駆け出す。——『さよならデパート』ができるまで(4)
飲食業はたいてい、働く時間が長い。
私の場合は、朝の7時に起きる。8時前に小学生の娘の見送りをして、そこから仕込みを始める。ポテトサラダ用のじゃがいもを茹でて下味を付けたり、チーズをさっと燻したりだ。
午前中に買い出しを済ませ、店に戻ったら中断していた仕込みを再開する。お客さんが来る頃には、仕事を開始してからすでに8時間以上経っていることも多い。会社員時代に照らし合わせると、店先にのれんを掛けるのは残業の合図みたいなものだ。
まあ、それはそれで慣れてしまったし、そういう仕事を選択したわけなのでいいのだが、本も作るとなれば話が変わってくる。
仕込みと買い出しに加えて、資料収集や調査、取材もしなければならないのだ。コロナの影響で予約は減っている。日中2時間ほど確保できないこともない。
だけど、「この後、お客さんが来る」という心理状態でそれらをこなすのは、なかなか難しい。私の性分かもしれないが、そわそわして他のことに集中できないのだ。いろいろと備えておかなきゃいけないような気になり、どうも店のことばかり考えてしまう。
そんな暮らしをしているうちに、2020年の終わりが近づいてきた。
休業を決心した。
幸い、と表すべきではないのだろうが、その頃にはコロナ関連で飲食店へいろいろな給付金が出ていた。うちのようなひとり法人なら、しばらく収入を止めてもすぐに破綻することはない。
本来ならばその蓄えを取り崩しながら営業して、コロナ禍が明けるまで耐えるべきなのだろう。私の場合は、自社に「出版」という柱を据えるために貯蓄を投入する道を選んだ。
よく行く居酒屋で家族に打ち明けると、快く許してくれた。
「飲食店ばっかり、いいよね」
周りからはそんな声も聞こえてきた。というよりも、面と向かって言われた。
確かに。
給付金など「焼け石に水」で、大変な思いをされている飲食店は少なくない。ただし私の場合に限定すれば、「いいよね」と羨ましがられる状況だったのかもしれない。
「仕事はしない」「収入もない」「1日じゅう本づくりをする」
実際、こんな環境は大人になってからでは手に入らない。
裏の庭から石油が湧き出てきた、とかでもないかぎり不可能だ。それに、うちに庭はない。
2021年4月いっぱいで、いったん店の明かりを落とした。
「飲食店ばっかり、いいよね」
その言葉にどうも後ろめたさを刺激されたが、これは「与えられた機会」なのだと捉えることにしよう。
みんなが過酷な状況の中で日々を生きている。
私は、そんな方々の前に差し出しても恥ずかしくない作品を完成させようとあらためて歯を食いしばった。
安物のソーセージに混入した骨を噛んだのはその時だ。皮肉にも、食いしばった歯が揺れ始めた。
ぐらつく歯を舌先で探りながら、あらためて大沼の320年を見つめてみる。
やっぱり壮大で、自分にこれが扱えるのかとぞっとした。
だけど、やるのだ。
恐怖とか恥ずかしさとか、そういうものが私の背中に触れる前に駆け出そう。
ここからやることは3つ。
まずは資料の収集。次に取材相手の選定。
そして、出版社の設立だ。