアター系邦画の大部分の作品に見られる共通項として「開始30分ぐらいはまったく意味がわからないor地味な映像が垂れ流されている」というのがあるかと思います。良くも悪くも大衆エンタメとして分かりやすく作られている大作と違って、ミニシアター系は最終的に見せたいテーマに向けての世界観づくりをしているためなのか大抵冒頭はわけがわかりません。特に独特な世界観を持った作品だと猶更です。
割と最初から色々キャラが濃くて面白過ぎるので例が悪いかもしれませんがミニシアター系邦画で大ヒットした「カメラを止めるな」も開始30分見ただけだと????となる人が多かったと思います。何がそんなに話題になるほど面白いの?と。
ですがその意味不明さはたいてい話が進み、世界に対する理解が深まると少しずつ理由が見えてきます。違和感があった行動の理由、感情の動機、そういったものが少しずつ輪郭を伴って見えてきて、「アレはもしかしてそういうことなの!?」となる。それがとても楽しい。
最終的に説明のつかない事象もよくあります。でもそれについてぐにぐに考察したり、人の考えをみたり、自分の意見を言ってみたり。この喜びはきっと多くの人が知っている喜びです。
シャニアニの話に戻りますが私が一話を見てた時に感じた感情は、そうしたミニシアター系邦画の冒頭を見ている時の感情でした。とはいってもなんだかよくわからないというわけではなく、
冒頭の各メンバーの映像、ふわりと降りてくる羽根、象徴的に映し出されている空模様、クラスメートとの距離感、山道を登っていく動作、花の蕾と開花、櫻木真乃周辺の光の表現、シャニマス本編の真乃WINGシナリオでは描写されてない名刺渡された後の真乃の行動、アンティーカのライブを見た時の真乃の反応、等々
そうした様々な種が見える、最初よく意味がわからなかったけど面白かった映画を2度目に見に行った時のような感情。それを1話を見ている時に感じていました。
これは自分がシャニマスを知っているから色々読み取れるところがあるだけなのはわかりますが、初見の人でも後で読み返せば「シャニマスはこういう作品か!」とわかる情報を盛り盛りに練りこんでありました。説明不足どころか情報過多なぐらいです。
明確な答えを描かないことでどこまでも広がっていく十人十色の混ざり合う世界。その中で自分の目で、手で、見て、感じた、素晴らしい何かを描き出すこと。Dye the Skyでも歌われているようにそれがシャイニーカラーズの色なのだと思います。
だから私は1話の「説明不足」は嫌いじゃないです。説明不足は知りたいと思う原動力です。
わからないから知りたいのです。
知れると嬉しいのです。
世界が広がるから。
出来ないと思っていたことに可能性が見えるから。
何故真乃は最初断ったスカウトを次に受けたのか?
色々説明不足でわからないと上の方で書きましたが、仮にシャニマスをまったく知らなくても1話だけでも結構読み取れる情報が多いです。例えば「何故真乃は最初断ったスカウトを次に受けたのか?」
シャニアニは冒頭からずっと「空」を印象付ける絵を使っていました。そしてキーアイテムのように提示されていた「羽」。ここから「空」というものがなんらかの意図をもって描かれているというのは比較的多くの人が勘づくと思います。
その空が最初は雨模様で描かれていました。暗く、先が見通せないそんな印象の空。クラスメートに声をかけられても挨拶するだけで一緒に帰ることもなく、一人で歩き、公園の方に目を向けるが向かうことはしないどこか弱弱しい少女。
この辺りの映像からこの物語の登場人物の真乃という少女が何らかの閉塞感を感じていることは初見の人でもモノローグ無しでわかると思います。
その彼女が最初にスカウトされるシーン。真乃の歌声を聞いたPが最初に見るのは彼女の後姿です。ベンチに座って桜が舞う中、「澄み渡る空を見上げて」。
これは見事だと思いました。シャニマス本編では描かれなかった、ライブ2Dでコミュを動かしている特性上描くことが出来なかった、アイドルになる前の櫻木真乃の形にならない願い。
その前にあった雨模様の公園を見つめていた真乃のシーンも含めて、櫻木真乃の空に対する強烈な憧憬を描いています。これはシャニマス本編ですらまだ描いていない原初の櫻木真乃の姿です。
真乃が具体的に何を願っていたのかはわかりません。ですが櫻木真乃という少女がどこか違う場所に行きたいと思いつつも踏み出せない状態にあることがわかるように描かれています。
そしてPから名刺を貰った後に揺れる視線。自分にアイドルなんて無理だと断りながらも、明らかに揺れている心情。その後、自室で描かれた眠れずにもらった名刺に想いを馳せる姿。
一切台詞での誘導はありませんでしたが、映像で「櫻木真乃の動機」というのをわりと意識的かつ明確に打ち出していたと思います。
「1話は説明不足」。そう言われる理由もわかりますし、そう多くの人が感じることになってしまった私が考える要因についてもこの後に語りますが、「説明」とは違うかもしれませんが、1話の中で言葉以外のものでたくさんの物事を語ろうとしていたように自分には思えました。
なぜ1話は説明不足と言われるのか?
とまぁ、長々と書いてきましたが正直な意見として1話は説明不足です。少なくとも先行上映で初めてシャニマスに触れる人が1話を見て薄味に感じるのはそれはそうです。
理由はいくつかあると思いますが、多分一番大きいのは2話でいきなり全然違う話、雰囲気の世界にワープするからです。
上の項で「シャニアニはミニシアター系邦画の冒頭を見ている時の感情」と書きました。それは本当にそう感じたんですが、そういう映画と全然違う要素としてシャニアニはTVの放送を前提としたアニメであり、映画館で上映されているとはいえ決して映画のように2~3時間で話を収める作りになっていないというものがあります。
映画であれば世界観理解のための淡々としたパートの後に同じ世界観の話が続いて、世界をどう鑑賞すべきかという心構えが出来、それによりその後の話に没入出来たり、前に見た情報を反芻して「あぁ、なるほどそういうことか」と思えるのですが、シャニアニ先行上映は1話の後に短いED映像が流れた後すぐ2話が始まります。で、その2話が1話の話の流れと全然違うところから始まります。1話の時点で感じていた疑問点などが解消されないまま、まったく別の空気感の新情報がたくさん詰まった話が始まるのです。そんなの消化出来るわけありません。素材の味を大事にする丁寧に作られた和食を食べた直後に本場の激辛四川料理の満漢全席を流し込まれたようなものです。1話の味なんて覚えていられません。
これは多分TV放送だったら結構違ったと思います。1話が終わり「なんだかよくわからないなぁ」と思いつつも自分の中で咀嚼したり、SNS等から流れてくる感想や考察を眺め「あぁ、なるほどそういうことか!」と2話が始まる前に情報の消化が出来たはずです。ミリアニのようにシャニマスこぼれ話みたいなのを公式がやって、情報の補足もきっと行われるでしょう。けど、先行上映では1話の情報の咀嚼する前に次々と違う空気感を持つ話が始まります。そうなるとよりわかりやすい2話等の情報を普通は先に咀嚼します。読み取ろうとしなければわからない1話の情報は忘れられてしまいます。
それに対する苦肉の作として各話数の後にEDと前回のあらすじを入れているのではないかと思うのですが、EDでも新規カットとか流れてくるのであまり情報消化タイムになっていない気がします。
4話が評価されているのも恐らくこの情報咀嚼に対する下準備がしっかりしていたからで、1話から小出しにされていた情報があるため、4話内で出てくる情報が汲み取りやすいのです。対して1話はどんな物語になるか誰もわかってない状態で始まります。そんな中で、言葉を使わず映像で語るタイプの展開をされたので理解し辛いのだと思います。しかも2話ではインパクトが強い展開が続きます。そうしたら「1話は味付けし忘れたのかな」となるのは必然ではないかと。後味を味わう余韻をくれ。
後はシャニアニが「アニメである」ということも結構影響しているような気がします。アニメの1話は基本的に世界感を理解させてインパクトを残すために色んな演出を仕込むのが普通です。特にアイドルアニメだと曲のMV等を流すことで興味を引かせることがほとんどだと思います。
ですが、シャニアニ1話は言語外の表現に注力していて圧倒的インパクトのある表現が少ない。曲MVはあるにはありますが恐らく1話Bパートになるアンティーカのステージがチラリと映る程度で印象に残りづらいです。個人的には上にも書いた冒頭の語りとか真乃が振り返るときに世界が煌めく瞬間がすごく好きだったりしたのですが、インパクトという面では弱い。視聴者がもっている「アニメ1話とはこういうものだ」という思考の枠組を壊し切るには足りなかったのだと思います。
シャイニーカラーズという作品は「再定義」を一つのテーマにしているように感じています。「アイドルとはなんなのか?」「失われていくものの意味とは?」「夢とか憧れって本当にキレイなだけなのか?」。「そういうものだろう」という風に多くの人が考えるであろうことに視線を向けて、流れ去っていくたくさんの物事の中に埋もれて消えてしまう「なにか」を掬い上げ、新たな意味を与える。そういう作品だと自分は捉えています。
そうした作品がアニメ化するにあたって「アニメとはなんなのか?」という問いかけはあったのではないかと思います。1章の時点でその答えはまだ示されていないと私は思いますが、でもなんとなく感じたのは「アニメとは映像表現である」というような意思はあるのではないかと感じました。だからアニメというより邦画のような空気感になったんじゃないかと。1話はそれを示すためにアニメ的なわかりやすさは控えて、言葉でなく映像で物語を示すような形にしたような気がします。ただ、それは連続して2話、3話と流れていく今回の先行上映の形では、情報を咀嚼する時間が足りずに消化不良を起こしている印象です。
「説明不足」はその通り。でも多分1話はあえて言葉による説明を省いています。そしてそれはシャニマスをまったく知らない人でもわかるように丁寧に配置されているように自分は感じました。ただ、この先行上映では消化する時間が足りない。そういうことなのではないかと思っています。
④初期のイルミネの空気感
だいたい言いたいことは③で書いたのでこれは完全に既存シャニマスユーザーしかわからない感情のやつですが、
初期イルミネ!!!!
もう…ね!!!!
風野「さん」
櫻木「さん」
八宮「さん」
はぁ!!!!!距離感!!!!何その呼び方!
よいね!!!!
特に灯織!全然ひおひおしてない!!!もはや誰!?ってレベル!そういえば貴方は初期そんな感じだったね!!!ミリシタでかつて狂犬と呼ばれた千早がエタハモで「きゃん♡」ってやってたのを見たときみたいな感情。
いやぁ…早くレンチン(※)しろ…
※レンチン/レンジでチン!(区分:ファン用語)
2019年3月開催のシナリオイベントPiCNiC BASKET!における凍り鬼のローカルルール。鬼に捕まった人を、まだ捕まっていない2人が抱きつき「レンジでチン!」と宣言することで解放できるというもの。頭がおかしいカプ厨が考えそうな頭がおかしい遊びだけどこれは公式。はーん?
あんな澄ましたいかにも「私はクールです」みたいな態度取っちゃってさ、内心はひおひおしている癖に。ふふ…ふふふ…
この頃の灯織の映像を肴に、今のイルミネ三人で鑑賞会したいね。そんなコミュあった気がする。
1話じゃないけど4話のあのセリフもよかったよね。とても嫌な笑顔になった。
あと、めぐるは光だね。最初っから大好きオーラ全開で真乃に挨拶しちゃってさ。太陽か?流石HAREBAREを歌うだけあるよ。
………ただまぁ、そのめぐるをもってしても灯織と二人だけの時はまだ苗字呼びの壁を超えることが出来なかったというのはとても気になる。この辺りが夏目Pが「灯織とめぐるの二人だけではなにか足りない」と思ったことに対するヒントだったりするのだとは思います。1話Bパートは初期灯織があまりにも初期灯織でそっちばっかり見ちゃっててめぐるの動きにあまり着目してなかったけどもしかすると良く見ると色々読み取れたかもしれない。
めぐるは太陽みたいと上で少し書きましたけど、めぐるは何の傷を無い光ではないと思います。みんな大好きチエルアルコ等でも示されているように、陰を知る光です。痛みを知り、交わることの恐れを知り、それでも手を伸ばし、人を照らす、そういう光です。ゆえに最初期の灯織に対して踏み込めなかった可能性があります。
最初期の灯織のあの鋭さは別にクールぶっているわけでも人見知りしているわけでもなく、ただただ尋常じゃなく不器用だから出ている味です。しかもそれを自覚していて、やさしい子であるが故に自分が他人にとって迷惑かもしれないと距離を置いてしまう。それは踏み込んで欲しくないと捉えられてもおかしくない態度となります。
真乃との対面の時に、めぐるは身体全身で向き合ってたのに、灯織は半身で、めぐると距離ある感じだったのも、あの時の2人の関係の不完全さを示す構図だとは思います。めぐるは灯織と二人きりの時にはまだ踏み込めなかったんです。彼女は望まれていないのに踏み込まれることの痛みを知っているから。
お互いを名字ではなく下の名前で呼ぶシーン。めぐるが最初に踏み込んだのは真乃だったかと思います。元々いっしょにレッスンしていた灯織でなくて真乃が最初。それがあの時のひおめぐの距離感。めぐるが灯織に踏み込んだ時も「迷惑だったら大丈夫だよ」という顔をしていました。
イルミネで不器用といえば灯織なんですけど、めぐるもめぐるで大概だと思うんですよね…。明るく元気でイルミネが完成してからは零距離みたいな動きをしてくるから忘れがちだけど、八宮めぐるは自分が望まれない場所には踏み込めない。人との距離を冷静に見計らっている。
けど櫻木真乃は踏み込める。
というより踏み込んだ結果でアイドルになった。
Pにスカウトされたから「望まれたからアイドルになった」ようにも見えますが、彼女は最初スカウトを断っているんです。その上で考えて自らの足で公園に再度向かい、アイドルという世界に足を踏み入れた。
一人で空に想いを馳せていた彼女は強いんです。その淡いやさしげな見た目とは裏腹に櫻木真乃はどこまでも強い。泣きもする。怯えもする。躊躇いもする。だけど彼女の中にある淡い憧れは止まらない。震えながらも前に進む。その一歩が世界を輝かせると知ったから。
下の名前で呼ぶシーン、めぐるが遠慮がちに灯織に踏み込むのに対して、真乃はやんわり笑って踏み込むんですよね…。踏み込むというより優しく包み込むみたいに。
「何故Pは灯織とめぐるの二人ユニットでは足りないと思ったのか?」
「何故Pは真乃に声をかけたのか?」
夏目Pは多分灯織とめぐるの距離感に気付いていたんだと思うんですよね。二人の不器用さにも。ゆえにその距離を埋められる何かを求めていた。二人を繋いで、一緒に彩れる何かを。
それが櫻木真乃だった。儚げだけど、どこか強い彼女が必要だった。不器用だけどやさしい二人と共に歩める、仄かだけど強い光が必要だった。
シャニアニ第1話、イルミネの結成回。多分描かれていたのはそういう話。
うぅ…初期ミネ…
※これは1話とは別の話ですけど、第2章予告に銀曜日のカットが入ったので、このイルミネの距離感の話はきっと触れられて補間されるのはほぼ確実だと思っています。
■まとめ
はい。という感じで自分がシャニアニの1話を見ていた時に感じたり思ったりしたあれこれについて書きました。
1話薄くないと思うんです。むしろ1番情報量多いまである。ただ出てくる情報をゆっくり咀嚼出来る時間が無い。自分も「いいじゃん…」って咀嚼している間に全然話が変わった2話が始まって「ええ…」となったし。
情報を精査する時間が足りないのが多分印象を落としていると思うので、TV放送の時の方が1話は評価されそうな気がします。けどそれにはまだだいぶ時間がありますし、その間自分が好きだと思った話がわりと低評価されているのが嫌だったのでちょっとても1話の良さが伝わって欲しくてこのnoteを書きました。これは深読みオタクの妄想に近い見解なのかもしれませんけど、それでも「一話いいじゃん…」って思ってくれる人が一人でも増えてくれれば幸いです。
読んでいただいてありがとうございました。
※この記事は1話にしか基本触れないつもりで、他の話数のことになるので詳細は語りませんが、3話のあの雑誌は、まぁ、えぇ、怖いですね。気づいた瞬間「ぞわっ」ってなってその後3話にあまり集中出来なかったのが悔やまれます。やるのかシャ二アニ…。わからないけどミリアニで「それやるの!?」と色んな恐怖を見せてきて、シャニアニ1話でも尋常じゃない仕込みを入れている加藤さんならやるかも知れないという嫌な信頼がある。なんとなくWING篇というところが親和性ありそうな気がするし。2章で越境して味付けして3章でやってくる可能性はありそうな気がするのですよね…。怖い、怖い。饅頭怖い。
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