『カレンダーストーリーズ』オモテ12月「ニコライ」(4) 【短編小説】作:丘本さちを
私はスネグーラチカに手を引かれて父の別荘を後にしました。その時私の口から流れ出た説明は、幼い子供にしてもかなり辿々しいものだったと思いますが、スネグーラチカは一度も聞き返したり、疑ったりせず、私の身に起きた突然の状況を受け入れてくれたようでした。
「それは大変だったね」
そう言った彼女の声は憐れみも同情も示していませんでした。“明日は金曜日だったね”。まるで曜日を確認するような声色でした。
山道の雪はどこまでいっても深く、私たちの足を飲み込みました。積もってから日が経っているので、ある程度固まってはいるものの、雪道など慣れていない私は何度も足をとられて転びそうになりました。体勢を崩した私をスネグーラチカは何度も引っ張り上げてくれました。引っ張り上げながら、雪に慣れていない私を面白がるように目を細めました。
「あら、また転んだの? 大丈夫?」
私は悔しくなって白い息を吐き出しながら、左右の足を突き出して進みました。先日とはうって変わって、太陽は冬の空に燦々と輝いています。積雪に反射した陽の光が景色をさらに白く塗りつぶしていました。明るい闇とでも言うのでしょうか、眩しくて眩しくて長いこと目を開けていられないのです。こんなに強い光を受けているというのに、スネグーラチカはまったく平気なようでした。彼女は怯むことも迷うこともなく真っ直ぐに雪道を進んでいきます。視界に入ってくるのは白い光沢を放つ山並みと、太陽を抱え込んだ青い空、あとは光だけしかありません。風が吹くと、火照った頬が冷やされて心地良さを感じました。私はもう途中から目を閉じて、この不思議な少女に手を引かれるまま歩いていきました。
「スネグーラチカはどこから来たの?」目を閉じたまま私は言いました。
「あなたの知らないくらい遠い国」彼女は短く答えます。
「なんで僕んちの別荘に来たの?」
「あなたが泣いてるのが聞こえたから」
「なんでそんなに白いの? 外国人だから?」
「生まれた時から白いから。理由なんてないよ」
「そうなの?」
「じゃあ、あなたは何で雪は白いと思う?」
スネグーラチカにそう切り替えされて、私は言葉に詰まりました。彼女は続けました。
「雪が白いのに理由なんてない。最初からそうできている。雪は白い、スネグーラチカも白い。溶けていなくなるまでずっと白いんだよ」
再び目を開いた時、私たちは白樺の林の中にいました。木々が太陽をうまく遮っていて、目を開いていても痛くはありませんでした。私は周りを見回しましたが、前にも後ろにも道は見当たりませんでした。いつの間にか迷い込んでしまったのでしょうか。スネグーラチカはしっかりと手を握ってくれていましたが、私は心配になって言いました。
「こっちであっているの?」
「あっているよ」
「ねえ、本当にあっているの? 道が見当たらないけど……。それに見たことのない景色だし……」
「あっているよ。だって迷ったらあなた、大変じゃない」
スネグーラチカの言葉を聞きながら、そういえば私がどこに行きたいのか彼女に話していないことに気がつきました。麓の町へ向かっていると思ってばかりいましたが、もしかしたら彼女の家に向かっているのかも知れません。だとしたら見覚えのない景色が現れていても不思議ではありません。しかし確かめておくに越したことはないと思いました。
「ねえ、スネグーラチカ。僕たちどこに向かっているの?」
私がそう口にしたと同時に、白樺の林の間から立派な角を持った一頭の獣が飛び出してきました。スネグーラチカは獣に駆け寄り、優しく眉間を撫でました。
「ダッシャー、迎えにきてくれたのね」
ダッシャーと呼ばれたその獣を、私は図鑑で見たことがありました。巨大な体軀に雄々しく枝分かれした角。その姿形は紛れもなくトナカイでした。ダッシャーはスネグーラチカに撫でられて気持ちよさそうにしています。その野性味溢れる見た目とは裏腹に、随分と人には慣れているようでした。私のほうをちらりと見やって、なんとも興味なさそうに視線を戻しました。時折、ダッシャーの鼻息が頬に掛かると、スネグーラチカはくすぐったそうに笑いました。私はまたしても不思議なことに気がつきました。私も、ダッシャーも、湯気のような息を吐いているのに、スネグーラチカの口元からはまったく白い息が上がっていないのです。まるで呼吸をしていないとしか思えませんでした。先ほどから何かがおかしい。何かが不可解です。そんな疑問を抱いたまま立ち尽くす私に構わず、ダッシャーとスネグーラチカは互いに寄り添うようにして、枝の光る白樺の林を歩いていきました。一人と一頭の足跡が雪の上に続いていきます。その先には大きな山小屋風の建物が見えていました。
(5)に続く
オモテ12月「ニコライ」(4)/文・丘本さちを
cover design・仲井希代子(ケシュ ハモニウム × ケシュ#203)
*『カレンダーストーリーズ』とは…"丘本さちを"と"毎月のゲスト"が文章やイラスト、音楽などで月々のストーリーを綴っていく連載企画です。第一月曜日は「オモテ○月」として丘本の短編小説が、第三月曜日は「ウラ○月」としてゲストの物語が更新されます。
※2016年 10月の更新をもって『カレンダーストーリーズ』の連載は終了しました。お読みいただいた皆様ありがとうございました。
丘本さちを(おかもと さちを)…映像プロデューサー、週末小説家(2015年12月現在)。大手CMプロダクション、出版社勤務を経て現在フリーランス。映像制作業に勤しみつつ、精力的に小説や歌詞などの執筆活動を行う。第5回新脈文芸賞受賞。既刊本に『往復書簡 傑作選』『続・往復書簡 傑作選』(共に仲井陽との共著、ケー出版)がある。謎の集団ケシュ ハモニウム創設メンバー。愛称は”さちを”。物静かだがフレンドリーな対応に定評あり。
●ケシュ ハモニウム(問い合わせ)
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