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仕事の価値について「悩ましいな」と感じたけれども、一応これが「解」かな?と思っています。結構いろいろ考えたのでシェア。

おはようございます。タイトル画像とタイトルの運用がイマイチですが、徐々に安定させていきます。

今日は、十人十色なんだけど、この解釈でどうでしょうという話を書きたいと思います。それは、「仕事の価値」ってなんですか?という話です。
僕もがっつりアラフィフなので、30年は言い過ぎだけど、25年以上はちゃんと働いていて、その過程ではいろいろ悩んだりしたこともあったのですが、価値の創出のわかりにくい内部監査やリスク管理での仕事が主でしたので、いろいろと悩んでというかモヤモヤして生きてきました。ま、こうだよねという自己解釈で心を安定させ続けていますので、一つの考え方を共有できればと思います。

価値の創出のわかりやすさに違いはある

例えば、エンジニアのように「生み出す仕事」を担当していると、自分の仕事を通じて創出される価値が、サービスやらプロダクトやらになり、目に見えます。そしてその「生み出したもの」に価値があるかどうかは、売れるかどうかで明確にわかります。

次に営業・マーケティングの仕事は、売り上げという形で数字でしっかりと仕事の成果が見えます。僕もファーストキャリアは営業でしたので、当時は若かったということもありますが、一番迷いなく働けていました。

ちょっとわかりにくいのが、バックオフィス業務です。

バックオフィスの業務をやる人がいなければ、働く場所の確保から請求処理、経理、納税、契約書処理やら全部自分でやらなきゃいけなくなるのですが、これを分担いただけるのでありがたい。ですよね。

でも、なんかマニュアルではこうなってるとか、ちょっと融通きかしてくれよ的なことを思う人も一定数いらっしゃると思います。

が、バックオフィスの業務は、ミスなく納期通りに処理を終わらせることが価値の一つですし、そうすることで会社が維持できます。
なので、マニュアルで処理を定型化して、できるだけミスが出にくく、処理が早くできるように整えているのです。ま、内蔵みたいなものです。

焼き鮭を食べる時に、骨を取らずに食べたらどうなりますか?
運が良ければ、そんなに支障なく食べられるかも知れませんが、まあ、多くの場合は、喉に骨が刺さったり、運が悪いと胃とか腸にダメージがあるかも知れませんよね?じゃあ、骨を取り除いて食べましょう。
それと同じことだと考えてください。

クリエイティブ職が脳、営業職が筋肉バックオフィスが内蔵。
どれか単体だけでは生きていけないけれども、どれも必要。
内臓は病気になった時だけ、そのありがたさを実感するという点でも、バックオフィスに似ています。

一方、内部監査やリスク管理の価値は?

これ、むっちゃ難しいんです。
それは、ちゃんとやってないと即ダメになるってわけじゃないからなんですね。
過去働いてきた会社で、ちゃんとやってる会社は一社もありませんでした。
とあるメーカーもそうだし、とある金融会社もそう。
今のIT会社もそう。
でも、上場してるし、上場維持されてます。
じゃ、いらないじゃんっていう話なんですが、法令とかでは、内部監査やリスク管理体制の構築って求められてたりするので、そのために担当を置いている。みたいなのが正直なところだと思います。

でも、実はこれ、経営者次第なんです。

経営者が、
「自分一人で全てのことを全ての視点で見ることはできないので、様々な視点で現状を見たい」
と考えていれば、内部監査やリスク管理には意味があります。
ただ、残念ながら、多くの経営者が、
「自分には誰よりも物事が見えている。有事は自分が最終的にケツを拭けばなんとかなる。」
と考えていて、本音で言えば、
「法令等で置けと言われているから置いているだけなので、やってるっぽい感じで波風立てずにいてほしい。でも、やっぱやってるっぽさはいるから、たまに軽微な何かを教えて欲しい。」
っていう感じです。

受け取る側に価値が依存する価値って意味があるのか?

例え話として読んでください。

とある金融会社で、「ビジネスモデルの陳腐化」「人材育成の仕組みの未整備」「繁忙時の顧客対応人員の確保」にリスクがあるという評価結果が出ていました。

しかしながら、具体的な対策は検討されず、対策が予算化されることはありませんでした。

ある年度に、大幅な利益が出ましたが、リスク対応策は未検討だったため、そこにお金が使われることはなく、親会社への配当として多くの利益剰余金が吸い上げられ、親会社は親会社株主への配当で剰余金を使ってしまいました。

その翌年度、市場が冷え込み、利益が大幅に落ち込みました。
経営陣は慌てて、「新規ビジネス開発の凍結」「コストをかけた教育研修の中止」「採用凍結と人員整理」を実施しました。
その結果、なんとか黒字化を達成することができました。

その代償は、
・新規ビジネス開発を担当していた役員の独立
・人材育成は各部門任せとなり、人材の定着にバラツキが生じる
・顧客対応組織の崩壊

でした。

リスク管理部署からあがっていた情報は、背に腹は変えられないと無視され、結果、そのリスクが顕在化したが、経営陣は、経営判断をしただけであり、誰に咎められることもない。

さあ、リスク管理部署が生み出した「価値」には、「価値」があったのでしょうか?

解としては、「活用」できていれば「価値」があったが、活用できていなかったし、反省の材料にもなっていなかったので、「無価値」だった。
となってしまうのではないでしょうか。

仕事の価値ってなんですか?

虚しいですよね。
懸念していたのに、まさにそれが起こる。

インフルエンザが流行っていると知っていたのに、マスクもせずに出掛けてしまい、大事なイベントのタイミングで感染してしまい、イベントに参加できなくなる。

異性と二人で飲み会に行くと、セクハラと訴えられた時に事実があったのかなかったのかを証明する人がいないから三人以上で行ってください。と言ったのに、二人で出掛け、別件でその異性の不正未遂行為を発見してしまい、注意したらセクハラがあったと訴えられて左遷されてしまう上司。

こんなケースと同じようなもんです。

効果があった。成果があった。お金を稼げた。じゃあ、価値がある。
効果がなかった。成果があったかわからない。ありがたいと言われたが、お金にはならなかった。じゃあ、価値がない。

このような評価軸を持ってしまうと、結果さえだせればなんでもOKってことになってしまいます。極論すると、強盗しようが、詐欺をしようが、お金を得れれば価値がある仕事。国民の生活が困窮し、自殺者が増え続け、治安が悪くなっても、増税して歳入が大きくなった。価値がある仕事。

まとめ

ここまで書いてきて、読み返すと、どう考えてもまとまらないじゃないかと思ったので、無理やりまとめます。

・仕事の価値は、実際にその行為が有用だったかどうかで評価されやすい
・内部監査やリスク管理のように、有用かどうか判断しずらい仕事もある
・ただ、結果良ければ全てよしではないし、結果悪ければ全て悪いでもない
・なので、情報を上手く活用できれば。。。という場面は虚しくもあるが、結果が出なくても価値がなかったわけではない。

ちょっとまとまったっぽい。

じゃあ、「自分の仕事の価値」の評価軸をどこに持てばいいのよという話になるんですけど、「自分の価値観や納得感」の中に持つしかないです。
そして、それは、言語化できていなくても無意識に存在してると思います。

今日頑張ったな〜っていう日は、夜寝る時に穏やかな気分で眠ることができると思うんですけど、おそらくその日が、「自分の価値観や納得感」に合った1日を過ごせた日です。

もし、どうしても言語化したいんだ〜っていう方は、夜寝る前の気分がいい時に、なんでだろう?と考えて書いてみると良いです。

ちなみに、僕は、
「より良い未来への分岐点に気づき、わかりやすく示せたか?」
が、「自分の仕事の価値」の評価軸になっています。

結果、僕の気づいた方向に上司や部下や経営者が進まなくても、あまり気になりません。それは僕の責任ではないので。



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