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ぼくは一人で幼稚園に登園する子どもだった【大塚たくまのこれまで #01】

こんにちは。Webライターをやっております、大塚たくまと申します。フリーライター業が大きくなりまして、株式会社なかみという会社を経営し、Webコンテンツの制作を行なっています。

2024年8月24日、ぼくは37歳になりました。そんなタイミングで、ちょっとこれまでの道のりについて、書き綴ってみたくなりました。

これまで、ライターとして他人の物語を書くのが仕事でした。はじめて、自分の物語を書いてみます。

幼稚園に一人で登園する

なくなった田川市本町の歩道橋

1987年、ぼくは福岡県田川市の田川市立病院で生まれました。名前は拓馬。父が崇拝していた、吉田拓郎の「拓」と、坂本龍馬の「馬」をとって命名。

ぼくは、とってもおかしな子どもでした。それは、それは、本当におかしな子どもでした。親になってから、いかに自分がおかしな子どもだったかがよくわかります。

幼稚園時代の大塚

幼稚園の入園式ではクレヨンが配布されたことに憤り、「クレヨンなんて子どもっぽいから、色鉛筆が良い」と言いました。年長さんになったタイミングで、年少の子と同じように「親と一緒に登園する」というのがカッコ悪いと思うようになりました。それを機に、親の目を盗んで、一人で登園するようになります。

ぼくが一人で登園していると、他の子のお母さんの車が止まり「大塚くん!一人で行ってるの?乗って行きなさい」と、途中で車に乗せてもらうこともありました。今思えば、きっとうちの両親のことを、おかしな親だと思っていたことだろうと思います。申し訳ないです。まさか、ぼくが自分の意思で強引に一人で登園しているとは思っていなかったでしょう。

うん◯おじさん事件

幼稚園のころのぼく

ぼくは幼稚園の頃から、一人で外に出て遊んでいました。幼稚園が終わった後、神社で遊ぼうとしたところ、座り込んでいるおじさんから声をかけられました。

「ぼく、ぼく。おじさん、何をしていると思う?」

全然わからないので、黙るぼく。おじさんは困るぼくを見て、ニヤッと笑いました。


「うん◯してるんだよ」


そう言って、ズボンを履き、立ち上がったおじさんはぼくの腕をつかみました。神社の本堂の脇の門の中へ連れて行こうとするものの、鍵が閉まっています。

「クソッ、閉まってる」

すると、近くで遊んでいた小学生がただならぬ空気を察したのか、声をかけてくれました。

「きみ!この人は、きみのお父さん?知ってる人?」

ぼくが首を横に振ると、その小学生は全力疾走で走ってどこかへ行ってしまいました。しばらくすると、たくさんの大人たちがやってきて、そのおじさんをつかまえます。その中には、幼稚園の園長先生もいました。ぼくは園長先生に連れられて、お家に帰りました。

「大塚くん、いつも一人で登園しているでしょう。もう、一人で登園しちゃだめだよ。外へ出る時は、お家の人と一緒にね。」

何度も聞き飽きた、大人からの指摘。翌日、ぼくはまた一人で登園しました。最終的に卒園まで、一人で登園し続けました。なんでそんなに一人で登園したかったのか。別に一人で登園したかったわけじゃないと思います。とにかく、親と登園するという選択肢が自分の中で「無かった」のでしょう。

卒園した翌年、妹が同じ幼稚園に入園。入園式当日にプリントが配られました。

「絶対に園児を一人で通園させないでください」

そのプリントには、名前を隠しながらもぼくのような園児がいたことと、ぼくが起こした誘拐騒ぎの概要が書かれていました。妹はちゃんと、親と一緒に通園してくれてよかったです。

今、親になって思えば、マジでどうかしていると思います。未就学児童を一人で散歩させることすら無理です。ぼくも、常識が身についてよかったなと思うのと同時に、親に苦労をかけたなと思います。

こいずみきょうこ事件

どんなことを言えば、友だちが笑ってくれるのか。

そんなことばかり考える、幼稚園児でした。自分が言った冗談でウケがよかったものをノートに記録していました。おもしろいことや、みんなと違うことが、好きでした。

みんながドラゴンボールや戦隊モノにハマっているなか、ぼくは文科系語学エンターテイメントのパイオニア「タモリのボキャブラ天国」に大ハマりしていました。爆笑問題などのお笑い芸人が出ている頃ではなく、空耳アワーのような雰囲気がある、視聴者投稿の替え歌を紹介する時代です。

amazonより

「兄は夜更け過ぎにユキエに変わるだろう」
「母を訪ねて感電死」
「四日の未明 身投げした浜辺」

などなど、今では絶対アウトな程度の低いネタで大人がゲラゲラ笑っている様子に心を奪われ、毎週水曜日の19時半を楽しみにしていました。テレビの笑いの原体験。バカパクよりも、バカシブが好き。ぼくの「笑い」は、どんどん歪んでいったのです。

そんなぼくも、小学校に入学しました。

田川市立後藤寺小学校に入学

小学校に入学すると、ぼくは「友達(コドモ)を笑わせても仕方ない」と思うようになっていました。歪んだぼくは、大人を笑わせたいと思うようになっていたのです。

とくに力を入れていたのは、授業参観。大人がたくさん見にきているからです。集まった親たちを、ウィットに富んだ「発表」で笑わせたい。

ひとつだけ覚えている授業参観があります。小学校一年生のときの、ひらがなを習う授業です。ひらがなを習うときは、書き順を学んだあとで、そのひらがなの入った言葉を発表して、マス目を埋めていくゲームがありました。

この日学んだひらがなは、「こ」

「ことり!」
「コーラ!」
「こま!」

ふん、"コドモ"だ。

わざわざ手を挙げて発表するほどのことなのか。ぼくはそんなことを考えていました。

「こうこう!」「すごい。こが2つ入ってるね!」

そう。「こ」が複数入っていると、誉められます。ぼくとしても「こが2回以上入る」というのは、重要な条件でした。

「こが2個以上入る、大人がクスッと笑ってくれる、子どもらしくない言葉……。」頭の中にいろんな言葉が浮かびました。何を言おう。何を言えば、大人が笑うんだ。

「えーと、次は……。じゃあ、大塚くん。」

「こいずみきょうこ。」


ドォッ。

親たちが笑いました。クラスメイトはポカン、としています。

そりゃそうだ。小泉今日子がアイドル全盛だったのは、みんなが生まれる前だ。気持ちいい。これだ。求めていたのは、これだ。これなんだ。しかも「こ」が2つ入っている。やったぞ。やったんだ!!

あまりの成功体験にゾクゾクしていると、前の席のイガラシくんがその直後に当てられました。


「コケコッコー。」


ドカーン!!

教室が爆発しました。クラスメイトも親も大笑いしています。しかも、「こ」が3つ入っている。イガラシくんはどうやら「狙って」言っていません。イガラシくんもなぜ、そんなに笑いが起きているのか、よくわかっていない様子です。


「きょう、ぼくは絶対に、イガラシくんにはかなわない。」


もう誰も、ぼくの「こいずみきょうこ」なんて、覚えてません。

イガラシくんが戸惑いながらキョロキョロしている様子を後ろから見つめながら、ぼくは深く落ち込みました。

人を笑わせるって、めっちゃ難しい。でも、めっちゃ笑わせたい。おもしろいやつって、思われたい。ずっと、ずっと、そんなことばかり考えていました。

(つづく)

今日の一曲/ずっと好きだから… (Virgo)

「タモリのボキャブラ天国」テーマソング。1993年リリース。

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大塚たくま / 株式会社なかみ
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