新時代の依存症【bookノートA】
魅力的なプロダクト、次々と現れる目標値、健康への強迫観念など、現代社会は依存性を強めるものでいっぱいだ。
すぐそばに置いてあるスマホをどう扱うか、そういうことからじっくり考えさせられる一冊。
「新時代の依存症」として、ゲームへの没入、インスタグラムの過剰な使用など、悪癖を常習的に行なってしまう行動嗜癖が近年指摘されている。
依存症は性格の問題ではなく、当人の虚無感などを癒すようにデザインされた環境やプロダクトに関係している。
依存状態に気づき、なぜそうなるのかを知ることが、克服への大きな一歩となる。
依存を促すテクノロジーは諸刃の剣なので、うまく利用して人生を豊かにすることもできる。
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依存症というと、薬物やアルコール、またはギャンブルなどが一般的に連想される。
だが「新時代の依存症」として近年指摘されるのが、行動嗜癖だ。
行動嗜癖とは、なんらかの悪癖を常習的に行うことである。
たとえば「毎日筋トレせずにはいられない」
「ドラマを一気に何話も見てしまう」
「インスタグラムでしきりに投稿してしまう」
これらはすべて行動嗜癖の一種だ。
そしてその多くには、常習を促すテクノロジー系プロダクトが関係している。
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1日に何時間、何回スマートフォンをいじっているか、その実態を知ると戦慄を覚えるはずだ。
「モーメント」というアプリのデータによると、平均1日3時間、39回だという。
これを月に換算するとほぼ100時間、スマホを手にしている計算になる。
携帯を手元に置いておかないと不安を覚える「ノモフォビア」という言葉も生まれたほどだ。
人間は自分の行動が他人に影響を与える様子を直接観察することで、他者に共感したり理解したりする方法を学ぶ。
だが傍にスマホを置いたまま子どもの世話をしていれば、自然と目はスマホにいってしまい、注意が逸れがちになる。
そして対面でのコミュニケーションではなく、テキストメッセージやSNS上でのやりとりが中心になると、相手の反応を直接読むことができなくなっていく。
このように携帯デバイスを近くに置いておくだけで、悪影響が生じることもあるのだ。
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ベトナム戦争に赴いたアメリカ兵の実に85%が、「退屈」からヘロインに手を出したとされている。
ヘロインは非常に依存性の高い薬物で、一度手を出すと95%は依存症状から抜け出せない。
しかしヘロイン依存症となったベトナム戦争の帰還兵たちは、その95%が症状を再発させなかった。
この結果は何を意味するのだろうか。
依存症は本人の性格だけでは語れない。
ベトナム戦争の帰還兵たちが依存症から脱せられたのは、ベトナムという環境から離れたからである。
ゲームのようなプロダクト、ベトナムのような場所など、依存症状を呼ぶ「合図」があるからこそ、依存症に陥ってしまうのだ。
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世界で最も猛威を振るい、成人全体の3分の2が罹患している現代病は、慢性的な睡眠不足だと言われている。
その原因のひとつが、デジタルデバイスのブルーライトだ。
これが睡眠へと誘うメラトニンの生成を阻害している。
だがその事実が認知されるようになってきても、人びとは枕元に携帯電話を置き続けている。
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薬物常習者とゲームの依存症患者の脳では、ドーパミンの負の無限連鎖が発生している。
フルターボの快感をエラーと察知してドーパミンが抑えられると、人はドーパミンを求める行動を起こしてしまう。
耐性ができると、脳はさらなる刺激を求めるようになるのだ。
とはいえ依存症はドーパミンの作用だけが原因ではない。
じつは依存対象を欲しがる仕草を見せる依存症患者の多くは、その対象を好きなわけではない。
「好きという気持ち (好感) 」と「欲しいという思い (渇望) 」は別なのだ。
そして渇望は、好感よりも強い感情である。
ある物資や行動と、心理的な苦しみからの解放感が一度結びついてしまうと、「欲しい」という気持ちを抑えることは非常に難しい。
これが依存症の真実だ。
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ゲームでもなんでも、慣れてくると飽きてくるものだ。
だが試練や敗北を適当に味わえるようにすると、人間はそのゲームにはまり込んでしまう。
その代表例がテトリスだ。
操作に慣れてくる頃には、難易度が上がるように設定されており、「脳の機能と効率性を向上する初めてのビデオゲーム」として、ギネスブックに載っているほどだ。
この仕組みのヒントとなるのが「最近接発達領域」という概念である。
それによると、少し上のレベルのものに取り組んでいるとき、人はもっとも意欲的になる。
テトリスは巧みな設計により、熟練度にかかわらず誰もが最近接発達領域で遊び続けられるようにできているのだ。
「必要なスキル」をもち、「適度なレベル」に挑戦する状態にあるとき、人は「フロー」と呼ばれる状態に入る。
自身が進歩している過程にも楽しみを覚え始めると、なかなかやめるのは難しい。
ここまで至ってしまうと、やめさせるためには「停止規則」が必要だ。
しかし財布のお金が減っていく、身体が疲労のサインを出しているといった停止規則を感じさせないように、世の中のテクノロジーは発達してきている。
チャレンジするのが楽しいゲームのレベル、運動や体重管理のために努力できる範囲、資産目標といった「ちょうどよい領域」の快楽にとらわれ、たとえ続けるメリットが減ったとしても、いつまでもそれをやめられないのである。
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ラストで謎が残されたり、納得のいかないオチが来たりすると、大抵の人は怒る。
しかし、結果としてその作品は大成功することも多い。
このことを理解するヒントになるのが「クリフハンガー」だ。
完了した体験より完了していない体験の方に、人は強く心を奪われる。
先の読めない展開は、クリフハンガーとして人をハラハラさせたままにする。
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動画再生サイト「ネットフリックス」は、自動再生機能を実装している。
これは停止規則を失わせることが目的だ。
観るのを止めたい場合は、能動的に「次の話を観ない」という行動をしなければならなくなる。
一般的に言って、そうした能動的な行動をしたがらない人は多い。
これに前述にクリフハンガーという強烈な魅力が加わると、なかなか人は「自動再生」から逃れられなくなる。
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写真アプリでありSNSでもある「インスタグラム」が、かくもメジャーなものとなったのは、もうひとつの依存の魔法「社会的相互作用」をうまく利用したからである。
基本的に人は自分のことを高く評価する一方で、否定的なフィードバックに対しては過敏に反応する傾向がある。
自分が投稿した写真に「いいね!」がたくさんつけば、社会的承認を得られた感覚になれるし、自分だけがいいと思っている写真を発見すると、「自分は特別だ」という気持ちにもなれる。
その2つが一番いいバランス (最適相違) でフィードバックされているとき、人は最も心地よくなるのだ。
ゲーム依存に陥るデザインを持つゲームの特徴のひとつとして「社会的要素」がある。
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ゲーム依存の状態にあり、オンラインの友情だけで成長した脳は、リアルな世界の交流になかなか適応しきれない。
ウェブデバイスでは人と目を合わせて話をすることができず、一種の感情的な弱視 (他人への共感を感じにくい状態) に陥るからである。
いまの子どもたちは、生まれた時からデジタルデバイスに囲まれている。
かれらにどうやって顔を合わせたコミュニケーションをしてもらうかが、依存症予防のカギのひとつだ。
子どもは脳の自己制御能力が十分発達していないため、大人よりも依存症になりやすい。
依存症になる人は、リアルな友だちとの関係が疎遠になっているなど、なにかしらのニーズが欠落している。
そのことを自覚させることで、自発的に行動を変えるよう促せると考えられる。
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依存症を克服できないのは、意志が弱いからではない。
「保守的な考え方の人の方が、ポルノサイトにアクセスする時間が長い」というデータもあるように、意志の力で誘惑を抑圧すると、逆に反動を強くする場合がある。
それよりは誘惑の対象と向き合わないでいる方が効果的だ。
依存症的な行動を、なにか別のものに置き換えるのである。
これに効果的なのが、「行動アーキテクチャ」という考え方だ。
前提として、人間は誘惑から完全に逃れることはできない。ならばまず物理的に、依存を誘発する対象を遠ざけてみる。
それが難しければ、依存性を与えている要素を把握し、それを取り除くように努める。
そして悪癖に手を染めてしまったときは、ささやかな罰や不便を自分に課すことは、効果が高いとされている。
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依存性のある対象に没入して時間を失っても、「明日や来週に取り戻せる」と思ってはならない。
大事なのは、自分の環境を自分の意志で、賢くデザインし直すことなのである。
「歴史の終わり幻想」という言葉がある。
人は、過去と現在との違いは容易にわかる一方で、「これからの自分はずっと変わらずにいる」と信じ込みやすい。
10年先の変化を想像することは難しいからだ。
だがこれから先、さらに依存性の強いテクノロジーが生まれない保証はどこにもない。
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一方でテクノロジーは、行動嗜癖を煽るだけでなく、人生に奇跡や充実をもたらしてくれるものである。
テクノロジーを単純に手放すのではなく、依存を促さない思慮深いデザインを重ねていくことが重要だ。
対面でのあたたかさを尊重できる文化になれば、この先も私たちの生活はゆたかで幸せなものになるに違いない。
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新しい依存症は、物質ではなく行動によって起こる。
「僕らはそれに抵抗できない」
アダム・オルター著
ダイヤモンド社
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