大学二年の夏休み(アメリカ留学#12)
留学開始から一年が経った。無事二学期の授業を修了した僕は、約三か月もある長期夏季休暇を日本ではなく、アメリカで過ごすことにした。これは夏休みを利用して、アメリカ内を旅行するだとか、アメリカでバイトや夏期講習を受けるためだとかが目的の滞在ではなく、ひとえに英語力向上のためだった。
理想とはかけ離れていたが、僕の英語力はそれなりに向上していた。環境への慣れもあったかもしれないが、渡米当初に比べて、大分英語が聞き取れるようになってきていたし、返答もいくらかスムーズになっていた。①一日一回(挨拶も含む)誰かと英語で会話する。②毎日英語で日記をつける。③日本人とは話さない。この自分で定めた三つのルールは、絶大ではないが、それなりに効果はあったようだ。ただ、まだ満足できるレベルには達していない。もう少し、あと少しで土台が完成するという感覚があった。もしこのタイミングで日本に帰ってしまうと、再びアメリカに戻ってきたとき、また土台を作り直す作業にはいらなくてはならない。そんな予感がしたからこその夏期滞在だ。
通常、夏期講習や大学内、もしくはその近くでバイトやインターンシップがある生徒のみ、夏季休暇中に寮で住むことが許されるのだが、前述のとおり、僕はただただ滞在したいだけ。滞在しなきゃいけない理由はなかった。本来ならば、寮に住むことはできないのだ。しかし、言ってはみるもので、「夏休み中、寮に住みたい!」とハウジングのスタッフに伝え、そのスタッフがその上の者に伝え、その上の者がほかの者に話を伝え、最終的に寮に住むことが許可された。意外と何とかなるものだ。
かくして、僕は一年前、留学開始時に入居したところと同じ寮へと一年ぶりに舞い戻ってきた。外観や、室内の匂いが当時を思い起こさせて、ノスタルジックな気分になる。僕が住むことになった部屋は最大六人が住むことができる部屋で、二人部屋が二つ、一人部屋が二つ、リビング、キッチンという間取りだ。ユニットバスは各部屋に一つずつ付いている。僕はその二つある二人部屋の一つに住むことになった。ルームメイトはいるにはいたが、彼とは一度会ったきり、会うことはなかった。事情はよく分からないが、彼はその部屋で寝泊まりしなかったのだ。変な話だ。
というわけで、実質一人部屋を手にした僕にはシェアメイトが三人いた。大麻好きのY。インド出身のチャイ。ドイツ出身のマックスだ。彼らと、夏休みが終わるまで約三か月間、生活を共にすることとなる。が、事はそう穏便に運ぶことはなかった。
大麻好きのY
Yはそんなに悪い奴ではなかったと思う。いいやつだと言い切れないのは、彼と話したことがほとんどないからだ。彼は先述の通り、大麻(ウィード)が好きで、日がな一日中吸っていた。大麻は僕のいたカリフォルニア州では合法なので、州法では吸うことは違法ではないのだが、ややこしいことに連邦法上では違法だった。そして大学が元々国の所有している土地に建てられているとかで、大学内は勿論、その周辺で吸うことも違法ということになる。日本に住んでいると大麻に親近感は覚えづらいので、当時の僕は「え?大麻?まじ?」という感じで驚いたものだが、アメリカでは合法の州では、それこそタバコや酒のような感じでカジュアルに利用できるものだ。映画からの知識で、薄暗い路地で怪しげな風体の人物から現金で取引するものだというイメージがあったが、ちゃんとした店舗で売られているし、中には健康商品みたいなパッケージで売られているのも見たことがある。
大麻に親近感がない僕は、大麻というだけで拒否感があったが、合法なのは知っていたし、連邦上や大学内のルールで禁止されていようが、酒やタバコをこっそり楽しんでいるようなものだと捉えて、気にしないようにしていた。大麻にも興味はなかったので別に一緒に吸わなければ平気だろう。むしろ吸っているからと言ってYに対して偏見を持つのは良くないと考えていた。
事件は、比較的すぐに起きた。Yは前々から大麻を吸っては、大音量で音楽を流して部屋でボーっとするのが好きで、その音量に対して他のシェアメイトが文句を言っていた。ある夜、部屋のチャイムがなり、僕が出ると二人の女の子がドアの前に立っていた。ハウジングのスタッフで、寮のトラブルを解決したりする雑務をこなす代わりにタダで寮に住んでいる同じ学生だ。
「あの、音がうるさいって苦情がきてて。もう少し静かにしてくれる?」
口調は柔らかくて、笑顔だった。プロだな。しかし、そんなことを僕に言われても、音を流しているのはYなのだ。彼に直接言ってもらわないといけない。僕は、ドアを開けて彼女たちに見えるようにYの部屋を指さして、「彼に言ってくれ」と言った。すると彼女たちは鼻をすすり何かをかぎつけると、顔を見合わせて部屋を出ていった。
数分後、警察が来た
どうやらハウジングのスタッフたちがYの部屋から漏れ出る大麻の匂いに気づき、警察を呼んだようだった。僕、インド出身のチャイ、ドイツ出身のマックス、そしてYと彼の部屋にいた彼の友人三名(よくそんなに入ったな)がリビングに呼び出され、簡単な事情聴取のようなことをされた。謎だが、警察は誰が通報したのかわかっていなかった。なので僕が「おそらくハウジングのスタッフだと思います」と言うと、じゃあハウジングのスタッフ呼んだのは誰?という話になり、ドイツ出身のマックスが名乗りを上げた。
Yは気が動転しており、泣いて騒いでいた。それもそうだろう。彼は大学のルールを破ってしまい、そのことがばれたのだ。大麻を吸うということがどれほど重いことなのかわからないが、彼にとって良い結果にはならないだろう。「ふざけるな!」、「お前のせいで俺は終わりだ!!」とマックスに怒鳴り散らしていた。マックスは怒鳴り返すことなく、淡々と警察に事情を話している。
「ハウジングにチクる前に、自分で言えばいいのによ。・・・腹立つ奴だぜ」
そう言うのはYの友人の一人だった。彼の言葉には確かに納得できた。いちいち外部の人を呼ばずに内々でコミュニケーションをとることで穏便に済ませることはできたはずだった。Yは別に人の意見を聞かず、迷惑すら気にせず傍若無人の振る舞いをするような人物ではなかった。明るく話すやつだったし、「ビールいる?」と笑顔で話しかけてくるような気さくな面があった。共用の洗濯機に彼の洗濯済みの衣類が入っていた時も、それを言ったら「ごめん、ごめん!」とすぐに回収してくれた。「音楽小さくしてくれない?」と頼めばそれで収まる可能性も十二分にあったことだろう。
だが同時に、違反している人に対処して欲しいと、それを取り締まる機関にお願いすることは、これもまた間違っているとはいえない。結局、マックスの言い分もYの言い分も完全に間違いとは言い切れない。その夜、Yに同情して僕は少し苦しい気持ちだった。
それから数日後、Yは部屋を出ていった。風の噂によれば大学を辞めたらしい。元々大麻の吸いすぎでやる気を失い、授業をさぼり気味で、そのせいで夏期講習を受けなくてはいけなかったのだが、それすらもさぼっていたという話なので自業自得といえばそうだが、なんだか複雑だった。
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