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甘えをどこまで受け止めるか

どうも。

時間制限を設けたiPadも長女氏によって破られ、無制限化していた。
その事実を知ったとき、多くの親はiPadを没収する考えに至るだろう。
自分自身もゲームをやりまくっていて勉強が疎かになったり親と決めたルールを守れず携帯を解約されそうになったり、様々なことがあったので子どもの気持ちは少なからずわかる。

親となった今、どこまで許容していくのか自分がされて嫌だったことを完全にしないとなると、世間的には放任と言われてしまうだろう。

放任、それはいい意味でも悪い意味でも働いてしまう。

だからといってあれこれしつこくするのは心苦しいし、息が詰まるような。

やることさえやってくれたらえ自由にすればいい。

宿題だとか日々の勉強、それから家の手伝いに入浴時間や就寝時間の決め事。
それらがベースにあって、残りの時間で好きなことをするならそれは構わない。
ただ、1日に利用できる時間はどうしても決めておいた方がいい。
自分自身の本当の気持ちは、やることやってれば無制限でいいんじゃないかと思っていることはここで書いておく。
親として子どもに与える最低限の【自由は大人になってから】という気持ちだろう。

「大人は自由でいいよね」
「大人というだけでズルい」
まさに思っていたことを巡り巡って自分が言われるのだから「ついにきた」と、微笑ましく思うけれど子どもにとっては死活問題だ。

そうしてなんでもがんじがらめにルールで縛っている事実はつきまとっている。

子育てってこういうものだったっけ。

よくよく考えてみたら、放任されてきたほうだったのかもしれないが、それでもこうして不平不満ばかり考えていた幼少期のことをよく覚えているのはまさに自分勝手。

じゃあ子は親を見ているわけだから同じようなレールに行くか、自分がされて嫌だったことを除外していくかの問題である。

何回もnoteに書いてきたが、我が家は癖が強い。
子どもは癇癪持ちだし行動パターンが読めない。
だからといってそれに屈していたら問題解決などなく、世間一般でいうワガママな子どもになってしまうだろう。

ワガママといってもそれは特性の問題も含んでいることが多いが、それもコントロールしてなじませていくのが親の努め。
常にそれではいけない。

そこで週に1度、リミッター解除日を設けることにした。
すべてのことが片付き、予定もなく余裕があればということにはなるが、制限解除する。
これによって大部分で解決したと思う。

近頃よく耳にするのは、動画を見ているときやオンラインゲームの最中に丁度いいところで制限がきて通信が遮断されてイライラするという話。
Wi-Fiを利用して離れた人と一緒にゲームするというのは自分自身も幼少期からやっているので、気持ちはすごくわかる。

それでもリミッター解除日を作ったことで、それ以外の日は揉めにくくはなった。
(とはいえ、制限解除要請の通知が飛んでくることはしばしばあるけど)

タイマーを見ていないから終了1分前とかに対戦を始めてしまって、切断厨だと思われていたらそれこそ最悪だけど自業自得でもある。

ここまでで思い出したことは、手元になければ探してまでやろうとしないし外出先にまで持って行ってしたりはしないから素直にそこは褒めたい。

子どものことをどれだけ信頼して行動できるか、甘えてきたときはどこまで答えていけるかを考えてこの先も過ごしていきたい。
自分が子どもだったときのあの気持や親にどのように対応されたかを思い出して、それらを反映させてみよう。

子育ては親育て、そして情報は常にアップデートされる。
昔は〇〇だった。というのは通じない。

いまを生きているのだから。

では。

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