「炎は消える」——『さよならデパート』ができるまで(21)
長かった昭和が、この章で終わる。
山形中心街の戦後を牽引してきた人間たちが、次々とその寿命を燃やし尽くす、書いていても悲しいパートだった。
さて以前書いたのだけど、次章の平成からはやや語りの視点を変えようと考えていた。第三者としての俯瞰では新聞のつなぎ合わせと似てしまう。それならすでに出ている記事で事足りるわけで、本にする理由がない。何より読まれる方が飽きてしまうかもしれないと考えたからだ。
もっと生々しく、大沼の中に居た人の目で終焉までを描きたい。
『さよならデパート』の制作を決意した時、初めに協力してくださった方が居る。この方の人生をたどる形に編集しようとしたが、心変わりがあったのか、ある報道を境に「大沼のことにはもう一切関わりたくない」と言われてしまった。
それでも構想は捨てられなかった。
私は物事を考える時、とにかく歩く。自宅からとあるブックオフまで徒歩で約50分なのだけど、売り場を眺める時間を含めて往復2時間。これがちょうどいい。
体を動かしているのがいいのだろうか。
リズムが付くのがいいのだろうか。
とにかく私は机にじっと座って考えるのは苦手だし、そうやっていいアイデアが湧いてきた経験もあまりない。ついネットで面白画像とかを閲覧しちゃうので、体を外に放り出してやった方が頭も仕事をしてくれるというわけだ。
今みたいに暑いとそれもできないのだけど、この時は冬に向かう季節でちょうど良かった。思案を巡らせながら何日かブックオフ通いをしていると、帰る途中で着想が降ってきた。
あまりに簡単な答えだった。
ミキさんだ。
彼女は大沼デパートの元社員で、突然の自己破産に巻き込まれた当事者でもある。
破綻にまつわる報道では、テレビカメラの前で「大沼じゃなきゃだめなんです」と涙ながらに語っていた。
恨み言のような本にはしたくなかったので、彼女の「大沼愛」は貴重だと思い、一番最初に取材を申し込んでいたのだ。
そこで得られた数々のエピソードは、傷を負いながらも確かに前向きさを感じさせるものだった。
すでに原稿の冒頭には、ミキさんの告白が置かれていた。ミキさんに破綻の当日について語ってもらってから、時代をさかのぼり江戸時代の駒姫事件へ、という構成が出来上がっていたのだ。
——じゃあ、平成からミキさんの話に戻ればいいじゃないか。
最初と最後をつないでループさせる。
あまりにシンプルで、必然性を帯びた着想だ。
そんな当たり前のことが、私の頭の中では挫折や迷いの下に隠れてしまっていた。
いや、格好よく書いたけども、前に進むことばかりを優先して、構成についてじっくり考えるのがおろそかになっていたのだろう。
ブックオフからの帰路で、全身に鳥肌が立つ。
秋風のせいではなかった。
断られるだろうかと不安になりながらも、2時間を歩いて上がった心拍数を頼りにミキさんへ電話をする。
ただの取材依頼ではない。
この本を、そういった構成にしたいのだという意志まで伝えた。平成・令和編の主人公として、ミキさんの前向きさはうってつけだ。
気恥ずかしさからか、ややためらったような返事だったけども、すぐに承諾を得られた。
この時になってようやく『さよならデパート』という本が書店に並ぶ光景を想像できるようになった。