『カレンダーストーリーズ』ウラ6月 「終わりかけの梅雨」【小説】作:伊藤豊
最悪の旅だった。僕の旅のことではない。
ただただ暑く苦しくじめじめとした空気がまとわりつく。宿を出るときに着替えたTシャツはものの五分もしないうちに色を変える。コンクリート壁と同じような色をした空と雨混じりの風。しかし暴風雨でなかっただけ幸運だと思わねばならない。そうでなければ今日この地を発つこともままならなかっただろう。まもなく到着しますというアナウンスとともにやや混雑した車両が駅に着く。開いた自動ドアによって空調の効いた車内の空気がほんの少しだけはみ出す。冷気に呑み込まれるように車内へ。掴んでいた吊り革の目の前の座席の客が次の駅で降りたので、パンパンに詰まったバックパックを下ろして座った。平日の朝十時ということもあってか、車内はスーツ姿のサラリーマンやOLらしき姿が多い。隣の席には、白く短いツバ付きの帽子とニット、ロングスカートを着て、見た目にはとても地味な女性が座っていた。年齢は二十代後半といったところだろうが、確証はない。彼女は前かがみになって、スマートホンを食い入るように見つめながらメッセージを打っていた。こちらの視線からは彼女の顔は伺えないが、彼女からもこちらの視線は伺えない。覗くつもりはなかったのだが、覗いた。
あの人は、彼女がいるらしいです
昨日、よる私を抱きしめながら
長く付き合ってる人がいるといっていました
だから、わたしとはつきあえないと
でも、そういうことはしてしまったのです
もうすぐ那覇空港につきます
つらいですどうしよう
彼女はアプリを閉じ、メモアプリで先ほど送ったメッセージをまとめた。そして別の人と思われるアドレスに送信していた。
あの人には彼女がいるらしいです。昨日私を抱きしめながら言っていました。もう那覇空港につきます。
でも、そのあと、そういうことはしてしまった。どうしよう、つらい。
空港駅についた。少しいたたまれない気持ちになって、そそくさと降りた。空港内のおみやげ屋をひと回りして余儀ない買い物を済ませた。手荷物検査場を通り抜け、27番ゲートに続くエスカレーターに向かうと、正面に飛び込んできた人影は、彼女だった。彼女は小さい荷物と電話を両手に空港内をさまよっていた。目は赤く、濡れていたその理由を、僕は知っていた。すると、急に彼女がこちらの方へ振り向いた。刹那、目が合う。思わず目をそらすと、ぎょっとした。視線の先、空港の大きな窓ガラスには、妙な笑みを浮かべたのを急いで消そうとする僕の表情がそのまま映し出されていた。僕は彼女の横をうつむきながら通り過ぎ、エスカレーターを駆け上がった。搭乗便の最終案内が鳴り響いていた。
飛行機に乗り込んでも、しばらく苛まれていた。空港で、誰を探していたのか。誰も探していなかったのか。もしかしたら誰かを迎えにきていたのかもしれない。それは昨日の相手なのか、メールを送った誰かなのか。顔立ちからすると、彼女は沖縄の出身ではなさそうだ。つまりきっと里帰りでもないだろう。その男に会うために、わざわざ沖縄まできたのかもしれない。いや、そもそも相手は男なのか?それに顔立ちが沖縄ぽくないからといって、沖縄に住んでいないとも限らない、ではなぜ空港へ・・・ふと思った。そんなこと考えて、何になる?機体が地上を離れる感触がした。
覗かなくても良かった。でも覗いた。僕は楽しんでいたのだ。窓ガラスに映った顔がなによりの証拠だ。他人の人生のクレバスの深い闇の奥。覗きに行ったら足首を掴まれた。ぬるっとした汗ばんだ手の感触が肌に残る。大したことはない、死ぬわけじゃない。でも残る。体にまとわりつく湿気。クーラーは効いているのか?ぱあっと明るくなった窓から日が射す。さっきまで歩いていた街は、もう雲の下だ。僕の隣の席には「沖縄」顔の若い女性が二人。二十代の前半といったところだろうが、確証はない。東京観光のガイドブックを広げながら旅程について話を弾ませていた。
ホテルのある駅って、どこだっけ?スイドウバシ?
いや、ニンギョウバシだったかな、、、あ、ちがう!
ニンギョウ駅さー!ぎゃはははは、、、
完全に我に返る。誰かの旅の始まりは、僕の旅の終わりと、空の上で重なった。
終わりかけの梅雨から、はじまりかけの梅雨へ、我は、帰る。
ウラ6月「終わりかけの梅雨」/文・伊藤豊
cover design・仲井希代子(ケシュ ハモニウム × ケシュ#203)
*『カレンダーストーリーズ』とは…"丘本さちを"と"毎月のゲスト"が文章やイラスト、音楽などで月々のストーリーを綴っていく連載企画です。第一月曜日は「オモテ○月」として丘本の短編小説が、第三月曜日は「ウラ○月」としてゲストの物語が更新されます。
※2016年 10月の更新をもって『カレンダーストーリーズ』の連載は終了しました。お読みいただいた皆様ありがとうございました。
6月のゲスト:伊藤豊(いとうゆたか)…音楽プロデューサー・作曲家・文筆家。"小島ケイタニーラブとラブナイツ”の構成作家として 西麻布 Rainyday Bookstore & Cafeにて毎月11日にイベント”ラブナイト”を開催中。イベントのゲストにまつわる旅をして、歌を生むまでのレポート”歌はどこだ”を雑誌SWITCHにて連載中。小島と作家の温又柔とともに音と言葉のユニット”ponto”もやってます。11人編成のバンド”ヒネモス”ではギター担当。utaqua@gmail.com
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