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「竹山団地」無骨と繊細の共存-神奈川県横浜市緑区

先日、スマホのSIMを話題のahamoに変えてみた。それまでは格安SIMブームに乗っかる形で、MVNO(旧楽天モバイル、BIGLOBE、OCNモバイル ONE)との契約が続いていたが、大手キャリア各社の料金プランが劇的に値下がりした今日、もはやMVNOの存在価値が見い出せなくなってしまったのである。
気になる通信環境だが、docomo回線というもっとも良質とされる電波を用いた通信は、実に快適である。もう時間帯によって通信速度が異なるMVNOに戻ることはできまい。

思い返せば、auとSoftBankは、学生の頃に契約したことはあったが、docomoは今回が初めて。これで大手キャリアのすべてと契約したことになる。
ところで、docomoの名はDo Communications over the Mobile network の頭文字から来ているそうだ。
公式には「移動通信網で実現する、積極的で豊かなコミュニケーション」と訳されるが、ざっくりいえば「どこにいても、お互いつながっていれるよ」といった感じだろうか。SoftBankは言うまでもなく、access to U を意味するauと比べても、その名称はどこかNTTというか、お役所っぽさを感じてしまう。堅苦しいのである。

他方で、docomomo という名を聞いたことがある人はどれだけいるのだろうか。
こちらも文章の頭文字から構成されていて、正式名称はDocumentation and Conservation of buildings, sites and neighborhoods of the Modern Movement、日本語では「モダン・ムーブメントにかかわる建物と環境形成の記録調査および保存のための国際組織」と訳される。
最近は建築界隈のみならず、旅行ガイドなどでもちらほやと見かけるようになってきたが、皆さんはいかがだろうか。
                      
docomomoの目的について、公式HPでは以下のとおり書かれている。

「20 世紀の建築における重要な潮流であったモダン・ムーブメントの歴史的・文化的重要性を認識し、その成果を記録するとともに、それにかかわる現存建物・環境の保存を訴えるために、オランダのフーベルト・ヤン・ヘンケット(当時アイントホーヘン工科大学教授、現デルフト工科大学教授、初代会長)の提唱により、1988 年に設立された国際学術組織で、近代建築史研究者だけでなく、建築家、建築エンジニア、都市計画家、行政関係者などが参加している。」

ざっくりいえば「それまで文化的価値を見い出される機会か乏しかった20世紀のモダニズム建築について、再評価するとともに、遺産として保存し、後世につなげていくこと」を目的とする団体なのである。

1998年にdocomomo 日本支部が設置された以降、毎年「日本におけるモダン・ムーブメントの建築」を認定しており、その数は250件となった(2020年現在)。昨年は、カトリック目黒教会(1955年、アントニン・レーモンド)や日本武道館(1964年、山田守)、新大阪駅(1964年、日本国有鉄道)など新たに11件が追加されている。

先日、あらためて認定リストを眺めていると、2020年に追加された11件のなかに「神奈川県住宅供給公社竹山団地センターゾーン(1970年、群建築研究所)」の名があったことに気がつく。不覚にも追加されてから、1年ほどが経過している。「団地好き」を謳う以上、見に行かねければならない。そんな思いに駆られて、現地に向かってみた。

東神奈川駅(神奈川県横浜市)から八王子駅(東京都八王子市)までを結ぶJR横浜線。その歴史は古く、開通は1908年。当時の日本の主力輸出品である生糸の産地、甲信地方の玄関口である「蚕都 八王子」と、日本最大の貿易港である「港町 横浜」を結ぶ路線として建設された。

戦後、沿線は急速にベッドタウンと化していくが、横浜線は都心と直結していないことから、東京というより、横浜の郊外路線という印象が強い(八王子側の開発はバブル期まで遅れた)。
また、路線の半分ほどは鶴見川と平行する形で走っていることから、工場の立地も多いのも特徴である。とりわけ鴨居駅(横浜市緑区)周辺には、現在、パナソニック(移動端末機では最大拠点)と富士通などの大手電機メーカーが拠点を構えている。
ところが、それまで「工場」の印象が強かった鴨居も、2007年、NECの工場跡地に「ららぽーと横浜」が開業したことで大きくその印象が変わることになる。「ららぽーと」進出に伴って、他の商業施設が集積。これらの商圏には横浜線沿線はもとより、港北ニュータウンの一部も含まれており、いまや鴨居は横浜の一大商業拠点となった。

竹山団地の最寄り駅は、この鴨居駅である。
もっとも「最寄り」といっても、徒歩では団地の入口まで、約20分の時間を要するうえ、「竹山」という文字が示しているように、その大半は坂道であることから、団地への道程は厳しい。したがって住民の多くは、駅前から出発するバスを利用しているという。とはいえ、今回は時間に余裕があることから、山を感じながら歩いて向おうと思う。

竹山団地を訪ねるのは、今回が初めてではない。実は3年前に一度訪ねていて、その際は、横浜駅からバスで(竹山団地に隣接する)笹山団地に向かい、その後、歩いて竹山団地まで、そして、さらに歩いて鴨居駅にというコースだった。今回は2回目の訪問となる。

かくのごとく、3年前は下った坂を、今回は上ることになったわけだが、これが思いのほか疲れる。単純に上るだけではなく、隣を走る車道の交通量が多く、いくらガードレールに守られているとはいえ、カーブが多いためか、どこか気を使わなければならないからだ。上り坂を進むこと20分、うつむき加減になりつつあった気持ちを奮い立たせて、見上げると団地らしき建物が見えた。

「横浜鴨居郵政宿舎」、旧郵政省時代に建てられた職員向けの宿舎で、いまは日本郵政の社宅となっている。戦後開花した日本型福祉社会の特徴のひとつである「企業福祉」、その終焉が叫ばれて久しいが、現在でも時おり、こうした旧郵政宿舎を見かけることがある。ただ、その多くは世論を気にしてか、大々的に看板を掲げていない(これは公務員宿舎も同様である)。その点、ここまで原型を留めている看板は珍しいことから、思わず撮ってみた。

一説には、こうした宿舎も含め日本郵政が所有する不動産の総額は2.7兆円に上ると言われる。民営化以降、宿舎の売却は相当程度進んだとされているが、鴨居の場合、この立地では好条件での売却は難しいと考えるのが自然だ。
宿舎周りを歩くと、いまも住んでいる人は、それなりにいるように思える。ただ、案内板に記載のある「郵政ファミリープラザ」の場所には、居住者向けのプレハブ倉庫が立ち並んでいるだけであった。かつては何があったのだろうか。
そんな思いに駆られつつ、ふと地図を確認したところ、どうやら、道を間違えていることに気がつく。せっかく上った道を途中まで戻り、あらためて竹山団地へと向かう。

1970年に完成した竹山団地は、分譲と賃貸が混在する総戸数3308戸の団地である。当時は60年代に全盛を迎えた高度成長も落ち着きを見せ、「成長から成熟へ」といった真の豊かさが問われ始めた時代であった。この転換は住宅においても同様で、戦後の絶対的な住宅不足は解消されたことから、次は「量から質」が求められる。ここは、そうした「時代の転換」を感じさせる団地である。

団地の建設主体は神奈川県住宅供給公社。公社とは、現在の第三セクターのような団体で、住宅供給など公益性の高い事業を行うため、自治体が出資して設立された法人のことである。
そのうち住宅供給公社は「勤労者に居住環境の良好な集合住宅及び宅地を供給する」ことを目的に、1966年に法制化され、以降、各都道府県といくつかの政令市に設置された。
自治体が直接運営・管理する公営住宅が低所得者向けである一方、公社は主に中所得者向けの住宅供給を行っている。発足当時は分譲(積立分譲と呼ばれる公社特有の制度)も手がけていたが、近年は、主に賃貸と住宅管理業務に専念する公社が多い。
ざっくりいえば、地方自治体版の公団(現在のUR)と考えればよいだろう。

竹山団地に入ったものの、引き続き坂道を上りながら、本日の目的地であるセンターゾーンへと向かう。途中、坂道から横目に見える団地は、4階建ての四角い住棟ばかり。それらは、おそらく多くの人が想起する「団地」の形であろう。これを見る限り、何ら特徴のないどこにでもある「団地」のように思えなくもない。

坂道を上り終えて、見えてくるのが、10階建ての高層棟である。極限まで合理化を突き詰め、無駄なスペースなどなく、きっちりと規則正しく住戸が設けられている。意匠的には、何ひとつとして特徴はないように思えるが、そのすべてを住まいとして機能に捧げている建物に、ある種の美しさを感じる。

高層棟にひっそり設けられた小さく低いピロティをを通り抜けると、下り階段が待っていて、その先には池がある。そして、これまで見てきた団地とは姿が全く異なる個性的な団地が見える。あたかも池に迫り出すかのごとくたたずむ2棟の建物こそ、今回の目的地、竹山団地センターゾーンである。

この団地を特徴付ける池は、あたかも自然のものように感じるが、「竹山池」と名付けられていることからもわかるように、団地の建設に合わせて、造成された人口池である。一応、貯水池としての機能もあるようだが、「団地と池」の調和という国内ではここでしか見ることを景色を作り出した。この特異な団地をある人は「水上の団地」と呼び、また別の人は「川床団地」と呼んでいる。
いまあえて「国内では」と言ったが、視点を国外に転じれば、イギリスのロンドン中心にある公営住宅「バービカンエステート」も同様に、「団地と池」が調和する空間と言われている。こちらの完成は、奇しくも竹山団地完成の直前、1969年である。2001年には、コンクリートによる荒々しい仕上げを特徴とするブルータリストを代表する建築としてイギリス政府より重要文化財級の指定を受けた。竹山団地は、間違いなくこうしたブルータリズム建築の影響を受けている。

さて、ここは「センターゾーン」であるが、その意味について説明しておこう。戦後建てられた大規模団地の多くは「団地内で職場以外の生活が完結すること」を目指し、銀行や郵便局、スーパーマーケットなどの商店を、団地内のどこから行っても等しい距離になるよう中心に配置する手法を採用した。
この竹山団地では、そうした「センター」の機能を池に面する部分の地下1階が担っており、いまでも銀行と郵便局、そして生協(スーパー)と生活に必要な最低限の機能は維持されている。

もっともこの団地の特徴は、池との関連だけで語られるべきではない。1階部分はピロティとなっており、駐車場や駐輪場として活用されている。この空間を生み出す、柱がどれも意匠的に凝った作りで、その姿は荒々しくもある一方、どこか繊細でもある。

また、各棟への入口をはじめ、あらゆる部分でアーチを多用していることも特徴のひとつといえよう。それは見る人にメルヘンチックで、優しい印象を抱かせる。

1階と池に面する地下1階は階段は、「ル・コルビュジエですか」と思わせるほど、モダニズムの影響を受けたデザインといえよう。コンクリートの冷たさを忘れさせるほど、柔らかく、傾斜が優雅であって、そしておしゃれだ。けっして合理性の追求だけではない、造形の美しさがここにはある。

極めつけはふたつの住棟を結ぶ、連絡通路。シンボリックで、彫刻作品のような見た目には驚かされる。あたかも通る人間を優しくつつみ込むかのごとく、ゆるやかに湾曲している様は、直線的な住棟とは対をなす。

竹山団地センターゾーンは、おそらく多くの人が想起する「団地」とは異なるものであろう。
ここでは、突き出す柱のような無骨さもある一方で、細部までのこだわりを感じさせる繊細さもある。水面を舞台に、無骨と繊細が共存する空間なのである。
半世紀前、ヨーロッパで生まれた「モダン・ムーブメント」の波は、確かに横浜の郊外まで及んでいた。団地内には、いまも変わらず当時の薫りが漂っている。

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