
ぼくの原点はぬいぐるみ漫画「ケロケロベー」【大塚たくまのこれまで #02】
こんにちは。Webライターをやっております、大塚たくまと申します。フリーライター業が大きくなりまして、株式会社なかみという会社を経営し、Webコンテンツの制作を行なっています。
2024年8月24日、ぼくは37歳になりました。そんなタイミングで、ちょっとこれまでの道のりについて、書き綴ってみたくなりました。
これまで、ライターとして他人の物語を書くのが仕事でした。はじめて、自分の物語を書いてみます。
「のび太放送協会」で漫画好きになる
ぼくは体が弱い子どもでした。幼稚園の頃は溶連菌感染症で入院し、小学校のときも肺炎で2回、髄膜炎で1回入院しました。小学校以来、入院したことはありません。
小学1年生のとき、肺炎で入院しました。ぼくが病院で暇を持て余すだろうと思った両親は、ぼくにいつも雑誌を買ってきてくれました。小学館の小学一年生、小学二年生、小学三年生。自分の学年を超えた学習雑誌を読むようになり、買う雑誌がなくなった親は「コロコロコミック」を手に取りました。

当時は「爆走兄弟 レッツ&ゴー!!」とか「やったね!ラモズくん」などが人気を集めていました。まだ藤子・F・不二雄先生がご存命で、大長編ドラえもんの書き下ろしを読むこともできました。通常営業のドラえもんは、過去の作品を再掲載という形で読めます。
この時に掲載されていた「のび太放送協会」が、すげえ変な話で、めちゃめちゃ面白かったんです。
ドラえもんの『のび太放送協会』より。のび太が放送局を立ち上げ、スポンサーが撮った「芸術的映画」の放送をさせられるシーン。男の顔(表情)を延々5時間流す前衛的作品らしい。実際にこんな感じの映画ありますね。「芸術」をアイロニーいっぱいに描いた名シーンです。 pic.twitter.com/ODDAaiegpX
— SQUIRM (@SQUIRM_Pynchon) August 5, 2024
ドラえもん➕7巻に掲載。ざっくり言うと、のび太が開いた「のび太放送協会」というテレビ局に、間津井ベーカリーがスポンサーとなり、大暴れするという内容。これが小学1年生のぼくに、ブッ刺さったわけです。
この話の面白さは「変ドラ」で是非。
自分で漫画を描き始める
ぼくは「ドラえもん」に触発され、自分で漫画を描きたくなりました。絵は得意じゃないけれど、とにかく漫画を描いて、人に読ませてみたかったんです。
ただ、キャラクターが作れない。既にあるキャラを真似をするのはダサい。ということで、家にあった正体不明のぬいぐるみを主人公に据えることにしました。

ケロケロベーっていいます。でも、本当はこれ「ヒポポ」っていいます。「ミズバク大冒険」というゲームの主人公なんですが、僕は当時、このキャラクターを知らなかったんです。
近所にコンビニが開店して、その記念キャンペーンで何故かぬいぐるみを配っていました。それで、妹が選んだのがこのぬいぐるみでした。勝手に「ケロケロベー」と名付けて、漫画をノートに書いていたんです。
漫画は自分が「面白い」と思ったことを、すぐ形にできました。それが楽しかった。
ぼくはケロケロベーの漫画を描いては、友達に見せて反響を研究しました。もし笑っているなら、いったいどのコマを見て笑っているのか。どういうくだりが好きなのか。それを繰り返して、改善していきました。
ぼくが想像することとは違うことと笑っていることも多くあり。マセガキだったぼくは「やっぱり友だち(コドモ)って、おもしろくないな」と思ったこともありました。たとえば、単に「おしり」が出るだけでゲラゲラ笑う。そこじゃない。
ぼくは「自分の思う面白いと、友だちの思う面白いを合わせよう」と思いました。いろいろ工夫して描きました。だからもう、たとえば「おしりは出す」と決めて。でも、普通には出さないようにしようと。
そう思って、小学校2年生の頃に作った、ケロケロベーの派生キャラ「魔法使いベー」。「魔法使いベー」は、名前の通りの魔法使い。「いでよ!◯◯」みたいなことができます。でも、その「いでよ!」がうまくいかない。「いでよ!おかし」と言ったら、「丘」が出てきたりする。ケロケロベーは「ぼわん」と現れる間違って出てきたものに対して「なんじゃこりゃ」というリアクションをした後、「もしかして丘?」みたいな会話をします。そのやりとりを楽しむのが「魔法使いベー」のテンプレです。
ちなみに、漫画「ケロケロベー」の中で、主人公のケロケロベーは基本的に登場する特別なキャラたちに翻弄される役回りです。こち亀の特殊刑事に翻弄される時の両津勘吉みたいな。ツッコミ役です。
そこで「魔法使いベー」は、ケロケロベーの妹の「ケロ子」から、「お城を出してほしい」と言われて、「いでよ!お城!」と唱えます。すると、ケロ子の背後に「ドン!」と鈍い音が。後ろを振り返ると、切断されたおしりが落ちている。お城を楽しみにしていたケロ子は「キャアアア!!!」と泣き叫び、ケロケロベーは「妹になんてことするんだ!」怒り、魔法使いベーも自分が出した「おしり」を怖がって、しっちゃかめっちゃかになるというのがオチ。
こういうちょいグロが面白い、みたいなのは完全に「タモリのボキャブラ天国」の影響です。バカシブ。そして、しっちゃかめっちゃかオチは、ドラえもんの影響ですね。
ただ、これは小学校2年生のクラスメイトには、ちょっと凝りすぎててウケませんでした。でも、その頃「僕の漫画が面白い」ということが学校で知れ渡ってて、4年生の子が漫画を読みにきたことがありました。それで、読ますと、その「魔法使いベー」の話でゲラゲラ笑ってくれたんです。
小学2年生からすると、小学4年生って、大人みたいに見える。そんな彼らが自分の漫画で笑ってくれた。これは最高に嬉しかった。自分で作ったコンテンツを面白がってもらった、初めての大きな成功体験です。
「むこうの学校に行ってもケロケロベーをかきつづけてね」

ケロケロベーを描き続けて、2年が過ぎました。小学校3年生になり、転校することが決まった。ぼくは転校するのがとてもとても、嫌でした。
これまで当たり前のように遊んでいた友達と会えなくなる。
ぼくがとくに怖かったのは皆がぼくのことを忘れてしまうこと。ぼくはこれまでに引っ越して行った人のことを知っています。「お別れ会」ではみんな「絶対忘れないよ」なんて言っているのに、数カ月もすればみんな忘れているし、引っ越して行った人の話なんて誰もしない。まるで最初からいなかったように。ぼくはそれが怖かったんです。
ぼくが転校すると知った友達はみんな僕に手紙を書いてくれました。すると、たくさんの手紙に描きなれていないケロケロベーを一生懸命描いた跡がありました。何度も消しゴムで消して、ぼくのためにケロケロベーを描いてくれていたんです。
「むこうの学校に行ってもケロケロベーをかきつづけてね」
「大塚くんとケロケロベーをわすれないよ」





そうか、ケロケロベーと一緒に引っ越すのか。ケロケロベーのおかげで、ぼくのことを忘れないかもしれないと思いました。
ケロケロベーと一緒にいれば大丈夫なんだ。そう思って、引っ越した先でもケロケロベーを描き続けました。
引っ越した先でもケロケロベーは受け入れられたました。ケロケロベーの漫画が友だちから友だちに渡り、新しい友だちと話すきっかけになっていく。おかげで僕は、本当に転校の寂しさをケロケロベーで乗り越えることができたんです。
ぼくは小学校6年生になり、卒業が近くなってきました。なんと、ぼくはまだケロケロベーを描いていました。そして、また引っ越しが決まったんです。卒業と同時に引っ越すので、みんなと同じ中学校には行けなくなってしまいました。また寂しいことになってしまいました。その寂しさもケロケロベーが慰めてくれました。
どうしてもケロケロベーの漫画が欲しかったFくん
卒業間近になったころ、担任の先生が学校内の今年でもう必要なくなる備品をみんなでジャンケンして持って帰ろうという企画をしたことがありました。
実は、ぼくのケロケロベーの漫画は最新の5冊は学級文庫に置くようになっていて、休み時間は本棚から自由に僕のマンガノートをとって読めるようになっていました。6年生にもなると、ケロケロベーの地位はそこまで確立していたんです。
先生はその企画の中で「大塚くんのマンガも争奪戦やる?」と冗談を言った。すると、クラスがめちゃめちゃ盛り上がりました。みんなが「欲しい!」と騒いでくれたんです。まさかの反応に焦った先生はすぐに「いや、冗談冗談!これはクラスのものじゃなくて、おーちゃんのだから!」と言いました。
「先生、僕いいですよ。欲しい人にあげますよ」
そのジャンケンはものすごく盛り上がり、ジャンケンに勝った5人が嬉しそうにマンガを持って帰ってくれました。
でも、僕は気になっている子がいました。ジャンケンに負けたF君。彼は誰よりもケロケロベーを愛していました。毎日のように「新しいのできた?」と聞きにきてくれて、いつも僕の新しいマンガを心待ちにしていたんです。
「おーちゃん、ジャンケン負けてしまった…。悔しい」
「F君、そんなに欲しいの?」
「うん、欲しい。」
「いいよ、あげるよ。」
「え!?いいの!?タダ!?」
「タダなわけないじゃん。1冊5円ね。」
もちろん1冊5円なんて冗談です。しかし、彼は翌日5円玉を握りしめて学校にやってきた。ぼくは爆笑しました。彼のまっすぐな気持ちが本当にうれしかった。ぼくは彼に渡すマンガノートを5冊持ってきていた。
「おーちゃんがマンガ家になったら、自慢するんだ」
べつに、マンガ家になるつもりは毛頭ないのだけど。彼は僕が5円玉を受け取らないのを拒み、強引に5円玉を渡してくれました。それは、初めての原稿料でした。
おもしろいものをつくって、反響をもらって、その反響をもとにまた、おもしろいものをつくる。この作業の楽しさ。ぼくは、これだけを感じていたいと、子どもの頃から思っていたんです。結局、ぼくは今でも、そんなことを続けています。
ぼくの創作の原点は、ケロケロベー。ずっと、ぼくはケロケロベーをやっているんです。
(つづく)
ケロケロベーとぼくの物語はこちらもどうぞ(内容も若干重複)
今日の一曲/夢の人(武田鉄矢一座)
当時めちゃくちゃ好きだった、映画「ドラえもん のび太の夢幻三剣士」の挿入歌。武田鉄矢が作詞で、武田鉄矢が歌っているが作曲は深野義和という方。1995年リリース。
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