見出し画像

けろけろなるままに「ぼくが薬でねむらされて胃と腸を同時に観察されたおはなし〜食中毒with吐血からのインフルエンザおまけに胃がん予備軍発覚をそえて〜(輸血もあるよ)」♡そのよん♡

「ぼくが薬で眠らされて胃と腸を同時に観察されたおはなし〜食中毒with吐血からのインフルエンザおまけに胃がん予備軍発覚をそえて〜(輸血もあるよ)」

♡そのいち♡
♡そのに♡
♡そのさん♡

♡そのよん♡

目が覚めると、白い天井が見えました。ぼくはどこかの病室に寝かされていました。お医者さんの慈悲で麻酔で眠らされていたために、何をされたのか、本当に何も覚えていません。

しばらくすると看護士さんは、カーテンを開けて目が覚めているか様子を伺いにきました。
「大丈夫ですか。さっきまで目がうつろで朦朧としていましたよ。」
さらりと怖いことを言いながらも、うふふと笑う看護士さんの聖母の様な眼差しは本当にきれいでした。目がうつろで朦朧としていたことは、全く記憶にありません。

その後はあまり記憶にないので省きますが、けっこうな眠気で朦朧としながら精算を済ませ、自転車で来てはいけないという言いつけに納得しながら、目に入った弁当屋のハンバーグ弁当を購入して徒歩で帰りました。

このときのぼくの熱と腸の痛みはすこしだけ和らいでいたので、すっかり食に対する欲求がわいていました。自宅つくと、テーブルにハンバーグ弁当を置いて食べようとしましたが、睡魔に勝てず一口だけ口にして眠りにつきました。

しかし、ハッと目が覚めると、おいしそうなハンバーグ弁当がテーブルの上にあります。ぼくはうれしくてハンバーグを噛み締めますが、数口食べると再びやってくる睡眠欲求がやってくるので、また横になって眠ります。

ですが、再び目を開けるとまたもや食べかけではあるものの、おいしそうなハンバーグ弁当があります。ぼくは、このように、食べて寝て、食べて寝てという夢のような幸せの行為を朦朧ながらに繰り返していたことはいまだに忘れていません。

すっかり次の朝になれば、ハンバーグ弁当は空の箱になっていました。そして、そういえばと肝心の結果を知るために病院に向かいました。

診察室では、自身の痛めつけられた腸壁の剥がれた内部の写真を見せつけられ、あの高熱と地獄のような腹部の痛みはカンピロバクター菌による食中毒であると説明されました。カンピロバクター菌は加熱しきれてない鶏肉に存在しているとのことで、あの時の某やきとりチェーン居酒屋で食べたものが原因であったことも発覚しました。やきとりはずしの名人の存在により同じ串を6人で食したにも関わらず、ぼくだけカンピロバクターの餌食になったのはぼくの不運を物語っています。

血液の濃度の薄さも、計30本くらいではあったのですがヘモグロビンの注射を定期的に打ち込めば治るということでした。
(今ではすっかり完治しましたが、定期的に注射に刺された30本耐え抜いた腕は刺し傷や内出血でボロボロになっていました。おともだちには薬物中毒の方の腕のようだねとだいぶ不謹慎な台詞を言われました。)

しかし、すっかり安堵するぼくに現実を突きつけられます。胃の内部の写真はと言うものの、表面が慢性的に胃炎で荒れており、ボコボコと鳥肌状のものが覆っていました。なにやら診察室にも不穏な空気が漂っています。

「あなた、胃がん予備軍ですね。若いのにかわいそうですが、年に一回胃カメラ飲んでください。今回の食中毒とは関係ないですが見つかって良かったですね。」

唐突に、鳥肌胃炎という発ガン性が高い胃の持ち主であったと告げられたぼくは、しょんぼりしながら自転車で自宅に向かいます。

しかし、ぼくの春の出来事はこれだけで簡潔せずに終わることはなかったのです。

帰宅後、急に咳がたくさんでて、37度台まで下がった体温が再び上がる兆しを見せました。39度まで上がる熱は本当に恐怖でした。咳があまりにも出るので、口の中にイガイガと違和感を感じます。

そうしているうちに、ふいにイガイガしたものををぺっと便器に吐き出すと、なんと赤いものを白い便器に確認してしまいます。明らかな吐血であったためにぼくはパニックになって母親に連絡を取りました。しかし本当に焦燥していたようで、120の人数は属しているグループラインに突然の吐血の報告してしまった事はぼくの黒い歴史のひとつです。

しかし、おなじみの日曜日の病院はあいていない法則により、緊急でみてもらえるところを必死に探しました。レントゲンを撮った結果は、幸い何事もありませんでした。咳のし過ぎにより、喉が傷つき吐血に至ったとのことでした。

しかし、その日のうちに発熱の原因はインフルエンザであることが判明しました。結局の結局、インフルエンザにかかってしまったというひどい笑えないオチがついてしまい、あのとき素直に入院しておけば、とかなり悔やみました。

カンピロバクターが治ったら実家に帰っておいでと言ってくれた、ずっと心配してくれた家族も、インフルエンザであったら感染が怖いので、申し訳ないけれどできれば帰ってこないでほしいという懇願をする始末です。

その後も、一週間は食中毒とインフルエンザを併発させたおかげで当たり前のようにひどく苦しみました。そして、約二週間耐え抜いた、病み上がりの疲弊した身体をふらふらとさせながらなんとか実家に帰還しました。

その後もしばらく身体がだるいことが続きました。しかし、ある日、ふっと身体が軽くなる瞬間があり、なんだか楽しくて笑いが止まらなくなりました。夜中にあまりにもげらげらと笑うので家族が気味悪がり、心配されてぼくは別の部屋に寝かされました。そして笑いが落ち着つくと電池が切れたかのように、ぐうぐうと深い眠りにつきました。

朝、目覚めると、世界がきれいでした。世界はきっと、変わっていないのに、本当に花や草木や空やすべての事象がきらきらと輝いて見えて、この世界すべてが美しいと思いました。生きていて良かったと心の底から思いました。この宇宙は希望に満ち溢れていると信じるようになりました。

あの笑いは、何でもない流れる日常が幸せだと痛感できたために起きた笑いだったのだとわかりました。今までが苦しかったために相対的に脳が勘違いしたのかもしれませんが、それでもぼくは幸せを感じていました。

今では、結果的に胃がん予備軍を教えてくれたカンピロバクター菌に感謝をしています。気づいたそのときばかりは「ああ、食中毒になって良かったわ!食中毒って素敵ね!」と狂っていますが、赤毛のアンのような気分になっていました。そしてあの時、某やきとりチェーン居酒屋に行かなければぼくは将来的に本当に胃がんを防ぐことができず、冗談ではなく、最悪死に至っていたかもしれません。ぼくを誘ってくれたおともだちにも感謝しています。それどころか、自分の周囲にいるものがすべてすべて愛おしくなりました。今まですべての出来事が、関連するようにつながって、運命を感じ、すべてのことが素敵だと思ったのです。

ぼくはあれから定期的に胃の調子が悪くよくなったりを繰り返していますが、年に一回胃カメラ検診をできていることが奇跡に思えています。

それからです。ぼくは世界に溢れている愛が理由なく素敵だと思いました。だからぼくは、すべてのことを肯定できるような、愛のかえるになりたいのとも思ったのです。

だから、だから、生きていることってすごいなあと思います。いがいと、幸せはちかくにあるものですね。

♡おしまい♡

おたより
kerokerotushin@gmail.com

ついった〜
@kerokerotushin


#エッセイ #コラム #体験談 #イラスト #けろけろつうしん #けろけろなるままに

いいなと思ったら応援しよう!