陽炎[短散文]
眼前に足を畳んで転がる蝉があった。
茂みから突如飛び出して、僕の頭に勢いよく衝突したあと、しばらく周囲を漂ってから眼前にこてんと落ちて動かなくなった。ただそれだけのことが起きた。
夏半ば、眠気を抑えるためにコーヒーを買いに出た。
空気が喉に重たくのしかかってくる。電線が走る黒い空に数少ない星を見て、少しいびつな作りをした曲がり角を曲がったとき、前頭部に衝撃を覚えた。次の瞬間にはなぜか目の前で命が絶えていた。
勝手に飛んできてぶつかって、その命が目の前で鳴き止むのをわざわざ目の前で目に焼き付けられた。性の悪い当たり屋だと思った。
夜半でも夏の炎天下に放置されたプールのような不快な温度が身体にまとわりついて、身体の何処かしからか苛立ちがこみ上げてくる。既に汗をかき始めたアイスコーヒーを片手に、半月が少し膨らんだ中途半端なカタチを眺める。
先ほどの蝉は、この暗闇の中、1つの鳴き声も出さずに死んだ。
その羽を最初に翻してから数日の命が、けたたましい声をあげて次の世代へと命をつないでいくそれだけの定めを全うして、目の前に落ちていったことを思うと、ひどく羨ましく思えてきた。
同じ道を辿って家に戻ると、そこにはその身体が道端にあるままだった。
僕はそれを拾い上げて、近くの塀に置いた。
夏は空気が揺らいで見える。
きっと僕は観測者ではなく、その揺らぎの中で共に揺れているのだろう。