「I can't speak English」と言うのをやめた(アメリカ留学#8)
僕がアカウンティングの授業で笑いを起こそうと挑戦した時、静まり返る教室で、唯一笑みを浮かべた男D。互いに初対面の挨拶を終えた後、特に何事もなく別れたそんな彼との再会は、想像以上に早かった。
アカウンティングの授業の翌日、僕はスペイン語の授業に出ていた。どうやらアメリカの大学では(日本もそうかもしれないが)、外国語の授業が必修科目からしい。しかし僕は日本人、つまり外国人なのでそのルールは適用されないと事前に説明を受けていた。ではなぜスペイン語の授業をとっているのか。それは単純にスペイン語を学びたかったからだ。
英語、つまり外国語は勉強もスポーツも不得意で、何の取り柄もないと思っていた僕にとって誰かに誇れる能力だった。なので外国語を学ぶ楽しさは人一倍知っていたし、新しい外国語を習得したいと思っていた。ちなみに当時、僕には好きな人がいて、彼女はスペイン語を話すことができたので、彼女を驚かせたいというチャラい目的もあるにはあった。
毎度おなじみ好みの席を見つけ、座る。四席に対しテーブルがひとつ。僕は右端に座った。左奥、その隣と席は埋まっていき、僕の左隣の席は空席のまま授業が始まった。教授はネイティブのスペイン語話者みたいで、英語にもその訛りが出ていた。開口一番にスペイン語で何事かをまくしたてるように矢継ぎ早に話されたときは、間違えて上のレベルの授業をとってしまったかと思ったものだ。
授業が始まって数分、入口からヌッという効果音が出そうな様相で、大男が教室へと入ってきた。身長は二メートル近く、髪は刈り上げの割合のほうが多いほどの短髪。見事に生えそろった髭に、あんまり似合っていない黒縁の眼鏡。そして何より、素手で机を叩き壊せそうなほど隆起した見事な肉体。Dだった。昨日挨拶したあのDだ。この風体は一日で忘れられはしない。
Dは何かの書類を教授に手渡すと、空いてる席に向かって歩き出す。そう、僕の隣だ。なんと早い再会なのだろうか。どんなに早くとも次のアカウンティングの授業まで会わないと思っていたのに。Dはクラス中の視線を集めながら、僕の隣の席に座った。彼が座るのを確認すると先生は授業の説明を続けた。他の授業と変わらず概要説明のみだ。
「Hi. I'm D. What's your name?」
こいつ、僕のことを忘れてやがる!"Go Ahead!"でお馴染みの僕の名前を、昨日の今日で容易く脳から消し去った彼の笑顔はそんなことを微塵も感じさせないほどフレンドリーで爽やかだ。それに応えるように、僕も完全に初対面のつもりで二度目の挨拶をした。程なくしてスペイン語初回の授業は無事に終わった。そして、先生の指示により、席が隣の人とペアを組み、なんと今後そのペアとスピーキングのテスト(バッチリ成績に入る重要なもの)を行うという。頼むぞD。どうか君のパートナーを忘れてくれるな。
「アメリカに来てすぐパーティーに行ったんだよ。で、そこで知り合った子と仲良くなって、んでそれが今の彼女。今彼女の家に住んでんだ。彼女はスペイン語できるからさ、困ったら課題とかやってもらおうと思ってる」
D。君は絵に描いたようなフレンドリーガイだ。自分と違いすぎて感心してしまうよ。Dはイギリスから来た僕と同じ留学生だった。ただ、彼の幼少期は少し複雑で、ブルガリアに生まれ、ロシアに引っ越し、そしてイギリスに移住したという歴史があり、おかげで彼は三か国語を話せるらしい。イギリスに住んでいる期間が最も長いらしいのだが、僕が冗談で、「じゃあイギリス出身だな?」と言うと、「いやブルガリア出身ね」と決まって彼は返してきた。「故郷のイギリスはこういうところどうなの?」と聞くと、「俺の故郷はブルガリアね。でもそうだなイギリスだと・・・」と返してくる。幼少期のほとんどをイギリスで過ごしたというのに、そこで生まれたというその一点だけで、彼はブルガリアを強く、故郷として想っていた。日本生まれ日本育ちの僕には理解できない感覚だが、同時に自分が持ちえない感覚を持つ彼のことを少し羨ましいと思った。
スペイン語のスピーキングテストは、出題範囲内(語句や文法)でペアで自由に会話の台本を書き、それを見ずに先生の前で披露するという方式だった。なのでなるべく必要最低限かつ覚えやすい台本を仕上げねばならず、そこそこの頻度で、テスト前は彼と打ち合わせをしていた。その関係で、当然テストに関係ない雑談をする時間も増えていった。
当時の僕の英語力はまだまだ低く、自分でも到底満足のいくレベルには達していなかった。ちゃんと聞き取れるのに、言葉が思うように出てこない。その苦しみがフラストレーションとなり蓄積されている状態だった。今日はうまく話せたかと思えば、明日には自分の能力の低さに落胆する。自信の獲得と喪失を繰り返す日々をおくり、精神は徐々に擦り減っていく。そんな中で、Dは僕の話すスピードが遅くても待ってくれたし、知らない言葉があれば教えてくれた。「Listen」は聞こうと思って聞くこと。「Hear」は(偶然)聞こえてしまったこと。と二つの言葉の違いを教えてくれたのも彼だった。
そんな彼の優しさに甘えて、僕は時折、彼に「そんなことないよ」と言ってほしくて「I can't speak English」と口にした。「英語が話せない」と弱音を吐いて彼に慰めてもらっていたのだ。たいていの人はこれを言うと、優しく否定してくれる。Dも例に漏れず僕の狙い通りに優しい言葉をかけてくれた。言わせているのはわかっていた。しかしそれでも、たとえ噓でも誰かにそう言ってもらうことで、何とか日々すり減らしている精神を保とうとしていた。これを間違っている、と気づかせてくれたのはDだった。
「いいか。俺は三か国語しゃべれるし、今新しく四ヶ国語目のスペイン語を勉強している。だから、俺はよく知っている。新しい言語を学ぶ大変さをな。時間がかかることなんだ。だから焦るなさとる。お前は英語しゃべれるよ」
ある日、また「I can't speak English」を発動したときに、Dは僕にそう言った。感動した。そして僕は自分を恥じた。「I can't speak English」と誰かに言われれば、「そんなことないよ」とたいていの人はいうしかないだろう。答えが決まっていることを言って、しかも内容が自信のなさから来るネガティブなものであるならば、誰が好き好んで聞きたいと思うのだろうか。
英語が喋れるかどうかを判断するのは他人であり、自分ではない。そんな当たり前のことに気づくのに随分と時間がかかってしまった。自分でどう思おうが、相手が自分の英語を理解できるなら、英語を喋れているのだ。理解できないのなら英語を喋れていないのだ。それを相手に理解できるようにわざわざ告げることに意味などない。人にとってはうっとおしいと思うだろう。相手にとって自分の英語力が自分的に満足のいくものであるかどうかなんて知ったことではない。そんなに自分の英語力が気になるなら英語のテストを受ければいいのだ。いちいち慰めを期待して相手の時間を奪うことの罪は重い。
Dの言葉は優しい彼なりの「いいかげんにしろ」だと僕は受け取った。彼は僕に言ったのだ。「自分の英語力が低いと嘆くのはもういいかげんにしろ。本当にそう思っているなら、しゃべれるように努力をすればいいだろう」と。そしてそれには時間がかかるし、既に僕は英語を喋れているというメッセージをも添えて、彼は僕を𠮟咤激励したのだ。だからこそ、彼の実体験が背景にある彼の言葉には心を動かされたし、そう彼に言わせてしまった自身の弱さを恥じたのだ。それ以来僕は「I can't speak English」を使うのをやめた。僕は自分が英語を喋れると信じているし、それを決めるのは自分ではないと知っている。
ありがとう、D。君は本当に絵に描いたようなフレンドリー”ナイス”ガイだ。心からそう思っているよ。
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