「新興」——『さよならデパート』ができるまで(17)
長編ものを書くときは、設計図を作るのが一般的だ。
例えば推理小説だったら「最初にどんな事件が起こって」「誰が登場して」「どういった手順で捜査をして」「いつ犯人を暴いて」「どのシーンで終わる」といったことを決めていく。いわゆる「起承転結」を組み立てるわけだ。
じゃあ、その設計図はどこまで細かく作るべきなのだろう。
どうやら、人によってかなり違うらしい。
ある方に話を聞いたら、それはもう緻密に仕上げるという。
会話の内容や情景描写まで含めるものだから、そのまま書籍にしてもおかしくないくらいの文章量になるらしい。もちろんその後は設計図に従って本文を編んでゆくわけだから、同じ小説を2回書いているようなものだ。
一方で、設計図をほとんど引かない作家さんもいるそうだ。
作業机に座って、ウイスキーを口に含んで、「さあ」と真っ白な原稿に文字を打っていくのだという。
私の場合は、そこまで極端ではないけども後者に近い。
全体の始まり方と終わり方を決めたら、必ず入れなきゃいけない事柄を箇条書きでメモしておいて、あとは本文へ出発してしまう。
設計図で例えれば「壁と屋根の形だけが決まっている」という感じだろうか。
そんな私でも、最初にミステリー小説の新人賞に挑んだ際は、割と細かく設計図を引いた。
事件の起こる順番やトリック、伏線の張り方、登場人物の立ち振る舞いなど、章ごとにA4用紙に書き出して、それに従って本文を進めていった。
そこで気づいたのだけど、飽きるのだ。
設計の段階では「面白い!」と自画自賛してはしゃいでいるのだけど、いざ本文を書きだすと、満腹の状態で食べるコース料理みたいに途中でやめたくなる。だって話の筋を全部知っちゃってるんだから。
ならば、読者である時と同じように「この後はどうなるんだろう」とドキドキしながら書いていった方がいい。
私の性格上、そっちの方が合っているようだ。
『さよならデパート』はノンフィクションなので、さすがに設計図なしでとはいかなかったけども、極力、読者に近い新鮮さを保って書くようにした。
資料を読み込んで、章の冒頭とラスト、書き漏らしちゃいけないことだけを決めて、あとは「どういう組み立てになるか分からないけど出発!」といった感じだ。
その試みに失敗して、3日かけて書いた文章を全削除ということもあるのだけど。
12章の「新興」は、山形から突然離れて「宝塚歌劇団」の話から始まる。
前の3章「双頭」「旅せよ日本」「摩擦」で、山形の中心街をズームアップしたシーンを多用したからだ。
このまま書き続けるとお腹いっぱいになるなと思った。
私がそう感じるということは、いずれ読んでくれる方も同じだろう。
そんなわけで、タカラジェンヌの華やかさに場面転換を頼ったわけだ。
結果としてその宝塚が、やがて来る「激突」への伏線として機能したので、私としてはお気に入りの章だ。