「炎上」——『さよならデパート』ができるまで(11)
本を作る時に難しいのが「終わり時を決める」ことだ。
どこを物語の最後にするか。推敲を何回繰り返すか。それぞれに悩むところだけど、私の場合は資料集めの区切りをつけるのに苦労した。
大沼側から提供してもらった詳細な年表から始まり、図書館での新聞記事探索にのめり込んでいった。どこかにかつての大沼の姿が隠れているんじゃないかと、来る日も来る日もマイクロフィルムを回す。
店を休業した2021年5月だった。
ある時ふと思い付く。
——昔の学校文集に、デパートのことを書いた作文があるんじゃないか。
県内各図書館の蔵書を調べてみると、長井市にちょうど大沼デパートが開業した頃の文集が保管されているのが分かった。
さっそく車を走らせ、長井に向かう。よく晴れた日だった。
ここの図書館に入るのは初めてだ。基本的にどの図書館も、古い資料は開架されておらず、カウンターで請求をして地下書庫から持ってきてもらうなどの手続きが要る。
私のように突然現れた男が、昔の小学生が書いた作文を見たがったら、たいそう不審がられるだろう。そこで「生き別れた家族の手掛かりを探す」みたいな雰囲気を出してカウンターに向かった。
これなら、不審どころか同情すらしてもらえるはずだ。文集と一緒に、冷えたゼリーなんかも出してもらえるかもしれない。
ゼリーは出なかった。
だけど文集は手元にやって来たので、最初のページから一枚一枚めくってゆく。たちまち、昭和30年代の子どもたちが紙面を踏んづけて立ち上がった。
デパートについて書かれたものはなかなか見つからない。
だけど途中で、やけに惹かれる文章に出会った。
ある女の子が書いたものだ。パンが好きだという彼女は、自分の親しい人みんなにおいしいパンを食べてほしいという。ここまでなら「将来はパン屋さんに」が定番の流れなのだけど、彼女は違った。
——この世の全てがパンになったらいいのに。
要約すると、そう願っていた。
無邪気な空想にうなずきながらページを繰っていくと、ついに発見した。
「デパートの思い出」だ。
それも女の子の作文だった。
大沼と丸久の2大デパートで活気づく山形市に、電車やバスに乗って長井市から家族旅行に出掛けた話だった。
小さな子の文章だから、詳細な描写を期待する方が間違っている。『さよならデパート』の本編に直接反映させられる材料はないだろう、と読みながら感じていた。
だけど、デパートへの憧れや家族と過ごした楽しさはじゅうぶんに伝わってきた。
やっぱり、大沼は特別な存在だったのだ。
確信を得ると同時に、私が生まれていない時代のにおいを嗅いだ気がした。
これが良くないのだ。
宝探しやタイムスリップのような享楽が、自ずから次の資料を求める。それが連鎖して、いわば「資料中毒」に陥る。日がな資料のことばかりが頭をめぐって、とうとう「資料っ!」と叫びながら眠りから覚めることになる。
「資料のはらわた」
これは流れに全く関係ないのだけど、ふと思い付いたダジャレなので書き記しておいた。
さて。
資料収集を始めてから、2ヶ月が経とうとしていた。
もちろん、その間は1文字たりとも本文を書いていない。
病院に行って資料中毒を緩和する薬でももらおうかと考えた。
もしくは、同じ悩みを抱える人々のサークルなどあるんじゃないか。参加者が椅子で輪をつくって、みんなでなんかいろいろ打ち明け合うあれだ。ありのままに胸の内を話したら、「頑張ったね」と拍手してもらえるかもしれない。私は涙しながら、資料中毒からの脱出を誓うだろう。
まあそれもいいけど、とりあえず書き始めてしまうことにした。
2ヶ月をかけて、320年のおおよそは頭に入れた。あとは書き進めながら、足りない情報を仕入れたり取材したりしよう。じゃなきゃ永遠に本はできない。
簡単に言ったけども、最初の1行を書くというのはかなり勇気が必要だ。
これについては次回に。
【ここから本編のネタバレあり】
私を資料中毒にした原因の1つが、この章で起こる「北の大火」だろう。
明治後期、そば屋の煙突から出た火が、かつて鬼県令・三島通庸の築いた街を灰に変えた。
当時の山形新聞は、これまでのレイアウトを捨てて、叫び声が聞こえてくるような生々しい紙面を世にまいた。火元に隣接しており、自身も全焼している。その上、ある他紙には「山形新聞から火が出た」とも書かれたそうだ。
事件を報じる迫力には、再起の誓いと潔白の証明が込められていたのかもしれない。
また、この章で登場する造り酒屋の大沼保吉は、以降の展開に影響する重要な人物だ。堕胎の危機をくぐり抜けて生まれ、大沼八右衛門と交流を深め、北の大火で一度は酒蔵を失うものの、やがて彼の会社はデパートのライバルへと育ってゆく。
【ネタバレここまで】
私の体は、これらの物語にすっかり震えてしまった。
今、七日町を歩くと、「ここから火が出たのか」とか「ここにあの酒屋があったのか」などと空想に困らない。
悲劇のフィルターを通して見る街は、胸にちくりと痛みを感じさせながらも、これまでなかった温かみも誘い込む。
たぶん、愛着というものなのだろう。
黒ずんだ大沼デパートの亡骸を見上げながら、遅かったと悔やんだ。