毒親から逃げるまで (園児編その4)⑤

間が空いてしまいましたが、園児編はここまでになります。
自分でも過去に決着を付ける為、向き合って書いている為、間隔がどうしても空いてしまいます。
読んでくださっている方がいるとは思えないので、あくまでも自分の「記録」にしています。

年長になると、クラス数が1クラスに減る。
と、いうのも超小規模園の上、本来の3年保育と2年保育が同じクラスの園で、1/3は3年保育の為残留する為人数が減る。
このクラスになってから小6までずっと同じクラスだったAちゃんと出会う。あの頃は毎日遊んでいた。

…しかし毒はAちゃんが一人っ子というのが気に食わず、遊ぶな!と酷かった。
そう、友達の選別を始めたのだ。

ちょっとだけうちのチビの話になるが、比較的大人しい事もあり、突っかかって来られる事も小さい頃からあった。私は自分の事もあったし、言える事として
「友達は自分を良くも悪くもする事がある。だから、本当に仲良くしたいと思う人は大事にしなさい。」
と。
既に成人済ですが、うちのチビの友達を振り返ると明らかに悪いという子はいなかった。
まぁ、勝手に自滅する子はいたが、あれは自己責任の範囲だったし。
そういう子達は今でも繋がっているが、転校をしている事もあって、最後に通った中学校以降の子達は今でも時折遊んだり連絡取り合ったりしている。

勿論だがチビの友達には一人っ子も多数いるし、チビ自体も一人っ子。
毒に言わせれば世の中の一人っ子は全て悪という判断。

幼稚園から帰れば、今日は誰と遊んだの?から始まり、何したのかまで根掘り葉掘り聞かれ、答えられないと逆上&鉄拳制裁。
小学校へ行き、国語の問題で主人公が夕方まで遊んで楽しい気持ちで家に帰ったみたいな文章がよく問題文にあったけど、これが全く理解出来なかった。
出来たのはつい2,3年前と

いうレベル(これはいつか書けたら書きます)。
この時はやっと小さかった自分に答えが出たよ!と教えてあげたい気分だった。

家に帰ってもネチネチしつこく聞かれる、答えないとキレ散らかす毒には嫌とも言えないし、それこそ世間の親ってどこもこうやってしつこく聞いてキレるもんだと子供の頃は思っていた。

だからだけど、国語の文章題でお母さんが遊んで帰った後は美味しい夕飯作って待っていてくれる、僕が食べるのをにこにこしながら見ているなんてのが出てきた時はありえない!と思った程だった。

これは本当に一部分だけだか、毒は私の行動を1から10まで全部知らないと気が済まない、言わないという選択肢は奴の中でゼロだった訳だ。


月日は流れ年長に。
ここで爆弾発言をされる。
来年から小学校だから、更に厳しくすると。
当時は大人しく聞くしかなかった。
遊びに行って約束の5時を1分でも過ぎると殴られた。
弟が邪魔して拒否すると、私が我慢しないのがいけないと殴られた。
後、自分の気持ちを出せなくなっていたのはこの頃からだったと思う。
例えばクリスマスにサンタさんに何頼むの?とか、大きくなったら何になりたいの?みたいな小さい子への定番質問。
正直に話すと隣近所みんな知っている状態。
もう話せないとなって、何も答えられなくなっていた。
実際に高校卒業後の進路決定でかなり苦労した。
また言ったらあちこちに触れ回られるんじばないかと。その頃には私の学年の親とは疎遠になっていたので(あんな性格なんで、相手にされなくなったと推測)、今思えばそんなに心配しなくても良かったのでは?という感じでした。

この1年は本当に色々詰め込まれて、何してたか覚えていない位なんです。
怒鳴られ、怒られ、ネチネチやられるの繰り返し。家にいる間は。
幼稚園に来てる時に副園長先生の所に遊びに行って、よく飛ぶ紙飛行機の作り方を教えて貰って遊んでいた位しか記憶に無いんです。

後はやはり思った事が言えない、声に出せないという弊害から、劇で準主役級の役になったにも関わらず、人前で話せなくなってしまい、役交代になり、毒が大激怒した事しか記憶に無いんです。
多分かれこれン10年経過しているのもあって、記憶が薄れてきているのか、毒と離れて今まで経験出来なかった楽しい事がきっと上書きされて、少しづつ辛かった事の記憶が消えて来ているんだろうなと最近では思っています。

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