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『カレンダーストーリーズ』ウラ1月 「夜の散歩で彼は」 【短編小説】作:三畑幾良
ヨハンの話をしよう。
父に連れられて我が家にやってきた彼に私が出会い、当時ページが擦りきれるまで読みふけっていた小説の作者にあやかってヨハンという名をつけた時、私は十五歳だった。
生後三ヶ月の彼は既に、聡明なジャーマン・シェパード・ドッグの性質を見せていて、父や私が教えたことはすぐに覚えた。「座れ」や「伏せ」もトイレの位置も、あっという間に習得した。
しかし「お手」を教えようとした時だけは、軽く鼻を鳴らして、こちらを窘めるような目をした。ヨハンはどうしてか、生活に必要な動作と芸との違いを知っていたのだ。芸をひとつも覚えようとしなかった彼は、一歳にもならないうちから誇り高かった。人間の食べ物に飛びつくことはおろか、興味を示そうともしなかったし、自分に与えられたドッグフードさえも、よしと言われるまで食べなかった。散歩に出ても無闇に走りだすようなことはしなかった。
成犬になったヨハンは、ピンと立った耳と艶やかな毛皮がたいへん美しい、体重三十五キロの見事な犬だった。我が家に来てから数ヶ月間の子犬時代だけは、私は彼を弟のように思っていたが、すぐにヨハンは私の兄になった。もしかするとヨハンの方では初めから、私を妹だと思っていたのかもしれない。
ヨハンはずっと、優しい兄だった。
例えば私が高校三年生の時のことだ。その頃、私と両親との間はぎくしゃくとしていた。簡単に言うと、私は無謀な夢に挑戦したいという気持ちを持っていて、両親がそれに反対していたのだ。父と私、母と私、父と母と私、それに、父と母、あらゆる組み合わせで、連日怒鳴り合っていた。
あの頃、ヨハンとの散歩は私の逃げ場だった。我が家では私よりヨハンの方が信用があった。日が落ちてから私が一人で出かけようとすると、例えそれが近所の自販機に行くだけでも父か母から厳しい尋問を受けたものだが、ヨハンの散歩と言えば何も言われなかった。ヨハンを連れて、もといヨハンに連れられて、何時間も家に帰らないことも少なくなかったが、ヨハンは少しも嫌な顔をせずに私の隣を歩いていた。
両親との争議がほとんど最高潮に達していた頃、むしゃくしゃして、自分が世界でたった一人のように思えて、散歩の途中で公園のベンチに座り込んでひたすらに星空を眺めていたこともある。私に指示されて静かに「伏せ」をしていたヨハンは、その時初めて、私の命令に背く動きをした。すなわち、のそりと立ち上がってベンチに上り、戸惑う私の頬を鼻で突いた。その時に私が涙を零してしまっていたことと関係があったのかどうか分からないが、次の瞬間には私はヨハンにしがみついて泣いていた。
その数年後、私の夢がほぼ完全に破れて別の道を歩むことになった時にも、更にその後で父が亡くなった時にも、ヨハンは私のそばにいた。
二十五歳で私が結婚する時には、夫となる男の匂いをそれはそれは慎重に嗅いでいた。年をとって腰を痛めた母ではヨハンの散歩が出来ないので、ヨハンは私達の新居に来ることになったのだが、その時のヨハンの慎重さは、新しい同居人を見定めるものではなく、妹の男を品定めしていたに違いないと私は確信している。
私の息子の面倒を一番よく見ていたのはもしかするとヨハンかもしれない。赤ん坊だった息子の泣き声に気付いてベビーベッドの側に駆け寄る時、ヨハンが先に来ていないことはなかった。彼は私の息子に直接触れることはしなかったが、少し離れたところからいつも息子を見ていた。息子が少し成長してからは、尻尾を掴まれても耳を引っ張られても唸り声一つ上げず、寛容な兄か、そうでなければ父のように振舞っていた。一度など、息子がベランダから落ちそうになっていることを知らせてくれたこともある。その頃にはヨハンはすでに十歳を超えていて毛皮の艶は少し落ちていたが、聡明さはちっとも変わっていなかった。
私があまりにヨハンを頼りにするものだから、夫などは呆れながら少々嫉妬していた節もある。いくつになっても私はヨハンの、甘ったれの妹だった。
しかし、状況は大きく変わった。
もうすぐ十六歳を迎えようとする時、彼は、自分が自分であることを忘れてしまった。
あれ、と初めに思ったのは、ヨハンが夜中に家の中をうろうろと歩きまわるようになったことだ。いつの間にか彼の生活リズムは昼夜逆転していて、逆に昼間は眠ってばかりいた。
そこからは、急な下り坂を転がり落ちるようだった。はじめは夜中に歩き回るだけだったのが、やがて苛々とした様子で唸ったり吠えたりするようになり、「座れ」や「伏せ」と言っても動かないことが増え、私や夫や息子の持っている食べ物を欲しがるようになった。最初に絨毯の上で排泄をした時にはバツの悪そうな表情をしていたが、次第にそれもしなくなり、それと同時に表情がほとんどなくなった。
獣医に相談すると、年齢に伴う、いわゆる認知症だと言われた。その時に私は初めて、犬に認知症があることを知ったのだ。
それから間もなく、ヨハンは自分の名も忘れた。
認知症の犬と幼い息子、それに多忙な夫と生活することは、想像以上に大変なことだった。
家中の絨毯を防水性のものに取り替えた。犬用のおむつというものも試したが、夜につけても何故か朝には外れてしまっていて、ヨハンの排泄の痕跡を探して清掃をすることが朝の日課に加わった。私が髪を逆立てて掃除している時、当のヨハンは穏やかな顔で眠っている。夜はヨハンが歩きまわり、時折声を上げるので、一晩に多い時は十回ほど目が覚めた。確保出来る睡眠時間が少ない夫は平日は会社に泊まるようになった。ヨハンをペットホテルに預けることも考えたが、経済的な理由と情緒的な理由で、どうしても踏みきれなかった。
息子はヨハンの排泄物を見つけると甲高い声を出して興奮した。それはなんとも嫌な感じのする喜び方だったが、私は何も言えなかった。あのヨハンがトイレ以外の場所で排泄するということに、私は慣れることが出来なかった。家の中は、ほんの半年前には考えられなかったほどに散らかり、家具はぼろぼろになった。
君がヨハンを大切に思っていることは分かっている。週末の夜に家に帰ってきた夫はビールを片手に、私に向かって棘のある声を出した。でも息子も君も僕も、限界だと分かるだろう?
ヨハンまたおしっこしたー! 少し離れたところで息子がはしゃいで叫んだ。ヨハンだめー! 息子が叫びながらヨハンの尻尾をぐいと引っ張った。次の瞬間、夫が息子の名を呼びながら飛び出した。ヨハンが唸り声を上げて息子に飛びかかり、尻もちをついた息子に向かって牙を剥いていたのだ。
私も夫とほとんど同時に駆け寄って行ったが、私が呼んだのはヨハンの名前だった。夫が息子を抱き上げている時に、私はヨハンを全身で抱き込んでいた。
泣きべそをかく息子を宥めている夫は、興奮するヨハンを撫でている私をちらりと見て、ただ一言だけ言って部屋を出て行った。君は、誰の母親だ?
ふと、膝が冷たいことに気づいた。ヨハンを抱き込んだ私の膝は、ヨハンの尿で濡れていた。
全身から力が抜けた。ヨハンが私の腕からすり抜けてどこかへ歩いて行っても、私はその場から立ち上がれなかった。
これは駄目かもしれないという言葉が初めて浮かび、そして消えなかった。すぐに片付けなければならないことは分かっていたが、体が動かなかった。その時私は世界中のどこにもいたくなかった。宇宙で一人ぼっちになったと思った。
しっかり者で賢くて優しいヨハンは、もういなくなってしまった。そのことが悲しく、それによると夫と息子への申し訳なさも渦巻いて、どうしていいか分からなかった。
どのくらいそうしていたのだろうか。やがてヨハンが戻ってきた。見ると、彼の口には、散歩用のリードが咥えられていた。
散歩か。それもいいかもしれないと思った。気乗りするというほどではなかったが、とにかくどこかへ行ってしまいたかった。私はのろのろとズボンを履き替えてコートを羽織った。
ヨハンはもう玄関にいた。私はヨハンが元に戻ったのかと期待しそうになり、彼の虚ろな表情を見てそれがぬか喜びであると悟った。
あの頃より幾分足元がもたつくようになったヨハンと、夜の道を歩いた。私はずっと、斜め下を見て歯を食いしばっていた。そうでないと自分が溢れてしまいそうだった。歯の隙間から長く息をして、私は全てを押し殺した。このまま、どこかへ行ってしまいたかった。私とヨハンと。そうでなければ私だけでも。
ずんずんと或いはとぼとぼと歩いて、ある時ヨハンが突然立ち止まった。気づけば、私とヨハンは公園のベンチの前にいた。昼間に息子とよく遊びに来る公園だった。ヨハン? と呼びかけても、ヨハンはこちらを向かない。それどころかベンチの足元に寝そべってしまった。
私はため息をついてベンチに腰掛けた。冷たい夜で、ベンチに腰掛けたその時から尻が冷え始めたが、ヨハンは私の方には全く興味を持っていないように見えた。こういう時、以前のヨハンならすました顔で伏せていながら、実はこちらの様子を常に伺っていたものだ。その証拠にいつだって、私が立ち上がる前に出発の準備を整えていた。
ふと、夫や息子に声もかけずに家を出てしまったことを思い出した。行き先を家族に告げずにヨハンと外出するのは、思えば十代の頃以来だった。
あの時はいくら心が荒立っていても悲しみに押しつぶされそうでも、ヨハンがいた。今もいる。でも、ヨハンはもうヨハンではない。今のヨハンは、目の前にいながら私と別の世界に行ってしまった。
ヨハンより先に夫と息子を選ぶ義務が、私にはある。もう、ヨハンと一緒にはいられないのかもしれない。
そう思うと堪らなかった。
固く目を閉じて歯を食いしばったが、湧き上がるものが喉の蓋を突き破ったのが分かった。大の大人がこんな所でそうしてしまってはいけないと思ったが、もう遅いことも気づいていた。
その時、頬に湿ったものが当たった。まさかと思って目を開けて、本当にそれが起こっていることを悟った。
ヨハンが私の頬に鼻を押し当てていた。それから私の顔を覗きこんで鼻を鳴らした。弱虫の妹を、仕方ないな、と言いながら結局は甘やかす、兄の顔だった。
私は息を呑んで、次にヨハンにしがみつき、子供のように声を上げて泣きじゃくった。ヨハンの体がただひたすらに温かくて、私はいつまでもいつまでも夜の公園で彼にすがりつき、しゃくりあげ続けた。
ヨハンの話はこれで全てだ。
ヨハンが本当に私達の前からいなくなったのは、それから僅か一週間後のことだった。突然に餌を食べなくなって、みるみるうちに衰弱して、天に召された。
最後の時に私が呼びかけた声に、彼はぴくりと耳を動かした。もしかするとその瞬間、ヨハンはヨハンだったのかもしれない。だとすると、少し、悪いことをしたと思う。
弱り切って動けない姿など、誇り高い彼は頼りない妹に見せたくない筈だったので。
ウラ11月「夜の散歩で彼は」/作:三畑幾良
cover design・仲井希代子(ケシュ ハモニウム × ケシュ#203)
*『カレンダーストーリーズ』とは…"丘本さちを"と"毎月のゲスト"が文章やイラスト、音楽などで月々のストーリーを綴っていく連載企画です。第一月曜日は「オモテ○月」として丘本の短編小説が、第三月曜日は「ウラ○月」としてゲストの物語が更新されます。
※2016年 10月の更新をもって『カレンダーストーリーズ』の連載は終了しました。お読みいただいた皆様ありがとうございました。
1月のゲスト:三畑幾良(みはた・いくら)
1989年生まれの乙女座A型。兵庫県出身。第五回新脈文芸賞受賞。
可処分所得の多くを本屋に貢ぐしがないサラリーマン。真夜中限定小説家。
主にミステリーを読む小説好きだが、近ごろ短歌にも興味あり。好きな作家は幸田文、江國香織、連城三紀彦、米澤穂信など。
Twitter:@UmaumaIkura
めさき出版ブログ(http://blog.mesaki.link/)にも週一ペースで登板中。
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