思考実験【bookノートA】
人生やビジネスにおいては、重大な意思決定を迫られる。
どの選択肢を選んでも痛みが伴う場合や、決定のデッドラインが差し迫っている場合もしばしば。
そんなとき、冷静に、納得のいく判断ができるだろうか?
本物の思考力とは、頭が汗をかいてはじめて身につくものだ。
これをくり返すうちに、物事の本質を見る目や、予想外の状況で冷静に判断する力を養える。
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思考実験とは何か。
それは、ある特定の条件下で思考を深め、推論を重ねながら自分なりの結論を導き出していくことである。
実験室はあなたの頭の中。
実験道具はあなたの倫理観や知識、論理的思考力や想像力などである。
思考実験はビジネスに欠かせない論理的思考力を鍛えるのに非常に有効だ。
「いずれか一方しか助けられない」
生死をめぐる究極の選択を迫られたとき、人は自分の倫理観や判断基準について向き合うこととなる。
倫理を問う問題は、自分とは異なる意見、多数派の意見を知る中で、思考の幅を広げるのに役立つ。
もちろん多数派が正解というわけではない。
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思考実験を一躍有名にした「暴走トロッコと作業員」
これはイギリスの倫理学者フィリッパ・フットが1967年に提示し、論争を巻き起こしてきた有名な思考実験である。
「トロッコ問題」にはバリエーションがあるが、共通して「5人を助けるために1人を犠牲にするのは正しいか?」という課題に直面する。
そして、設定により、多数派となる意見が異なってくる。
まず1つ目のトロッコ問題を説明する。
あなたは、暴走したトロッコが猛スピードで線路を走ってくるのを目にする。
線路の先には5人の作業員がおり、このままではトロッコがつっこんで5人は死んでしまう。
あなたの手元には線路の切り替えスイッチがあり、これを切り替えれば彼らを救える。
ところが、切り替えると今度はその切り替えた先にいる1人の作業員が死んでしまう。
あなたはこの6人とは面識はない。
また、大声で危険を知らせるといった他の選択肢はないとする。
あなたはスイッチを切り替えるだろうか。
この設定では、多数派となる意見は
「スイッチを切り替え、1人を犠牲にして5人を助ける」
である。
統計データによると、この選択を選ぶのは85%に及ぶという。
面識のない人ばかりであるため、感情を揺さぶる要素がなく、冷静に思考ができる。
そこで、1人より5人の命のほうが重いと判断するというわけだ。
一方、少数派は
「トロッコはもともと5人の方向に向かっていた。進行方向とは無関係の場所にいた1人を巻き込むのは誤り」
だと主張する。
人の運命を自分が操作することへの抵抗を感じるためだ。
では次のような設定ならどうか。
同じく暴走するトロッコが5人の作業員の命を奪おうとしている現場を、あなたは橋の上から見ている。
ただし、隣にはかなりの巨漢が身を乗り出して作業の風景に見入っている。
もしこの男性をあなたが突き落とせば、トロッコを止められるかわりに男は確実に死ぬ。
今なら確実に男を突き落とすことが可能であり、あなたはそれによって罪に問われることはないとする。
さあ、どうするか。
この設定で思考実験をすると、75~90%の人がそのまま静観し、5人が犠牲になるほうを選ぶ。
1番目の思考実験と、犠牲者の人数は変わっていないにもかかわらず、多数派意見が入れ替わるのだ。
この設定では、1人の男性を自らの手で突き落とすという行為が生じる。
積極的に殺人に関わることになるため、強い抵抗が生まれるのだ。
しかし、太った男が誤って転落するというケースならどうか。
今度は太った男が犠牲になるほうがいいと考える人が多数派になるだろう。
同様に、あなたが線路の切り替えボタンの存在を知らずに偶然踏んでしまうという設定なら、
あなたの関わり方がより消極的になるため、1人の男性を犠牲にするほうを選ぶだろう。
要は、意図的に行動を起こすのかどうかが判断を左右するといえる。
このように、本来望む結果がより多くの人が助かることであったとしても、自分が関わるとなると、人はより主観的に物事を判断する傾向にある。
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トロッコ問題の変化球として「臓器くじ」という思考実験がある。
あなたはとある病院の医師であると仮定する。
臓器提供がなければ死ぬ運命にある5人の患者がいる。
そこに健康そうな男性が1人健康診断に訪れた。
あなたは誰にも気づかれることなくこの男性を安楽死させ、その臓器を5人に提供し、5人の命を救うことができる。
この選択は許されるだろうか。
この状況では、ほとんどの人が健康な1人の生命を絶つことなどあってはならないと考え、「許されない」と回答すると予想できる。
しかし、この状況は、「1人を犠牲にして5人を助ける」という点では、「暴走トロッコと作業員」の状況とあまり変わらない。
では臓器提供者をくじ引きで決め、当たった1人の臓器が5人の患者に提供されるという設定はどうか。
もちろんくじ引きは完全に平等に行われる。
これはイギリスの哲学者ベンサムが唱えた功利主義に基づく。
ベンサムは幸福度を計る尺度を決め、
それを数値化して計算し、
「最大多数の最大幸福」をもたらす行動や政策を選ぶべきだと考えた。
この考えに立つと、臓器くじは極めて公平に、より多くの人を幸福にする手段だともいえる。
しかし、この場合でも、「許されない」と反発する人が圧倒的に多いだろう。
なぜなら人々は「臓器くじに自分や大事な人が当たってしまうかもしれない」という恐怖にさいなまれることになるからだ。
この恐怖を加味すれば、功利主義的に考えても、臓器くじに当たった人を犠牲にするのは、間違っていると判断できるだろう。
臓器提供を待つ人の死を待つか、他の1人を殺すのか。
いずれかの道しかないのなら前者のほうが倫理的だといえる。
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パラドックス(逆説)とは、正しいと思われる推論を重ねて得られた結論が信じがたいものであるような、矛盾をもたらす命題のことである。
また、ジレンマとは2つとも選びたいのに、一方を選ぶともう一方が不都合になるという状況を指す。
例えば仕事をしないと家計が厳しいが、育児をおろそかにできないといったことだ。
パラドックスやジレンマの思考実験は、好奇心を刺激し、思考力を鍛えるのに役立つ。
「論理的思考力を鍛える33の思考実験」
北村良子 著
彩図社
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