多様性について意識高い系が勘違いしてるんじゃないかという考察

多様性がどうのこうのとうるさい昨今ですが

根本的に勘違いがあると思っています。


多様性を許容するというのは
少数派を優遇したり差別されていた人々を優遇する事ではない


一般的な法律を守る限りどんな宗教でもどんな主張でも許されるというのが多様性の基本ではないだろうか?


例えば差別の蔓延っていた過去のアメリカではレストランで黒人はお断りとか日本人は来るな!


と理由なく出禁になっていたなんて話もあります。


レストランは何らかの理由があれば出禁にすると思いますが何もやっていないのに出禁するのは差別的であり多様性のない状態です。


では多様性とはなんでしょうか?


レストランで例えるなら料理を注文してお行儀よくご飯を食べる限り誰でも食事ができるわけです。


一つのレストランで日本人がいたり白人がいたり黒人がいたりアジア人やアフリカ人がいてもいいし

ルールを守る限り障害者であったりケガ人でも食事を提供する。


それが多様性です。
LGBTだからメシを食わせないなんて事がないのが多様性だし


ドレスコードがなければ女装をしていてもいい訳です。


現状、多様性を語るポリコレとかLGBT活動家の方々はいろいろ勘違いをしているのは


ルールを守っているのに迫害されている人がいたらやれば良い事をわざわざやる


例えばジェンダーレストイレが話題になったからその話で言うと


まず、LGBTの方々がトイレを使えない

少しでもLGBTだと分かったら男子トイレも女子トイレも使えない


不当な差別を受けているという事実があって初めて対策を練るべきです。


そういう意味で言えばヨーロッパなどはLGBT理解増進法は必要だったと言えます。


キリスト教で同性愛を禁じている背景があるためですね。


例えばゲイのカップルが歩いているだけで石を投げられたり


男友達同士、ホテルの同じ部屋で泊まれなかったりなんて話を聞くと海外では必要な法律であったのは間違いない


ただ、現行の法律を捻じ曲げてまで優遇したのは間違い。


日本なら誰も気にしない程度の事でも石を投げられていたからLGBTに関する法律ができた。

多様性を確保するために必要な事だった。


多様性を語るなら拘ってはいけない

多様性を求めるあまり拘りが強くなってしまっては本末転倒だ。


ハリウッド映画とかでは常にいろいろな人種で配役しなきゃいけないとか


ポリコレに配慮して人魚姫のアリエルを白人から黒人にしましたとか


多様性にこだわるあまり白人軽視とも言える状況、ある意味で自虐的な事をしている。


更に拘るばかりにその基準から外れると評価をしないという馬鹿げた事になっている。


物事の本質で言えば多様性とはいろいろな種類がある事です。


これは良くてあれは悪いという基準が固まりすぎて多様性が逆になくなっている。


ハリウッド映画を例えに出したので日本のアニメも話していこう。


日本のアニメは多様性があり昨今の風潮とは真逆だ。


アニメは流行り廃りはあれど多様性に満ちている。


LGBTに配慮しているかと言えば配慮してるのかは分からない。


例えば町の服屋、その店主がゲイなのか女装が趣味なのか分からないけどそれっぽかったり


ファッション誌のグラビア撮影でカメラマンがゲイっぽい感じだったり


女の子の日常を描いたアニメで先輩の女子が好きすぎる後輩女子などなど


匂わせつつも主張しすぎないバランスで登場する。


これは話のメインではなかったりするからというのもあるけど


その方がリアリティーがあるからだ。

実際、LGBTの方々だって誰にでも自分の性癖を暴露したりはしない


それっぽいな〜と思わせるだけでいいのだ


多様性が〜とかLGBTの人を出さなきゃと意識しすぎると気持ち悪い感じになる。



明らかにLGBTをアピールしながら生きている人はいないし

女性で男が大好き!って普段からアピールしない。


そう意識しすぎるのが良くない


多様性は意識しすぎても良くない

多様性に配慮しますではなくみんなが気持ち良く使えるルールを作る事が1番いい。


マイノリティばかりを優遇するとマジョリティ、多数派が窮屈になる。


ジェンダーレストイレにしても今まで通りで良い事をいじった結果、使いにくい事になってる。


大事なのはみんなが気持ちよく使える仕組みなのだ。


改変する事で悪用できたり、一部の人が極端に優遇されるのは良くない。


多様性とは優遇ではなく、隣人への無関心

極端な例えですが多様性を得るのに大事なのは優遇ではなく無関心です。


例えば隣人がレズのカップルであったとしてもごくごく普通に男性が好きな女性

女性が好きな男性には関係ない事です。


レズのカップルだから仲良くしようではない。


まあいいかと割り切って普通に付き合えばいい

エレベーターの中で雑談したり
スーパーマーケットで出会ったら世間話をして、お祭りなどのイベントでは協力しあう。


それだけでいい。


友人として付き合うならそれで問題なく過ごせるわけです。


多様性のある社会というのはきちんと相手のプライベートに気を使う社会の事です。


結論、問題が起きていないのにルールを変えるのは異常


いろいろ書いてきたが、結論をまとめると
何か問題が起きたから法律、ルールが作られるわけで
何も問題が起きていない状態で法律を作ろうとしているから問題になる。

例えばLGBTである事がバレると命の危険があるとかだったら法律を作るべきだと言えますが

問題が起きていないのに法律を作ろうとするからおかしくなる。
ポリコレなどもそうだし、SDGzもそう。

問題が起きていないのに法律を作るというのは利権や特権を生み出すためとしか思えない



変にジェンダーを意識させたりとかするし


多様性を主張する人ほど、他人へ寛容さが足りない事があるし利益を貪ろうというハイエナにしか見えない


真の多様性というのは少数者を優遇するのではなく普通に扱う
法律を守る見知らぬ他人ならどんな格好をしていてもスルーする事が大事になる。


ルールを変えるのはトラブルが起きてからでもいい
トラブルが起きているのに法律を変えない事もあるからな~日本

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