初めてのレストラン(アメリカ留学#2)

 エドワードとのドライブが終わりに近づき、僕の視界には、その後四年間幾度となく訪れる事になる大学の近所の光景が映っていた。日用品から、食品の買い物に使うことになるスーパーマーケット、好みのセンスじゃないけど近いからという理由でお世話になる服屋や理髪店。客が少なくてゆったりと観れる映画館。たまに一人で考え事をしたいときに行くカフェなど、あらゆるジャンルの店が一区画に集っている場所が大学の近くにあった。

「お腹すかないか?」

 そうエドワードに尋ねられて、そういえば(乗り物酔いがひどいので)、機内食も全く食べていないことを思い出した。「すいてる」と軽く返事をすると、エドワードは車をとあるレストランの前に停めた。そこはChipotle Mexican Grill(チポトレ・メキシカン・グリル)という、レストランというよりメキシカン料理を手軽に楽しむファストフード店だった。

 ちなみに似たような店でTaco Bell (タコベル)というのがあるが、チポトレはタコベルより値段が高い。が、その分食材の質がいい気がする。気のせいかもしれないが。

 チポトレは客と店員の間に様々な食材が置かれていて、客が好きな具材を言うとそれを盛ってくれるいわゆる、客がカスタマイズできるアメリカではポピュラーな形式の店だった。専用のスプーンで盛ってくれるわけだが、その様相はサーティワンアイスクリームとよく似ている。

 先に注文に入ったエドワードは、慣れた様子で注文を済ませると、そのまま近くの席に座った。舞台が日本からアメリカに移っただけだったが、どこか映画のワンシーンに見えて少し興奮したのを覚えている。すぐに僕が注文する番になった。そして、その興奮は冷や汗へと早変わりする。

店員が何を言っているか一ミリも理解できなかった

 本当に何一つ聞き取れなかった。その店員のアクセントだとか、仕事に慣れすぎて決まり文句を言うのが早口になっていたせいだとか、そんなことが理由にならないほどに、本当に何にもわからなかった。手も足も出ないとはまさにこのことだ。

「ごめんなさい。もう一度言ってもらえますか?」

 二回目も全くダメだった。おかしい。そんなはずはない。CAの英語だって、空港のアナウンスだって、エドワードの英語だって、それなりに聞き取れていたじゃないか。なんでここにきて店員の言っていることが理解できないんだ!こんな簡単なやり取りができないんじゃ、大学の授業なんてとても・・・。助けを求めるように席に座るエドワードに視線を向けるが、彼は吞気にスプライトを飲んでいた。ふざけるなエドワード!留学生をサポートするのがお前の仕事じゃないのかよ!

 何を頼むか悩むふりをして何とか時間を稼きつつ、焦りのなかで必死に頭を回した。英語が聞き取れないなら、英語力で理解できないなら、別の力で状況を打開するしかない。店員が自分に何を求めているのか、場の雰囲気と、状況で推理するしかなかった。ちなみにこの能力は、英語力が養われるまでの間、僕のアメリカ生活を大いに助けてくれることになる。

「!・・・ブリトーで」

「・・・OK」

 通じた!思った通り、彼はどのような形式を僕が望むかを聞いていたのだ。チポトレは好みの食材を好みの形式で提供してくれる。それは丼だったり、タコスだったり、肉をぬいたサラダにしたりだ。悩むふりをして店内頭上に掲げられているメニュー表で目についたブリトーを言って正解だった。ようやく注文が動き始めた。

「msidqwnkdn2iey2387239ur23iohw2ndkwqjdioq?」

 だからなんて言ってるかわかんないよ!焦り通り越して、若干怒りがわく。一応聞き返してみたが、やはりわからない。しかしこの店員、聞き返してるのに全く話すスピード変えないな。むしろ速めてないか?くそ。エドワードは頼れないしな。自分で何とかするしかない。

 ブリトーの時同様、焦った様子をなるべく見せないように努めつつ、お得意の悩むふりをして、メニュー表に助けを求めた。しかし読めない。メニューが。というかメニューのどの部分が店員の求める答えなのかすらわからない。焦りは加速する。自分の中のタイムリミットが迫ってきていた。明確に定めているわけではないが、僕の中には会話を成立させるうえでレスポンスにかけていい時間というのが何となく決まっている。状況によって多少は変動するが、基本的には一定だ。それを伸ばすために、悩んでいるふりをしていたのだが、さすがにリミットが近い。今思えば、素直にアメリカに来たばかりで英語がわからないと助けを求めればよかった。エドワードにスプライトを飲むのをいったんやめてもらって、適当に彼に注文してもらうこともできた。しかし当時はその考えには至らない。それは焦りと、「このぐらいできなくては大学生活なんて無理だ」と感じていたからだ。刻々と迫るタイムリミット。訝しげな視線を向けてくる店員。大学生活への不安でより加速する焦り。空気が雰囲気が僕を圧迫していた。辛くていたたまれなくて、何とか何か言おうと必死に口を開いた結果、ぼくの口から出た言葉はーーー

「YES」

 全面降伏だった。「YES」をGoogle翻訳で日本語に訳すと、「はい」と訳されるが、当時のこの状況で僕が放ったこの「YES」の意味は、「何でもいいです。あなたの言う通りでいいです。何が来てもそれをいただきます。なのでもう僕を解放してください」である。店員は不思議そうな顔をしながら食材を盛っていく。以降なにか店員に聞かれるたび、僕は「YES」と答えた。そうして出来上がったのはとてつもない大きさのブリトーだった。ブリトーに何を入れるか聞かれるたび、「YES」と答えたからこその結果だ。

 結局、あまりにブリトーが大きすぎるので店で食べきることができず、翌日残りを食べることになった。味も色んな食材が混ざりすぎてよくわからない代物だった。確かにレストランでの注文は何とかこなせたが、もっとうまくやれば、自分好みの美味しい食事ができたはずだ。

「YES」は役に立つが、むやみに頼ってはいけないことを僕は学んだ。

 ちなみに、この話は後に僕の軽く笑える鉄板トークとして、交友関係の構築に役立つこととなる。ありがとう、チポトレの店員とエドワード。君たちのおかげだよ。


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