みんなのプロトタイピング
「一体なんで、こんなに使いにくいものが世の中に出てしまったんだろう? つくる過程で誰か気がつかなかったんだろう?」
最近では、ユニクロの「エアリズムマスク」、ローソンのプライベートブランドのリブランディングの賛否をめぐり、大きな議論が巻き起こりました。この2つに限らず、みなさんも「こういうことなの? これでいいんだっけ?」という思いを抱いたことはきっとあるはず。
こんにちは。KESIKIの石川俊祐です。先日書いた記事、「さよなら、デザイン思考」を読んでくださったみなさん、ありがとうございます! 大反響にびっくりしております。
ぼくはデザイナーという職業柄、違和感を抱くことはしょっちゅう。すべてのものは誰かによってデザインされています。よって、家にいるときも、オフィスで仕事をするときも、街を歩くときも、違和感の嵐。つくったデザイナーやその会社のことを想像し、この「失敗作」に一体いくら投資をしたのだろうと、悲しい気持ちになることも。
もちろん、これまでに自分自身もたくさんの失敗を繰り返してきました。
なぜ、失敗に陥るのか。思い浮かぶ原因がひとつあります。
それは、「プロトタイピング」の有無です。
ユニクロやローソンの商品開発のプロセスはわかりませんが、これまでたくさんの日本企業と仕事をしてきた経験からいうと、このプロセスが抜けている企業が圧倒的に多い。
今回は、デザインを語る上では欠かせない、プロトタイピングについてお話しようと思います。
みんなのプロトタイピング。略してみんプロ。
そしてリモートワークが日常になった
新型コロナウィルスの流行により自由に外出ができない期間が続き、オフィスで仕事をする人たちの多くはリモートに切り替わりました。
ぼくたちKESIKIのオフィスには、プロジェクトごとの部屋があります。そこに思いついたアイデアの種や進捗などを付箋にキャプチャーして、壁に張り出し、仕事を進めるのがスタンダード。フィジカルに「見える化」しておくことが、いい仕事をするための必要十分条件だと考えていました。
ところが、です。
この3カ月弱の間、ぼくたちは、ほぼすべての仕事をリモートでこなすようになりました。奇跡です。社内ミーティングはもちろん、ブレストも、クライアントとのミーティングも、ワークショップも、オンラインイベントも、すべてオンラインツールを駆使し、進めています。
特にうちのサービスデザイナー、大貫冬斗が大活躍しました。オンラインワークツール「miro」を使って、仮想のプロジェクトルームを設置。その「部屋」は日々進化し、もはやリアルに集まってもmiroを通してプロジェクトを進めるほどに。
こうして、ぼくたちの会社ではすっかり、リモートワークが日常になりました。
「仕事をするだけだったら、もはやリモートでいいじゃん」という意見が大多数だったので、制限解除後も基本はリモート。金曜日を「出勤日」と決め、その日はみんなでご飯を一緒につくったり、お酒を飲んだりして、仕事以外のコミュニケーションを楽しんでいます。
大きな変化を求められたのは、ぼくたちの会社だけではありません。
社外にパソコンを持ち出すことを禁止していた会社。紙ベースでコミュニケーションを行っていた会社。飲み会で商談を進めるのが当たり前だった会社。
新しいオンラインツールの導入に始まり、コミュニケーションの方法やチームでの協業のしかたを根本的に見直したり、業務内容や人員の大幅なシフトを迫られた職場もあるでしょう。
なかにはそれにうまく対応できなかった会社もあるかもしれません。でも、ぼくたちの周りの会社からは「リモートで全然いいよね」という声がほとんど。
スムーズに対応できた最大の理由は、ぼくたちのまわりの企業が「つくりながら考える」ことを実践したからじゃないか、とぼくは思っています。
慣れないzoom会議。まどろっこしいslackでのコミュニケーション。でも、時間に猶予はありません。普段は議論を重ねて、制度やマニュアルを念入りにつくり込むところを、とにかく「えいやっ」と試してみる。少しづつ改善をしてみる。そして、社員の声を拾いながら、制度を整えていく。そんな職場がほとんどだったんじゃないでしょうか。
つくりながら考える。
実はこのプロセスは、デザイナーがプロダクトをつくる過程で行うプロトタイピングそのものです。新型コロナウィルスにより、ぼくたちの社会は半強制的に、そして一斉に、この方法を実践することになったんです。
「曖昧さ」を抱きしめよう
よく考えてみると、リモートワークという働き方はずいぶん前から世の中に存在していました。人材の多様性という意味でも、クオリティー・オブ・ライフの点でも、リモートワークが企業と働く人にもたらすメリットは様々な場所で語られていたように思います。
でも実際は、リモートワークを積極的に取り入れていた企業は、ぼくが知る限り少数派。ノマドワーカーという言葉もありましたが、あくまでマイノリティでした。語られるほど普及はしていなかった、というのが実情ではないでしょうか。
なぜでしょう。
答えは簡単。わからないことが多すぎるからです。
コミュニケーションは不足しないか。セキュリティーは十分なのか。勤怠管理はできるのか。いろいろな可能性がありすぎて、リスクや心配事を挙げだすとキリがありません。
絶対に間違ったり、失敗してはいけない。そんな思いに囚われると、明らかにメリットがあることはわかっていても、「今は変えなくてもいいかな」となってしまう。これではいつまで経っても物事は前に進みません。
日本の大企業からイノベーションが生まれない、だとか、スピードが遅いということが散々言われています。おそらく根本の原因は同じ。いきなり「正解」にジャンプしようと熱心に筋トレばかりしているうちに、さっさとスタートを切った人にゴールをされてしまう。そんな状態なんです。
プロトタイピングは、最初に「正しいかどうか」の判断をしません。「失敗」という考え方さえもしません。いくつものアイデアを、荒削りのままでカタチにする。ユーザーに使ってもらい、その様子を観察する。その反応やフィードバックを集約して得られた「気づき」もとに新たなアイデアや改良に着手する。こうしたプロセスを繰り返しながら、スピーディーに物事を進めていきます。
ぼくが所属していたIDEOに、「EMBRACE AMBIGUITY(曖昧さを抱きしめよう)」という言葉があります。ぼくはこの言葉が好きで、いまも講演などでよく引用させてもらっています。
誰だって「わからない」状態は不安で仕方ありません。新しいことをやろうとするときに、頭で考えだすと、思わず立ちすくんでしまう。暗闇に向かって全力疾走ができないのと同じです。そんなとき、小さい実験によって「これは行ける」と思える成功体験をつかめば、自信を持って振り切ることができます。
実際にプロトタイピングからは様々なヒット商品が生まれています。中でも「プロトタイピングの鬼」として知られるのが、ジェームズ・ダイソン。ダイソンの創業者であり世界的なプロダクトデザイナーです。 彼の名を世に知らしめたあの掃除機は、なんと5127台のプロトタイプを経てつくられたと言われています。
最近でも、ダイソンは新型コロナで医療機器が不足する中、たった10日間で人工呼吸器を開発して世界の話題をさらっていました。日本の大企業では考えにくいスピード感。さすがとしか言いようがありません。
早く、粗く、適当に!
よく勘違いされるのですが、プロトタイプは完成品の見本ではありません。特に「犠牲になるアイデア」と呼ばれる初期のプロトタイプは、あくまでユーザーと対話し、フィードバックをもらうための道具です。
まずはたくさんの案を出す。でも、いくらたくさんの案を出しても、その中から最も優れたものを選んで仕上げるという風に進めるわけではありません。フィードバックを踏まえて全く別の案を考えるということもしょっちゅうです。
「採用されもしないアイデアを形にすることに、そんなにリソースを裂く余裕はありません」。真面目な人からはよくこう言われます。
でも、心配ご無用。成功の秘訣は、「なるべく手間をかけないでつくること」だからです。早く、粗く、適当に(ここでいう適当とは「程よく」の意味で、「いい加減に」と言う意味ではありません!)、というのが鉄則。なぜなら人間は手間をかけたものには愛着が湧いてしまうからです。
人間というのは、思い入れが強くなればなるほど否定することができなくなってしまいます。商品のコピーを考えるときなどでも、渾身の一本、という感じでという感じ「バン」と出されると、出した方も出された方も後に引けなくなってしまうもの。
それよりも「とりあえずシェアしてみよう」くらいの軽い気持ちの方が、実はフィードバックをする方も意見を言いやすい。一つの案に執着せず、次にすすむことができます。
みんプロの時代、はじまる
プロトタイピングには、物事を前進させるということのほかに、もう一つ重要な役割があります。それは、致命的な失敗を防ぐということです。冒頭でお話ししたように、致命的な失敗の本質は、プロトタイピングの有無にあるのです。
プロトタイピングのプロセスでは、世の中に出す前に人々に価値を問います。だから、「世に出してみたら使えなかった」ということになりません。
例えばぼくは、つい最近までマイナンバーカードを持っていませんでした。書類の間に挟まって何度も行方不明になりそうになったり、水に濡れて破れてしまうんじゃないかとヒヤヒヤしたりしながらも、何年ものあいだカードの公布を受けずにペラペラの紙の通知カードで凌いでいました。
単純にぼくが面倒くさがりだ、というのもあります。使い手のことを考えているとはとても思えない面倒な手続きが必要なことが、デザイナーとして許せなかった。怒りを覚え、密かに抵抗しました。
ちなみに持論ですが、面倒くさがりで細かい人は、デザインに向いていたりします。世の中のプロダクトやサービスの多くは、面倒をなくすというところからスタートしているものがほとんどだからです。
プロトタイピングをしていれば、あんな設計にはならなかったはず。誰もが使う公共のサービスこそ、ユーザーの反応をきちんと拾ってつくるべきでしょう。
でも、これからは変わる可能性があります。そう期待したい。
なぜなら、誰もがプロトタイピングの実践者になったから。
もしも新型コロナの流行がなかったら、リモートワークが今の状態ほど普及するまでに5年、ひょっとすると10年くらいかかっていたのではないかもしれません。
働き方というのは「目に見えない」もの。だから、プロダクト以上に、体験してみないと良し悪しがわかりにくい。それを、言葉だけで説得しながら組織内に浸透させようと思ったら、考えるだけでも頭が痛くなるような大仕事です。
それが、何十万人も従業員を抱える日立製作所のような大企業が、数カ月のうちにリモートワークを標準化してしまいました。
まず、やってみる。つくりながら、考える。
ぼくたちは今、その価値を身をもって感じることができています。
さあ。みんプロの時代のはじまりです。
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