毒親から逃げるまで(未就園前まで その2)②

思い出しながらの為、間が空きながらになってしまっています。

場合によっては時系列が前後する事もありますので、ご了承ください。


この頃の楽しみですが、母方祖父母が隣県から遊びに来る事でした。

祖母はその後体を壊して来れなくなってしまった事、もっといろいろ一緒にやりたかったなというのが今の心残りです。

幼稚園に入るまではよく来てくれていました。

帰る時には大泣き、そのままくっついて祖父母の家に1~2ヵ月滞在という事もありました。毒はつわりがひどかった事もあり、そのまま預けっぱなしになっていたのもあります。

よく「ジジババっ子は三文安」とか言われますが、逆にあの毒に性格が似なかったのは祖父母の影響が大きいんじゃないかと今でも思います。

祖父母宅近くには親戚が固まって住んでいて、従兄妹達とよく遊んでいました。別に字の練習もさせられない、見るテレビも制限されませんでした(今でも続く某国営放送の大人気幼児番組ですら見せて貰えませんでした)。

田んぼを走り回り、虫を素手で捕まえたりと、幼稚園入園前はこんな感じでした。

ある日突然父親が迎えに来る、これが凄く嫌でした。遊ぶ相手にも不自由しない、何も言われない(まぁ、悪い事したら躾の範疇で怒られたりはありましたが、納得できるものでした。もちろん年上の従兄妹から色々教わる事も多かったです)。男の子しか生まれない親族がいまして、その叔父・叔母は本当にかわいがってくれました。ホントに天国そのものから、また日中毒と一緒(この未就園児期に弟が生まれています)で、弟優先の生活。

この後幼稚園児の時期になると、弟との問題もあり、当時幼児だった自分には逃げ場がなくて、従うしかない生活が続きます。

帰宅した後の楽しみは毎月1回発売されていた幼児雑誌でした。

付録が今と違って自分で組み立てるタイプのペーパークラフトで、これを作るのが大好きで、毎月発売日を楽しみにしていました。

作れる頃になると弟がいて、まず邪魔をする。はさみとか危ないもの使ってる訳だし、「一緒に作りたいだけだから仲良くね!」とだけ。

まだ1歳にもなってない子が作れるか?

出来上がる前に壊してボロボロにして、喧嘩というか私が突き飛ばす(まぁ、幼児期の事ですので)。

当然毒に言われるこの言葉

「大きいんだから我慢しなさい!」

慰めるでもなくこれだけです。

私が全て悪い。弟を完全に受け入れない私が悪いと説教されました。時には勿論暴力のオプション付きです。

ちょっと幼稚園入ってからにもなりますが、相変わらず壊されるので喧嘩。

遂には手の届かないところに置いておくのが悪い!と言われたので、手の届かない所に置いて登園。帰宅後ボロボロ(歯形でバレる)で喧嘩、また無限ループへ突入という状態でした。それもあって弟はいらないと散々この頃から言って殴られでしたね。

それこそ祖父母宅に滞在中に発売日が来ると、祖父母が買ってくれて、一緒に工作してくれたり、次来る時までまた遊ぶからと残しておいてくれたりもしました。従兄妹達も私のだからと知っていて手を出さずにいたという事でした。本当に嬉しかったのは覚えてます。

…と、いうかまともに二人面倒見られないのによく産んだなと私は思いましたよ。大人になってから。弟の件では習い事やら幼稚園、小学校でかなり迷惑掛けていたのは事実です。今やったらネット上で毒が叩かれかねないような内容ですね。

年齢が上がる毎に姉弟差別はあからさまになっていきました。


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