ヘブンリーブルー

縫いもの

 未明、娘の制服のすそ上げをやり直す。 

 私が生まれて初めて針を握ったのは七歳。リカちゃんの洋服が作りたかったから。いや、そうじゃなくて、母の内職の手伝いで、絹糸用に使う極細の針の糸通しをしていて覚えたのだ。
 鮮やかな総ビーズの小物を母は作っていて。ノルマが嵩んでくると、細かい作業に目が霞んで見えなくなる母の代わりに私は糸を通し、色指定のない部分に玉虫色のビーズを挿した。狭い貸家には不似合いなビーズやタフタ地の布が、我がもの顔であふれていた。
 リカちゃんは買えなかった。美しいものに囲まれながら欲しいものは手にできない。針仕事は楽しみではなく暮らしのよすがだった。
 
 制服の紺地の裾をたぐりながら数年前を思い出す。
 娘は私の入退院のあと、休まず夜勤に復帰したあたりから手がかからなくなった。不器用なりに親に頼らず、何でも自分でやり終えてしまう。家の手伝い、学校のこと制服の裾上げひとつとっても。彼女は無理して大人になった気がする。
 それでもやはり裾上げは十二歳の手に余ったのか、安全ピンの留まったスカートを見咎めて彼女の制服を見直し、ちょっと笑ってしまった。すでにほつれたところを手直ししたあとがあって、何処で探したのか水色の刺繍糸で縫っている。表目はチロリアンテープを仕付けるように粗く乱れていた。
 片笑みしつつ振り返る、こんなことに気づけなかった母親。手は挙げなくても暴言は吐かなくても、この水色の並縫いが見えない私は母としてどうなのだろう。

 彼女は私を責めない。いや、責めていたのかな。今は黙って針を動かし、安全ピンを抜き取る。
  裾上げを直し、ボタンを付け替えて制服は夏服に替わった。老眼だろうか、仕立て終えるとすっかり手元が見えないんだけれども。

 あとどれくらい彼女の世話ができるだろう? 彼女とのあいだを繕えるだろう。私はゆるされるだろうか。紺と白糸しかない地味な裁縫箱をぱたんと閉じる。一日がやっと二十七時で終わる。
 
 翌朝、「ありがとう」はにかんだ顔でそう言うと娘は制服に身を包んだ。私は生返事をして朝のまぶしさに目を伏せる。
 私が夕飯を一緒に過ごせる母だったら、どんなにいいだろうとチラリと思った。

※2011年既出 

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