見出し画像

パーフェクトデイズ・欲望のない好奇心

映画「パーフェクトデイズ」ようやく見ることができた。無料配信はじまったおかげで。

個人的にとても共感できる内容で、始まりから終わりまで吸い込まれるように見終わった。配役や筋書きについてはもう皆さんよくご存知だろうからとくに触れないが、役所広司の平山についてはとにかく無口でほとんどセリフはなく、眼のちからと表情、そして脳内のイメージ絵で展開する構成は新鮮だった。

平山は好奇心旺盛で、ちょっとした日常の発見に敏感。彼は自然や社会からネガティブなものをいっさい受け取らない心のフィルターのようなものを子供の頃から持ち続けていて、良い感情・爽やかな光景だけが彼の目を通して心に入ってくる。そのおかげでどのような悪い環境においても、かたすみに潜むひとしずくの「幸せ」を濾しとって感じることができるという、とても幸運な人間。言葉を換えれば「天使」のような感性の持ち主ともいえる。

人間にとって、そもそも好奇心の旺盛さは「欲望」ととても相性がよい。ひとは好奇心ゆえにさまざまな発明・発見や創造を達成していくのであるが、その行動の目的あるいはエネルギーの源泉はいわば欲望によって支えられている面が大きいと思う。欲望といっても他人を傷つけるようなドロドロとした闘争ではなくて、「世間から認められたい」「プロとして食っていきたい」といったシンプルでピュアでポジティブな心のありようであって、クリエーター、ビジネスマン、学者など、個人の才覚で生きていく分野では、むしろある程度の欲望は必須のものだと思う。

ところが平山にはこの「欲望」がまったくといっていいほど欠落している。「欲望のない好奇心」それが平山だ。子供が昆虫採集や電車に夢中になるのと同じような心のまま年齢を重ねた人生であり、ほんらいなら世間からははじきだされてしまう人格形成だ。通常の人間であれば阻害され蝕まれ苛まれ、やがては自らを放棄してしまう末路である。ところが平山はそれをいっこうに気にしないどころか、はじきだされたという悲壮感を感じることすらなく、淡々と日常の発見に心を洗われ続けていくのである。年齢を重ねるごとに彼の精神の浄化は進んでいくのだ。その源は公園の樹木であり、幼児の笑顔であり、朝日の爽快さである。

なにげない日常を「パーフェクト」なものとして生きるには、本人はパーフェクトでないほうがいい、むしろ人間としての営みに必須な能力が欠落したような人格でなければ、この歪んだ世の中を「パーフェクト」としてとらえることなど不可能なのだ。というのが本作の命題といえる。

平山のようになれるかといえば難しいし、なったところで食っていけないのでは無理な選択なのであるが、わたしには大いに共感できるものがある。爽やかな作品であった。

個人的には、彼の生活圏の背景はどこも馴染みのものであったことが愉しかった。東武浅草駅地下のやきそば屋「ふくちゃん」、渋谷の各所にある公園、首都高速道路。街角の光景はすべて心当たりのある景色ばかりだ。そして音楽はまたどれも昔から聞き馴染んだ70年代のポップスとロック。「青い魚」は新発見だった。山崎ハコ版の「朝日のあたる家」をあがた森魚のギター伴奏でうたう石川さゆりは素敵だった。

ヴィムヴェンダース監督にひとつ注文があるとすれば、首都高速の東西の位置関係がでたらめであること。墨田区から渋谷区までの通勤ルートはああじゃない。

いいなと思ったら応援しよう!