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気仙沼漁師カレンダーはじまりの話 【後編】
「気仙沼の誇りでもある漁師さんの魅力を世界に伝えたい!」
その一途な思いをもとに、もうもうと沸き起こった気仙沼漁師カレンダープロジェクト。「一流の写真家に撮ってもらう」「10年の期間限定」といったアイデアをどうカタチにして、実現に向けたのか。その発案者である気仙沼つばき会の斉藤和枝さんと小野寺紀子さんに、さらに詳しく話を聞きました。
前編はこちら
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漁師カレンダーを企画・発行する「気仙沼つばき会」は、もともと震災前に旅館や民宿、商店などを営む女将たちを中心に、気仙沼でおもてなしを考えようと発足した女性限定の会。震災後はUIターンで移住した若者など、さまざまなメンバーが加わり、気仙沼の魅力発信のための活動をしています。
超一流と組んでの船出
― 震災翌年の2012年に、長野行きの新幹線で突如として持ち上がった漁師カレンダーのアイデア。そこからどんな道のりを経て形になっていったんですか?
和枝
新幹線のなかでもうもうと盛り上がった次の日に、お世話になっている広告代理店のプロデューサーの方に、こんな考えがあるの、と、わーーって話したらもうね。すぐ、やりましょう!!って言ってくれて。
紀子
どんなカレンダーにしたらいいかって、つばき会のメンバーでもすごい盛り上がったよね。
和枝
仙台から福岡に向かう飛行機に、つばき会のメンバーで乗ってた時もカレンダーの話をしてたね。搭乗前に空港で朝ごはん食べながら「紀子と和枝の思いを聞いて!私たちね、今こんなこと考えてるの!絶対にやりたいの!」なんて言っていたら、みんなでまたもうもうとなって……。
紀子
危なく飛行機にのり遅れるところだった(笑)
和枝
アナウンスで呼び出されて(笑)慌てて乗り込んだ機内でも、みんなからもアイデアがどんどん出て、話の内容も声もヒートアップ。もう止まらない状態で、何度も「お静かに!」って注意されたよね(笑)。
もう最高級の、一番いいものを作っぺ、って話し合って。
紀子
そう、後世に残すものでもあるし、世界に発信するものだから。一流の写真家に撮ってもらおうってなったの。
― そうして2014年版の撮影を担当したのが著名な写真家、藤井保さん。豪華すぎます!
紀子
実は、私、藤井さんのお名前をはじめて聞いたとき、どれほどすごい方なのか理解できていなくて…。やりたいことは山ほどあるけれど、知識も経験もまるで無し。そんなド素人の私たちの話しを藤井さんは、じっくりと丁寧に聞いてくださったんですよね。
和枝
私たちは田舎のおばちゃんだから不調法にもほどがあるっていう。そもそもクリエイティブと仕事するということが分からなかったくらいだもの。世界に発信するカレンダーを作るためには、プロデューサーやデザイナー、ライターといった座組というか陣立が必要だということも、初めて知り、学ばせていただきました。
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撮影・藤井保さん
記念すべき第一作目は5000部完売
― 実際、巨匠を迎えての制作現場はどんな状況だったのですか?
紀子
最初は、被写体となる肝心の漁師さんたちに断られまくりで本当に大変でした。撮らせてくださいって言っても「俺はいいからー」ってすごい断られた。あと、私たち撮影のことも何も分からなくて。藤井さんは、お弟子さんを二人連れてロケ車みたいな大きな車できて、すべてが予想外!
和枝
藤井先生はすごく私たちの話を長時間聴いてくださいましたね。写真撮っているより私たちの話を聞いてる時間の方が長かったぐらい。カメラは、なんだかでっかい箱みたいなのだったよね。
紀子
そうそう。イメージでは、カメラマンさんが「いいねぇ、いいねぇ」って言いながら何枚もシャッター切るものだと思っていたのですが、パシャ、パシャ、パシャの3回で終わり。「本当に撮れてんだべか?」って思ったよね(笑)。
和枝
人を立たせて撮るとか、そういう発想もなかったから驚いて。芸術的なことも分からないし。とにかく、私たちのような普通の人が思いつくようなレベルで作ったのでは世の中に通用しないということだけは、よく分かった。
紀子
そう。私たち、世界一のものを作ってけろって言ってんだもん。
― 完成した2014年版は、なんと5000部完売だったそうですね。
和枝
おかげさまで。というか、5,000部じゃないと製作費が賄えなかったという事情もあるのですが…。糸井重里さんにカレンダーを作ることをお話した際に、何部作るのか聞かれたことがあったんです。「5,000部です!」って言ったっけ、糸井さん、目を丸くして「ご、ご、ごせん???」って。
紀子
糸井さんのあの顔を見た瞬間に、「あれ?私たち何かやっちまった?」って悟ったよね。普通、グラビアアイドルでも3,000しか作らないんだって。アイドルでもそのくらいなのに、漁師で5,000作ったっていう私たちって、ホント、素人って怖いねー(笑)
― 作るのも大変だけど売るのも大変だったということですよね。
紀子
これはヤバイ!と本気で焦った。だって、売れなかったら自腹で制作費を支払わなければならないわけで。私たち、家も会社もすべて津波で流されて何にもないのに…。
和枝
もはや、売り切るしかないわけですよ。そこからはもう、人に会ったら漁師カレンダーをすすめるのはもちろん、メディアで気仙沼が取り上げられることがあれば、すかさず漁師カレンダーのアピールも入れ込んでもらいました。私なんて、ラジオに出させてもらったとき、「漁師カレンダー」を10回くらい連呼したよ!
紀子
もうね、みんな必死!でもありがたいことに、全部売り切ることができたの。
仕切り直しを経て無事に10作品完成!
― 5000部を売り上げた漁師カレンダー第1作は、全国カレンダー展で最高賞となる経済産業大臣賞を受賞。素晴らしいスタートを切ったにも関わらず、翌年のカレンダーは出さなかったのですよね。
紀子
1作目で、ちょっと疲れてしまって(笑)。作るのにも、売るのにも必死で、ハーハーと肩で息をしているような状態。このままでは後が続かないから、一度立ち止まって、どう売るかをちゃんと考えなきゃダメだよねって。1回目をきちんと振り返ることをしたいなと。
和枝
やるなら10年続けようと決めたからこそ、予算組みも含めて、どんな設計にしたらいいかを考えるべきだってね。
紀子
大学の文化祭なら、その時だけ盛り上がればいいのだけれど、私たちがやろうとしているのは違う。10年続けると決めたからこそ、これからも赤字を出すことのないように予算や収支をきちんと組み立てなければならない。「欠損は社会の為にも不善と悟れ」という言葉が頭をよぎって、あえて1年休むことにしたんです。
和枝
考えてみれば、「カレンダーを売る」ということ自体、気仙沼の人たちはギョッとしたと思います。カレンダーなんて、年末になればタダでもらうものだと思ってるから。だからこそ、売る価値、買う価値のあるものをどうやって提供するべきか。そうしたことを今一度、自分たちで咀嚼する意味も込め、仕切り直しをしようと思ったんです。
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― 2014年版から1年置いて、2016年版からは毎年発行。そして10作目となる2024年版で当初の予定どおり、フィナーレを迎えました。10作品を振り返ってみていかがですか?
和枝
あらためて1作目のカレンダーに登場している漁師さんたちの表情を見た時に、2012年の撮影当時は、みんな必死で踏ん張ってたんだなって思いました。カメラを向けられて、表情は笑顔でも、奥歯を噛みしめているみたいな。んで、今年のカレンダー見たっけ、何とこの明るい表情! 漁師さんも手に持っている魚も一緒に写っている船も、何て言うか全部が明るかったり、光そのものに見えるんですよね。1作目と10作目に同じ漁師さんが登場しているのですが、表情がやっぱり違う。とってもリラックスしているのがよく分かる。
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右・2024年版 瀧本幹也さん撮影
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同じ漁師さんでも佇まいが変化している
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右・2024年版 瀧本幹也さん撮影
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紀子
こうやって並べてみると、10年やってきてよかったなって思いますね。私たちが長野行きの新幹線で語っていた10年後の未来にこの表情が見れて本当によかった!
私はね、この10冊のカレンダーの1枚1枚をめくるたびに「海と生きる!」というメッセージがひしひしと伝わってくる感じがするんですよ。「海と生きる」ことは、気仙沼人である私自身のお題なんです。いつも「私は、海と生きているかな?」と問いている。何があっても、私たちは海と生きなきゃ駄目なんだ。そういう運命なんだって思って。
和枝
「海と生きる」。本当にそうだね。
― 目標にしていた10作品を携え、これから気仙沼漁師カレンダーはどのような航路を辿るのでしょうか。
和枝
気仙沼が位置する三陸は世界の3大漁場。つまり、気仙沼は世界に開かれた港なんです。この10作を大切に、漁師カレンダーを世界に発信していけたらいいなと思っています。今後の展開を、どうぞ楽しみにしていてください!
このインタビューは、2023年に行われました。年が明けた2024年元日、能登半島地震が起きました。気仙沼つばき会の会長である斉藤和枝さんに改めて、能登の皆さんへのメッセージをいただきました。
能登の皆さまへ
能登半島地震で災害に遭われた皆さま
また関係の皆さま
心より深くお見舞い申し上げます。
御地のご様子を
報道で拝見するにつけ
なんとも言いようのない気持ちで
おります。
私たちも
東日本大震災に遭い
全国から
多くの
本当に多くのみなさんに助けて頂きました。
どうぞ
手を繋いで頂けますよう
お願いしたいです。
御地は
今は大きく壊れて
いますが
能登の皆さまの
人の心の中は
決して壊れず
素晴らしい地域のままと
思います。
どうぞ
まずは心を休ませ
お身体を大切にされながら歩まれますよう
お祈りいたします。
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