「旅せよ日本」——『さよならデパート』ができるまで(15)
クラスのみんなが何の話をしているのか分からなかった。
うわさが飛び交う「とんねるず」の番組は知らないし、「ドラゴンボール」の新展開にも付いていけない。一斉に「それが大事」って歌を口ずさんでいるけど、私は聞いたことがあるふりをして両肩を揺らすだけしていた。
ある日の移動中、私も鼻歌交じりで歩いてみた。
後ろから誰かが近づいてくる。気配を察しながらも声は落とさなかった。僕も歌えるんだぞと示したかったからだろう。
「大ちゃん、その曲って」
背後に立ったのは、転校生の中村君だった。
東京から引っ越してきただけあって、着ている服から垢抜けている。自宅には最新のゲーム機やピンボール台がそろっていて、いつだって私たちは彼の家に招かれるのを楽しみにしていた。
「授業で習ったやつじゃん。ダサいよ」
中村くんは笑いながら前方へ走り去っていった。
週に3回やって来る、スイミングスクールの時間が嫌で仕方なかった。
小学校から帰ると茶の間におにぎりが用意してあって、それをかじりながら夕方のアニメを眺める。出発の時間まで、大抵2つは観られた。2つ目の終わりが近づくと、いつもそわそわした。何かの間違いでプールが破壊されないかと想像しながら、おにぎりの端っこを飲み込んだ。
停留所標識の重石に腰を下ろしてバスを待つ。
来なきゃいいのに。やっぱり何かの間違いでバスが来なければ、スイミングの先生にもお母さんにも怒られずに休める。バスのせいなんだから。
でもバスは決まって時間通りに目の前に現れて、ため息みたいな音を立てながらドアを開けた。
間もなく私はさらわれる。窓の外の景色が崩れた。左手の親指と人さし指で挟んだ整理券には、次第に細かいしわが刻まれていった。
「十日町角」でバスから吐き出されて、スイミングスクールのある山交ビルまで足を引きずる。6階に到着すると、エレベーターの扉が開いてプールのにおいに肺を占領された。
1時間の練習が終わると途端に気が軽くなった。
迎えに来た母に連れられて、山交ビル地下のダイエーを歩く。中村くんの家はきっと、毎日こんなところで買い物をしてるんだろう。
書店やお菓子売り場の棚に視線を迷わせているうちに、私の髪が乾いていった。
「中学校に行ったら、バスケをやろう」
同じスイミングスクールに通う友人に誘われ、卒業を機に退会することにした。
初めて「事務所」というところに入って、しばらくコーチから説得を受けた。このまま頑張れば、国体選手も夢じゃないらしい。自分がそんなレベルに居るなんて知らなかった。けど、頭の中はすでにバスケットコートを走り回る映像でいっぱいだった。
終わったんだ。
クラスの話題に付いていけなかったのは、週に3回もここに通っていたからだ。みんながテレビを観ている時に。みんなが週刊少年ジャンプを読んだり、流行りの音楽を聴いたりしている時に。
母の運転する車に乗って、私は山交ビルの明かりから遠ざかっていった。
『さよならデパート』第10章「旅せよ日本」は、ある男の物語だ。
彼は、私を運んだ「山交バス」やスイミングスクールやダイエーが入居する「山交ビル」をつくった。
そして、彼の行動は大沼デパートにも多大な影響を与えている。
苦難と栄光に満ちた彼の人生を幼い頃に知っていれば、スイミング通いも楽しかったのかもしれない。
いや、さすがにそんなことはないか。
でも今になって駅前通りを歩くと、かつての黒く塗りつぶされたような「週3日」が、いつの間にかいい思い出に変わっているのに気がつく。
ただし、そこに幼い私の目を奪ったダイエーはない。
跡を引き継いだスーパーが、ひたすら日常の必要を満たしている。
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