着火。——『さよならデパート』ができるまで(3)
電話をかけた相手は、宮城県に住む作家さんだ。
出会いは2017年。私が作った初めての本『キャバレーに花束を』をたまたま読んで、料理店にまで足を運んでくださった。それ以来の付き合いになる。
ここに名前を出してもいいですかとお願いしたら、きっと許してくれるだろう。だけど、独自の作家性をしっかりと築いて活動されている方だ。そのじゃまをしたくないので、ここではIさんとしておく。
Iさんは、私の書いたものをいつも大袈裟なくらいに褒めてくれる。さまざまな語彙を駆使して、自信と意欲に火を付けてくれる。
「大沼デパートのことを、書いてみようと思うんです」
声色に出ないよう隠していたが、Iさんの激励に期待していた。
夏空の下を歩きながら、私はスマートフォンを左耳に当てて打ち明ける。
あの日、地下売り場で涙する人々を目の当たりにして以来、置き去りにされたような喪失感を晴らす方法を探していたのかもしれない。
ある人は酒になぐさめを得ただろう。ある人は債権者集会に出掛けただろう。
私にとっては、それが本の制作だった。いや、お酒にも大いに助けてもらったけども。
手にはある資料があった。
大沼から提供してもらったものだ。
ちょうどこの頃、大沼は「閉店セール」として一時的に営業を再開していた。1月に突然店を閉め、お客に何もあいさつができなかったということで、かつての従業員を集めて夏の数ヶ月だけ姿をよみがえらせたのだ。
企画したのは、商業施設の再生を事業とする会社「やまき」だ。
青森の百貨店「三春屋」にも関わっている。
やまきは「翌年の夏には大沼を本格的に復活させたい」と希望を打ち上げた。
私は半信半疑だった。
いや、内心のほとんどが「疑」だった。県民の大半も同じ気持ちを抱いていたことだろう。実際に閉店セールの売り場を歩いても、「大沼の箱を使って一儲けしよう」という企画者の意図がにおった。
とはいえ、お客と従業員との再会の場としては貴重だった。
男性社員の多くはすでに転職して参加できなかったそうだが、パートで働いていた女性は、売り場のあちこちで笑顔と共に頭を下げていた。
私にとっても絶好の機会だ。
大沼側に「本を書きたい」と持ち掛けると、親切にも事務所に残っていた資料を差し出してくれた。破産の際にほとんどを処分してしまったそうだが、詳細な年表が手に入ったのは大きな収穫だった。
Iさんに電話をしたのは、その帰り道だった。
「渡辺さん、正直、僕は震えましたよ」
私の下心を超える励ましが返ってきたので、何だか罪悪感すら感じた。だけど、実行に移す覚悟はそこで決まった。
「どうも創業から320年の歴史があるらしくて、どういった切り口で書いたらいいか迷ってるんです」
最初から最後までを扱うには、情報があまりに膨大だ。上下巻に分けたくはないし、1冊にまとめようとしたら内容が薄くなるだろう。
じゃあ、ある一点に絞り込んで書くか。破綻の裏側を追うとか、『キャバレーに花束を』でそうしたように、さまざまな人の思い出を聞き書きでまとめるとか。
「いずれにしても大沼のことを知らなきゃ書けないので、ざっと320年の流れを調べてみますよ」
互いの近況報告やコロナ禍への愚痴なども含め1時間ほど話して、スマートフォンをポケットに戻した。
——さて、どのテーマに絞ろうか。
もらった年表に目を通してゆく。
私の知らない大沼と、山形の姿がそこにあった。
江戸時代から明治、大正と追うごとに、物語は膨らみ加速してゆく。
プツッと鳥肌が立つのが分かった。
まずい。
これはちょっと面白過ぎる。
年表を閉じた時、最も厄介な選択肢だけが目の前に残った。
「320年、全部を書かなきゃいけない」
ずいぶんと重い荷物を背負ってしまった。
だけどもう引き返せない。
大沼に協力してもらい、家族にもIさんにも本を作ると伝えている。何なら、調子に乗って新聞社の知り合いにも高らかに宣言済みなのだ。
やまきの閉店セールは、やがて整列した元従業員の深い礼で幕を下ろした。
以来、大沼復活の声は遠くなってゆく。
私は、地面が足の形に沈むほどの一歩を踏み出した。