いいねの言語化
褒め、ってどこか抽象的になりやすい。
俺だって具体的に褒めたい。違いのわかる男として見られたい。
けど、それは難しい。こころの動きは言葉にできない。
「いい」は「いい」んだもん。
その実、褒めは「いい」か「めっちゃいい」だ。
具体的に褒めるのは、その「いい」の理由を言っているだけ。
理由を言ったところで、その人に自分の心の動きを再現することはできないと思う。
例えば、「このコントは前半に間をたっぷり使っていて〜」「システム漫才だけど、システム自体を振りにしてて〜」なんて言っても笑える?その話でげらげらできる?
みんな、心の中で『ぶるなよ』って思いかねない。
褒めの本質は話し方だ。
相手に伝えたいという思いが熱量になれば。相手にも熱が伝播していきそうだ。
違いのわかる男以前に、ちゃんと褒めを相手に伝えたいし。自分がやるべきは内容よりも伝え方か。
振り返ってみて、自分の言う「いいね」がどこか薄っぺらに感じられる。
しかし、これは意図して薄っぺらにしている自覚があって。自分の「いいね」が重いと、気軽に人に伝えられないと思ってしまうからだ。
不意に言った「いいね」が、自分の思ってる以上に伝わってしまうことを恐れている。
「その靴おしゃれだね」って言ったせいで、こっちの系統の方が似合うのかも?って思わせたら申し訳ない。
喜ぶべきことなのかもしれないけど、自分は居た堪れなくなる。
そこまで責任負えないし、自分の好みが大衆と一緒かなんて自信がない。
実際、ここまで卑屈に考えてる訳ではないけど、うっすらこういったことを考えてはいる。
何より、気軽に褒めたいって気持ちが強いのだろう。