統合失調症の当事者であるということ

当事者15年くらいやってるけど、医療、福祉従事者と当事者の溝って結構大きいなって感じることが多い気がします。むしろ全くそういう知識ない人のほうが対等に接してくれると感じるときのほうが多いです。

たしかに、統合失調症というものは現在の医療では完治させることは難しいのかもしれません。でも、それを知ってるからこその関係者の溝というのが生まれてしまっているというのもあると思います。確かに現場にいたらぼくなんかよりももっと重症な例を見ているからというのもあるかもしれません。ジャンル的にも難病という分類になってしまってます。じゃあその難病で何が困ってるかと聞かれると、今ぼくは答えられる選択肢がありません。正直な話、ぼくが直近で困った障害といえば、眼鏡を必要とするほど視力が低いことということで、統合失調症と全く関係ないです。

当事者にとっていかに難病であっても、医療、福祉従事者からかわいそうなんて思われる筋合いはないと思ってます。むしろ余計なお世話って感じてます。

一生薬を飲まないといけないというのは確かについてきます。それを受け入れる受け入れないに個人差はあるというのも知っています。でも、どんな病気があったとしても、大前提として人間は人間です。ですが、障害だから人間じゃないという空気ができてしまっていては、よくなるものもならないと思います。障害があると人間じゃないみたいに思われると、障害そのものを当事者が認めないことがあるからです。

この1年の活動で、統合失調症であってもある程度人間らしい生活ができるということをぼくは証明できたと思ってます。ですが未だに世間としての認識は難病の人という現実。難病というネガティブな言葉を付ける割には、その内容については理解してなかったり。

病気は確かにハンデです。でも、当事者にとってはそれが日常です。ハンデは確かにありますが、それ以前に人であることにかわりません。いい加減、病気で人を判断するのはやめませんか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?