毒親から逃げるまで(未就園前まで その1)①

子供はよく大きくなると巣立って行くと、鳥に例えられる今がある。
もし、巣立ちをする為の羽根を全て毟られ、折られたらどうしますか?

私が出した答えはダチョウになる事。
飛べなくたっていいじゃないか!
別な部位鍛えれば!
でした。
ダチョウは飛べない鳥。
だけど走るのは早い。
逃げ足鍛えればどうにかなるんじゃないか?
その逃げ足を鍛えるまでの話です。

私は機会を伺い、もしかしたら他の方法があるのでは?と模索しました。
中には途中で殺される子、反発して非行に走る子もいるでしょう。どちらにせよ私にはそのような勇気がありませんでした。

私自身首都圏に近い場所で父母弟という家族構成で育ちました。
今回は弟が生まれる前までの話になります。

事柄別にまとめようと思っているのと、私の記憶を掘り返してになってくるので、話が前後する事、所々フェイクは入れてあります。ご了承ください。

外面だけはパーフェクト!と言ってやりたい親でした。
主に教育虐待から来る暴力、暴言が主で他には私の行動等気に食わないとすぐに不条理な文句(ほぼ暴言)が飛んでくる人でした。
よくある、アル中とか親の不貞とか、ネグレクトはなかったです。
だからというのもありますが、表面上は問題がないと思われていて、むしろ私が悪者になるケースが多かったです。
それにいち早く気がついていたのは、毒母のすぐ上の兄夫婦でした。悟られないように、それとなく話を聞いていてくれて、逃げる時も手助けして貰いました。年間何回も会える人達ではなかったのですが、毒母の性格を知っていたのもあって、気にはしていてくれた事に感謝しています。


一番古い記憶になります。
やられた事の中ではになります。

弟妊娠中の事だったような記憶あります。
多分2,3歳の頃だと思います。
幼稚園に入る前に完璧にすると文字の練習を毎日何時間もさせられました。
お陰で平仮名、カタカナは入園前には完璧に読めていたのですが、大問題は書く事。
この毒母は書道が趣味で、文字をただ書く事だけは大好き。
この趣味のお陰で広告の裏程度ならともかく、私が使っている文具に油性ペンで落書き(学校に毎日持って行っている物にです)、友達から借りた本に落書き(本人はあくまで文字の練習をしただけと言い張ります)され、自分の小遣いから弁償した事すらありました(これはまた後日にでも)。

その位自信があるからでしょうか。
まだ幼稚園入る前の子に、お手本と同じ字を書くように強要。
自分でも子育てしてきたからわかりますが、まだまともに鉛筆持てる年齢でもない事、まだまだ運筆の練習が必要な時期です。

当然お手本のように書ける訳がなく、練習時間が延び、毒のイライラが増えて、最後は練習帳でボコボコになるまで殴られ、もう知らない!と見捨てる発言をしてふて寝。
ここまでがルーティーンでした。

私はただただ泣き叫んでごめんなさい!ごめんなさい!と叫んでいた記憶があります。

これは文字の練習だけではありません。
ある時は計算とかもさせられていました。

この手の練習は父親がいない時間帯に行われていました。
多分今でも殴られながら練習させられていたのは知らないはずです。

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