今は旅の最中、ちょうど雫石を発ったところである。雫石といえば、全日空機と自衛隊機との衝突に端を発する墜落事故と、その墜落機体・乗客が降り注いだ地点の一つにある慰霊の森が有名である……のは周知のことだろう。
その地を通りながら、空はようよう暗くなり、山際はより一層克明な黒い影として地平を縁取っている。

東北を走る列車の車窓を眺めていると、度々自己の内面を見つめている自分を発見する。景色を媒介として、それが自己探索の誘因となり、あてのない思考がつらつらと連なる。
最近の思考の成果としては、「自分の性癖は肉体と精神の相克に行き着く」という成果が挙げられる。これは自分にとってはようやく辿り着いた答えとして感慨も一入なのである。つまり、「対象の肉体と精神が等置されている状態では自分の中でのオーガズムには到達できず、対象の精神が一種の虚脱状態に置かれていることでこちらは初めて土俵に立てる」という射精理論が確立したということだ。
こんなことを書いていたら盛岡駅に到着したので、気が向いたら射精理論についても追記してみたい。

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