「さよならデパート」——『さよならデパート』ができるまで(24)
ずいぶんと間が空いてしまった。
理由は明らかで、新作を書いていたのだ。
ビールと一緒に日本酒を飲む、とかだと難なくこなせるのだけど、文章に関しては同時に進めることがあまりできない。一方の世界に夢中になってしまうからだろう。とはいえ、そうも言っていられない原稿依頼を頂戴したりもしたので、同時進行にも挑戦していきたいと思う。
今書いているものについて少し触れると、次作は「戦後のとある温泉町」を舞台にしたノンフィクションだ。
置屋がひしめき、芸者たちが旅館をにぎわし、遊郭が男たちを誘って栄華を極めた場所だが、現在のクリーニングされた郷土史にその光景は描かれていない。
運良く当時の暮らしを随筆として残していた御婦人が居らっしゃって、ありがたいことに読者の方が引き合わせてくださった。その随筆を原作に、たっぷり追加取材をした上で、温泉町で起こった物語を形にしようとしている。これにすっかり没頭していたというわけだ。
さて本筋は『さよならデパート』だ。
表題と章題が一致して、いよいよ大沼デパートが破綻へと向かってゆく。
内容については本書を参考にしていただくとして、ここを書くタイミングで、著者である私に何が起こっていたかをお話ししてみたい。
『さよならデパート』の299ページから302ページまでは参考文献のリストだ。著者と書名、発行年と出版社が記されている。
仮に、自分や誰かの体験を、思い出だけを頼りにまとめた本であれば、こういったリストは不要だろう。けど、事実確認をしたり客観的な視点を入れようとしたりすれば、自ずと他の著作に頼ることになるわけだ。
その際に使用した本を列挙したのが参考文献リストで、先達への礼儀であり、関連書で詳細を知りたいという読者への情報提供でもある。
なぜか創作小説にはこの開示が免除されている向きもあるけども、ノンフィクションものに欠かしてはいけない。
リスト作成自体は単純な作業なのだけども、『さよならデパート』については参考文献が「70」ある。これらをまとめるには、結構な労力が要った。
いやほんとは、文献を使用した都度にリストを更新しておけばいいのだ。本文を書き終えたら、著者名を50音順に並び替えるだけで完成する。
ところが私は先に言った通り同時進行で何かを書くのが苦手だ。
「まあ、最後でいいよね」と気軽にさぼっているうちに大変なことになった。
買った文献を本棚や段ボール箱から引っ張り出して、1冊1冊奥付を確認する。加えて図書館の蔵書にも頼っているので、そちらも再び確かめる。
こいつは混じりっ気のない二度手間だ。こんなに無駄な時間は経験したことがない。
強いて言えば、水加減を間違えてスライムみたいな米を炊いてしまった時にも似た感じを味わったけども、もちろん後ほどおいしくいただいたわけだから、これほどじゃない。
原稿の締め切りが迫ってくる中、呑気に先送りしていた過去の自分を引っ叩いた。
ほぼ1日分の貴重な作業時間を費やして、リストが完成した。
だけど、こんな苦労はまだかわいいものだ。
本作りの道には「校正・校閲」という最大の難所が待ち構えている。