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今さら秘書検定2級受けてみた、その心は

受験したのはもう数年前になるが、
CBT形式で受けてみて合格した。


全国にあるテストセンターで受けられるし、テスト日直前で予約できるからサクッと受けられてよかった。

3級は全く勉強せず飛ばし、
1番人気のテキスト1冊の載っている各問題を通しで
満点になるように解けるようになった段階で
受験申込→受験後画面上で合格判定となった。






書きたかったのは合格体験談ではなく気持ちの方で。
なぜ社会人⚪︎年目にもなって、役に立たない資格と名高いこの資格の勉強をしたかというと、自分の気持ちの成仏のためだった。




大学時代に、就活対策として秘書検定の勉強をしていた子が居た。当時の私は斜に構えていたこともあり、
「いや、資格とか要らんやろ。秘書になりたい訳でもないのに普通に意味ないでしょ。私は小手先の資格ではなくそのまんまの私の人間性を評価してくれる企業に行くわ〜」って、本気で思っていた。(今思えばこの時点で人間性0)


なんなら、就活のために色んな準備を重ねている友人を見ても同じことを思っていた。インターンシップにOB訪問、SPI対策にエントリーシートのブラッシュアップに面接の練習。


「ありのままの自分を見てくれるところに行きたいし、自分を取り繕うような真似はしたくない」なんて思っていた。取り繕うという言い方にも現れているように、心のどこかでものすごく焦っていて、その焦りを認めたくなかった。


中学までは勉強に打ち込み、高校では頑張りきれず、第一志望の大学に落ちて滑り止めの大学に進学した。
どこかの会社に入ってやりたいことも特になく、自分とは何だろうと迷い、もがいていた大学時代だったように思う。


一度挫折してしまった勉強というジャンルをとにかく頑張りたくなかった。
頑張ってももしまた駄目だったら?
私には無理だ。
駄目な自分をもうこれ以上受け止められない、
受け止めたくない、と思っていた。


当時秘書検定を勉強してた友人のことはすごく好きだった。
その友人ですらバカにしていた当時の私は本当に最低だし、ダサすぎると、大人になってずっと後悔していたのだ。



受験の理由はもう一つ。
私は母から「あんたは世間知らずやから」という言葉をよく言われてきた。
(この、お母さんからのよく言われてた言葉について、きょうだい間でよく話すと、覚えている言葉が人によって違うから面白い。人生の呪いやキーワードのヒントがあったりする)

多分親側からするとなんの気なしに言ったことを、子ども側でがっつり覚えているって場合もあるのだろう。
私の場合は「人に迷惑をかけちゃだめ」や「あんたは世間知らず」だった。




私は新卒2年目くらいの頃に、姉と姉の友人とその子どもたちに会った際に、敬語を使わずタメ口で接し、後から姉が友人に私の無礼を謝罪していたことを知った経験がある。
姉からは怒られることはなく、後日「あのタメ口ってわざとなの⁇(何か信念があるのかい?というニュアンス)」と聞かれ、『そうだよー!』とだけ答えて終わった。
おそらく微妙な気持ちになりつつも、自分で気づく時が来るだろうと思ってくれていたのだと思う。



当時のタメ口ムーブは『仲良い人、仲良くなりたい人にはなるべくタメ口の方が好ましい』という謎理論に基づいたもので、自身の中でその理論が確立したのは大学時代にある経験をしてからだった。
当時のバイト先で好きだった男性の先輩が、後輩の私に対してもずっと敬語を使っており、理由を尋ねたところ「仲が良い人じゃないとタメ口では話せないんですよね」と言われたのだ。今だからこそ笑って話せるものの、当時はかなり傷つき、それからタメ口理論が産まれ、胸に刻まれた。
この理論は本当に曲者で、なんと26歳まで仕事で関わる歳上(アラフォー)の同僚にまでタメ口を使っていたのだから本当に死にたくなる。完全に黒歴史だし、当時の同僚にまた会うことがあれば無礼を心から謝罪したい。


これらの想いを長年握りしめてきたが、いつしか、
「秘書検定は常識とかマナーが出題範囲だから、世間知らずじゃなくなる」
「知らないことで人に不快な思いをさせる可能性を下げられるかも」
というように考えるようになり、数年越しに検定の受験を決めたのだった。



母の言葉に囚われた私、あの頃の恥ずかしい私、情けない私を今成仏させてあげてももう良いじゃないか。
今やり直しても遅くないし、その頃の自分だって丸ごと愛してあげられるようになる。
確かに間違っていたけれど、あの時はそうするしかできなかった。これから間違えないようにすれば良いんだと。
そうやって、私が私を認めていくことが、すごく心地良いのだ。


思いかえすと
恥ずかしくて叫びたくなるような経験を
沢山してきた。
私のかけら集めはもうちょっと続きそうだ。