きょうだい児
どうも。
我が家には大げさな表現かもしれないけど、きょうだい児として今回話すことにする。
きょうだい児ってそもそも何
一応、障害のある兄弟姉妹がいて、一方が健常児だとそう呼ぶらしい。
ちょっとしたことを手伝うだけで、偉いねと褒められるが、それは決していいことばかりではない。
我慢の上に成り立っているケースも多いのだ。
児童発達支援
我が家は週に一回、長女氏と児童発達支援の母子通園型に通所している。
母子通園型というのは親子で愛着形成しながらアンガーマネジメントを親自身も学んでいったり、適応能力を養っていく。
いわゆる療育ともちょっと違うかなって見解はもっている。
やり方は事業所によって方針も様々あるだろうから、割愛。
次女氏の犠牲のうえに成り立っていると言われたとき
実際問題、平日は保育園で世話になっているキッズたちだが、土曜日は仕事がよっぽど休めない親以外は預ける場ではないし、週6日預けることになってしまう。
それに親子時間を長女氏だけマンツーマンで取るわけで、年長さんは土曜コースと決まっていた所に通っているので、最初はすごく揉めたしずるいと何度も言われた。
自分の不手際もあったのは事実だが、この保育園でこの通所施設で卒園を迎えられることは親としては理想で、納得した上で通っているつもり。
ただ、次女氏だけの時間も作ったほうがいいとか言われて、ということは平日長女氏だけ預かってもらえるのか、それって親が休みってことで本来預けられないんじゃないのかなどモヤッと。
でもその提案は園からなので何も問題はないんだろうけど。
次女氏本人はある日突然「土曜日は○○ちゃんと○○くんがいて、ブロックして楽しい」と言ってくれたし、行きたくないと喚くこともなくなった。
でも心の内はどうだろうか。
聞くことは出来ないけど、自分だけなんでと思う場面に何度も遭遇してきているし「おねえちゃんいい加減にしてよ」ってキレるときもあるけど、次女氏なりの精一杯の思いやりもあったり。
いまだに泣いて解決しようとするけど
長女氏なりの精一杯を生きていければそれでいいのかなって、思っている。
まだまだ歳相応かと聞かれるとちょっと違うかなって思う場面はたくさんあるけど、それでも行きていけるようになればいいかなって。
生活できればいいんだろうな。
一歩一歩、成長過程は遅いけどその中でやれることはやって行けてそれが本人の強みになればいいと感じている。
本気で子供のことを思ったらみんな一緒、はみ出しものにならないようにという親のささやかな願いはあるだろう。
でもそれはエゴなのかもしれない。
友達100人できるかな
じゃなくて、少なくてもいいんだよ。
肩入れしすぎない
次女氏のことも愛しているし大切であるが、長女氏の悩みばかりに肩入れすると不公平さというのが起きがちではある。
そういった問題に立ち向かうためにできることを少しずつ増やしていき、それぞれと対等に時間を取れるよう心がけていきたい。
大家族からしたら、そのくらいのことでなんなのと思われてしまうかもしれないけど、それがこの家族での形として我が家のできる精一杯なのである。
自分自身が心身ともに完全体になれない今、そうして向き合うことは大切であることをギュッと詰め込んでそばにいてあげられたらと思う。
イライラして怒ってしまったとき「怖い」と言われたあの日。
泣いてるところを見られて「大丈夫?」と頭を撫でてくれたり人形持ってきてくれたり毛布かけてくれたあの日。
そんな長女氏の素敵なところを見つめてあげたい。
そして次女氏の何年もイヤイヤ期やってますみたいな状態もそれはそれで受け入れつつ、ゆっくりやっていこうと思う。
家族という呼び名よりも、大切な仲間たちだから。
では。