初めてNUMBER GIRLを生で聴いた時の記録
ナンバーガールというバンドがある。
1995年に結成され、2002年に一度解散したバンドだ。
私は1997年生まれだから、当然、出会った頃には解散しており、ナンバーガールを聴くにはYouTubeで当時のライブ映像を漁るかMVを観るかしかなかった。
初めて聴いたのは鉄風鋭くなってのMVだったと思う。曲名から気になった。再生をクリックする。(当時はPCでYouTubeを観ていた)
不穏である。いきなり不穏。何が始まるのかと思ったらベースがえぐい音で鳴り始める。その格好よさに、私は撃ち抜かれてしまったのである。
それからいろんな曲を聴き漁った。
しかしバンドは解散しており、当時のライブ映像を聴くほかない。仕方のないことだ。
そう思いながら聴き続けて8年ほど経った頃、
私は、ナンバーガールの立つステージの、最前から2列目に立っていた。
ナンバーガールは2019年に再結成。私の住んでいる大阪で、フェスに参加するという。躊躇なくチケットを申し込んでいた。抽選結果は当選だった。
OTODAMA‘22のことである。
元々フジファブリックが好きで追いかけていたし、くるりも気になっていたので、両バンドも出ると聞き、行くほかなかった。というか、行かない選択肢がなかった。
人生で初めてのフェス、慣れないものにへとへとになりながらもその時間はやってきた。
ナンバーガールのためにいくつかのバンドを捨て、最前のために1時間半並んだ。
このために来たと言っても過言ではないからだ。
まだ数バンドあるというのに、気づけば私の後ろには折り返しができるほどの長蛇の列ができていた。
そして、私は無事にど真ん中最前2列目をゲットすることとなる。
ここから先は覚え書きだ。
なぜかは後述する。
その時の私はぼーっとしていた。
最前のブロックは埋まり、後ろを振り向くと人、人、人である。まだ予定時刻までかなりある。
OTODAMAは2つのステージで交互に演奏が行われる。私が2列目に入った頃、別のステージで演奏が始まっていた。つまり、その演奏を蹴ってまで、30分ほど待つのは覚悟で、もうそれだけの人がナンバーガールを待っていた。
夕方になり、昼の暑さはどこへ行ったのかというほど寒い風が吹く。半ば震えながらその時を待つ。
ようやく時刻になり、PAがセッティングにきた。
しかしどうやら何かのトラブルがあったらしい。
何か話し合っている。
しばらく経ったのち、彼がやってきた。
ナンバーガールのボーカル・ギター、向井秀徳である。
OTODAMAはコロナの関係で発声が禁止だったが、向井秀徳が出てきた時、いろんな場所から「向井ー!!!」と声が上がった。
いや、わかる。
別に擁護するわけではない。だけど、わかる。
理性の前に興奮がきているのだ。
発声の有無の違いがあるだけで、私もまた脳内が叫んでいた。
そのうちに他のメンバーも来る。
ひさ子だ。
意味がわからなかった。
8年間、YouTubeで、平面で、つまりは2次元で観ていたバンドが今目の前にいる。
私はよく、テレビに出ている人を実際に見かけた時、2次元だったその人が3次元に急になった気がして違和感を覚えていたが、その時目の前にいたナンバーガールは、2次元にしか見えなかった。
現実感がなさすぎたのだ。
だって。再結成など誰が考えたか。
札幌で、ナンバーガールの歴史を今ここに終了すると言っていたバンドが。
目の前にいる。
でかいプロジェクターかなんかでナンバーガール映してんの?
そう思わせるほどに、あまりにも目の前の景色には現実味がなかった。
ただただ、目を泳がせ、くまなく見ていた。
呼吸を忘れるくらいだった。
ひさ子がいる、アヒト・イナザワがいる、中尾憲太郎がいる、そして向井秀徳がいる。
なにこれ…………。
その嘘のような現実を壊したのは、ボーカルの向井秀徳の怒鳴り声であった。
どうやらセッティングが悪かったようだ。
PAに対して何か言っている。
あまりの酷さからか、向井から「それではまた来週お会いしましょう」などという言葉が発せられた程だ。
その発言に周りの人はどっと笑った。
だけど私は笑えなかった。
それどころか心臓の音が一段と大きくなった。
本気だ。
音楽に対して、これから鳴らす音に対して、彼らは本気で準備をしている。到底笑えない。尊敬の念を抱くと共に、これから何を体験させられるのか、そう思って鼓動がばくばくと鳴る。
脳が危険信号を鳴らす。やばいのがくるぞ、と。
向井がPAに怒鳴るたびに周りは笑った。
私は一切笑えないまま、緊張だけが、鼓動だけが大きくなっていった。目が離せなくなった。
そのうちナンバーガールのメンバーは自分達で音のセッティングを始めた。
私は2列目にいると言ったが、それはスピーカーの真ん前でもあった。
ドンッ!!!!!!!
え?
今の、え?
バスドラの音だった。が、余りにも大きすぎる音だ。和太鼓を目の前で叩かれているかのようだった。身体が音で震える。内臓まで震えている。
私の前にいた、つまり最前列の女性が「ぅわっ!?」と声をあげた。
当然だ。これではまるで音の暴力だ。
しかしナンバーガールのセッティングはそんなもんでは終わらない。ギターが鳴る。
…………いや、ちょっと待って。
マジでその音量で行くの?
と、思わず硬直してしまうほどの音量でギターが鳴る。
試しに……ということなのか続けて叩かれたドラムは、最初のバスドラの音量を置き去りにすることなく、無論ギターにも負けない大音量だった。
私はその日のフェスで何度か最前近くを取っている。しかし、これほどまでの音量でセッティングをしているバンドなどいなかった。
身体が震える。同時にぞくぞくと背中に興奮が這い上がる。凄いのが、凄いのが鳴ろうとしている。やばい、脳がまた危険信号を出す。くるぞ。
そして、演奏が、いや、もとい音の塊という快楽を含む暴力が始まる。
YouTubeで観続けたあのナンバーガールだ!とか、聴き続けたあの曲だ!なんて感情はない。
ただ始まった、とてつもない音量の音楽に、演奏に、打ちのめされる。腕を上げ、身体中を、頭を揺らし、振る。咀嚼をする暇がない。余裕がない。
わー!あの曲だ!と感じる生ぬるい余裕を与えてくれない。ただ音が鳴る!!!暴力だ。これは暴力だ。物凄い音圧。音量。でもうるさくない。
もっと音を上げてほしい。なんだこれは。
なんなんだこれは!!!!!!!!
身体中が歓喜の悲鳴をあげている。
頭を振る。身体が動く。脳が叫ぶ。
発声禁止の会場に数々の雄叫びが響く。
仕方がない。仕方がないのだ。
私はたまたま脳が叫び、身体全体でナンバーガールに呼応していただけであり、それが発声に変わってしまうことなどあの場では仕方のないことだった。理性は彼らの音圧に吹き飛ばされ、失われる。歌っている者さえいた。拳を突き上げる。
無論咀嚼し、味わう時間など、余裕などない。
30分だったか。
持ち時間は各バンドそのくらいのはずだった。
気づけば辺りは暗かった。
ナンバーガールが演奏を終えてはけていく。
夢か?
正直そう思わざるを得なかった。
ナンバーガールが目の前から居なくなって初めて、ようやく今起きた出来事を反芻し、咀嚼した。
「やばい、やばい、………」
気づけば独り言を呟き、茫然としながら会場から出るために歩みを進めていた。
夢みたいだった。あんなのは暴力である。
ひさ子がいた。ギターの音が凶器のようだった。
他のメンバーも言うまでもない。凶器だ。
暴力だ。あれは、あれは夢だ。
きっとそうだ。
そう思う私を否定するかのように、今のは現実だと言わんばかりに、ナンバーガールの残響が、まだ身体を震わせていた。
音が、身体に残っていた。
記憶はほとんどなかった。
これが、私とナンバーガールとの、最初の記録である。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?