本を読む本【bookノートD】
読むという行為には、積極性が欠かせない。
そして積極的な読み方であればあるほど、それは良い読み方である。
読む行為を受け身の行為ととらえる人は多い。
しかし、情報をしっかりと受け取るには技術が必要なのである。
書き手の意図をどれだけ理解できるかは、読み手の積極性と技量にかかっている。
教育学においては、「教えられて」学ぶことと、「発見して」学ぶことを区別して考える。
この違いは主に何から学ぶかにある。
「教わる」場合には、本を読む、あるいは話し手から学ぶ。
一方で、「発見する」場合には、学習者が自分で自然や外界に働きかける。
しかし、「発見する」ことが能動的であり、「教わる」ことが受動的であると考えるのは誤りである。
「教わる」際にも、頭を使って考える必要がある。
読書技術には、観察力、記憶力、想像力、思考力など、「発見する」場合に必要なすべての力が要求される。
理解を深めるための積極的な読書は、本質的に手助けのない「発見」と変わらないからである。
教師から「教わる」場合には、教師が目の前にいれば質問もでき、さらなる説明を聞くこともできる。
だが、読書の場合は読み手自身が問いに答えなければならない。
学生時代は教師に頼ることもできるが、学校を出てから教養を身につけるには読書しかない。
だからこそ、生涯学び続け「発見」し続けるためには、本を最良の教師にする方法が必要であり、本書はそのためにある書物なのである。
読書にはいくつかのレベルがある。
最初のレベルは「初級読書」である。
これは読み書きの初歩であり、個々の言葉を識別し、その文が何を述べているのかを理解することが問題になる。
このレベルの問題を軽視してはならない。
外国語の本を読むときにもまずはここをおさえる必要がある。
子供が読み方を習うときは、まずは文字や単語を認識する能力を高め、ごく簡単な単語から順に習得していく。
文脈をたどって筋道をつかめるようになってくると、簡単な本は一人で読み続けられるようになる。
すると語彙が急速に増え、知らない単語も文脈から推測できるようになる。
このレベルの最終段階は、読書によって得た概念を消化し、それをふまえた上で次の本を読んだり、
一つのテーマについていくつかの本に書かれていることを比較したりするようになることである。
ここまでくれば、次のレベルへの準備が整ったといえる。
読書の第2レベルは「点検読書」というべきものである。
限られた時間内に書物の表面を点検し、その限りでわかることをすべて学ぶ。
この技術の値打ちには、多くの人が気づいていないが、点検読書を切り離して行うことで、次のレベルの「分析読書」が楽になる。
「点検読書」には2つのタイプがある。
下読みとでもいうべきものと、表面読みというべきものである。
まずは下読みである。
これは、わずかな時間に未読の本の品定めをする方法である。
まず、タイトルや序文を読んで、本のテーマを把握する。
次に、目次を読んで本の構造を知る。
これは目的地に向かうために地図を調べるようなものである。
それから、索引のある本については索引に目を通すと、重要な術語などから著者の見方の新しさを示すものが推察できるかもしれない。
また、カバーにある宣伝文には、本の論点が正確に要約されていることも少なくないので、こちらも読んでみるとよい。
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ここまでで、その本を読む意義があると判断したら、重要と思われるいくつかの章を読んでみる。
とくに章ごとに要約がある場合はそれをよく読む。
さらに、ところどころ拾い読みする。
パラグラフを1つか2つ、長くても数ページずつでかまわないので、全体を拾い読みしていく。
とくに最後の数ページは読み飛ばしてはならない。
たいていの著者はこの部分で自分の仕事の到達点を要約するからである。
これで「点検読書」の前半が終わる。
この時点でも内容のかなりの部分がわかり、さらに分析的に読むべきかどうかの判断ができるはずである。
このような「点検読書」は注意力と集中力を必要とするきわめて積極的な読書である。
こうして読んでおけば、読書の時間は驚くほど節約でき、理解も深くなる。
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「点検読書」の後半は、表面的に読み通すことである。
難解な本を1度読んだだけで理解しようと思うのは誤りだ。
難解な本への正しい近づき方は、一読目はとにかく読み通すことだけを心がけるということである。
難解な部分はとばし、脚注や引用文献などもこの時点では参照しない。
それで半分しかわからなかったとしても、再読すればずっとよくわかるに違いない。
細かい問題に注意を奪われ、大きな問題を見失ってはならない。
以上が「点検読書」であり、この読み方は難解な本であってもできるだけ早くすませるべきである。
そしてその最中には、以下の問いの答えを探し続けなければならない。
①それはどんな種類の本か、
②全体として何を主張しているか、
③その主張のためにどのような構成がとられているか、
の3つである。
これらに対する答えを、本の目次やタイトル・ページに書きこんでしまうとよい。
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読書の第3のレベルは「分析読書」である。
一言でいえば、これは徹底的に読む読み方である。
きわめて積極的な読書であり、取り組んだ本を完全に自分の血肉とするまで読み抜くことである。
分析読書の第1の規則は、今読んでいる本はどのような種類の本なのか、できる限り早く、できれば読み始める前に知ることである。
小説などのフィクションなのか、それとも知識を伝える教養書なのか、たとえば教養書だとしても歴史書なのか哲学書なのか、などを知らなくてはならない。
そのためにもまず「点検読書」をしておくべきである。
分析読書の第2の規則は、本全体のつながりを数行程度でいってみることである。
分類を示すのではなく、書き手が何をいおうとしているのかを自分の言葉で端的に表す。
これがわかれば、本の主題や目的を発見したことになる。
フィールディングの『トム・ジョーンズ』や、ドストエフスキーの『罪と罰』など、良い小説のプロットを述べてみて、練習してみるとよい。
第3の規則は、その本の主な部分がどのように全体を構成しているか、
つまり、本の設計図を示すことである。
良い本は良い家と同じく、部分が整然と配列されて、建築的に成功している。
よく読むためには、その構図を見つけださなくてはならない。
第4の規則は、著者が問題としている点は何であるかを知ることである。
その本が答えようとしている質問は何かを明確にするのだ。
この規則を疎かにすると、本の要点やテーマの理解が的外れになる、
あるいは骨組みをつかんでも何のための骨組みか理解できない、ということになってしまう。
第2、第3、第4の規則は、それぞれ関連しあっている。
練習を積めば、4つの規則の求める答えを一度に導き出せるようになるだろう。
これらを実行することで、本の構成を知ることができる。
ここまでが分析読書の第1段階である。
分析読書の第2段階では、本の内容を解釈する。
そのためにまずすべきことは、読者が著者の言葉の使い方を理解することである。
使われる言葉の理解があいまいだと意味を共有しているとはいいがたい。
従って、分析読書の第五の規則は、重要な単語を見つけだし、その意味を正確につかむことである。
たとえば「富」や「種」は、それぞれアダム・スミス、ダーウィンの専門用語であり、こうした用語をとっかかりにすることで、連なった重要単語群を発見できる。
第6の規則は、重要な文を見つけて著者の主要な命題を把握することである。
傍線や表現上の工夫などで強調されている場合もあるが、そうでない場合は、読者が自分で探さなければならない。
主要な命題は論証をしている箇所に含まれているはずである。
よって、結論と理由が述べられている一連の文を見逃さないことが重要である。
第7の規則は、重要な論証を述べている段落を見つけること、見つからない場合は、いくつかの文を取り出して論証を組み立てることである。
論証のすべてを明確におさえておくことは、注意深く読むための鉄則である。
これらを経た上での第8の規則は、著者の解決が何であるかを検討することである。
著者が解決した問題はどれで、解決していない問題はどれかを見極めるのである。
ここまでが分析読書の第2段階であり、ここまでくれば本の内容が理解できたといっていい。
このあとは、著者と議論して自分の意見を述べる段階である。
本を読むということは、一種の対話であるといえる。
良い読み手は、読み終えてから本に語り返し、自分の判断を下すものである。
本に対して自分の判断を下さないままでは、本当の意味で学んだとはいえない。
分析読書の第3段階は、このように、本を批評することである。
批評のための規則は、知的エチケットともいえる。
ここでは、そのうちのいくつかを紹介したい。
批評のための規則のひとつは、
本の内容を理解したといえるまでは批評を控えることである。
批評につき取り得る立場は、賛成、反対、判断保留の3つしかない。
ただ、どの態度をとるにしても、内容を理解していなければ意味がない。
また、もうひとつの規則は、反論を解消し同意に達することは可能だと考えることである。
反論が出される大きな要因は、誤った理解と知識の欠如である。
これらを取り除けばほとんどの反論は解消される。
そしてその要因は相手だけでなく自分にもあるのである。
反論することは相手に何かを教えることだとすれば、それは同時に自分が教えられることでもあるということを忘れるべきではない。
もし、ある本を読み終えて、その内容を理解し、著者の主張に異論がないのなら、それで「分析読書」は完了したことになる。
著者に対して反対する、あるいは判断を保留する場合に、先の段階が必要になるということになる。
もし著者を批判するというときには、著者の知識が不足していること、論理的な説得力がないことなどが根拠となりうるが、根拠とともに、明確にそう判断する理由を述べられるようでなければならない。
以上が分析読書である。
これは理想を述べたもので、この通りに読む人はいないだろうが、こうした条件は読書の深さをはかる基準になる。
理想的な読書に近づくためには、多くの本について表面的なことで満足するのではなく、これらの規則を守って一冊でもしっかりと読むことが大切なのである。
「本を読む本」 M・J・アドラー 著
講談社
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