北京五輪フィギュア団体戦メダルの行方~ワリエワ ドーピングの結末は~
フィギュアスケートの試合が複数同時開催され、スケオタが観戦のはしごで忙しくしていた1月29日。北京五輪開催中にドーピング疑惑が発覚したカミラ・ワリエワ選手への処分がついに発表されました。これを受けてISU(国際スケート連盟)が出した見解で、2年近く放置されていた北京五輪フィギュアスケート団体戦のメダル問題がようやく動きました。
「日本が銀メダルに繰り上がり」と報道されていますが、ロシアやカナダが控訴の意思を見せており、決着がこれで本当につくのかは怪しい状況になっています。現時点でわかっていることを整理したうえで、北京五輪でのドーピング問題についての私見を書いてみようと思います。
次は全米選手権とユース五輪、国体について書こうと思ってたんだけどなぁ…。(ユース五輪すっごく楽しみにしていたのに配信の実況解説があまりにも不快で、ちょっとしか観られていません…)
CASはワリエワ選手を「4年間の資格停止」に
2024年1月29日、CAS(スポーツ仲裁裁判所)はカミラ・ワリエワ選手のドーピング問題についてようやく裁定を下しました。「2021年12月25日から4年間の資格停止処分」です。
ワリエワ選手側が「意図せずに摂取したということを立証できなかった」とし、「低年齢の”保護対象選手”を成人アスリートと異なる扱いをする根拠はない」と判断したようです。
処分決定が長引いた理由
ワリエワ選手のドーピング陽性が出たのは、2021年12月末に行われたロシア選手権であり、2022年2月の北京五輪ではありません。12月25日に採取された検体はストックホルムに送られて検査される予定でしたが新型コロナ禍の影響で検査が遅れ、検査結果がロシア反ドーピング機関(RUSADA)に届いたのは北京五輪団体戦の最終日。欧州選手権や北京五輪前に結果が出ていれば…と思いますが、やむを得ません。
その後ロシア反ドーピング機関(RUSADA)は調査を行いましたが、ワリエワ選手のドーピング違反の事実は認めたものの「過失はなし」として、検体が陽性となった2021年ロシア国内選手権の結果のみを失格と判断しました。しかし世界反ドーピング機関(WADA)と国際スケート連盟(ISU)がこれを不服としてCASに提訴。4年間の資格停止処分と、陽性の検体が出た2021年12月25日以降の全成績の取り消しを求めていたのです。
裁判になったから長引くのはやむを得ないにせよ、CASの裁定までに2年近く…発覚から長くかかりすぎですよね。
ワリエワ選手の成績の取り扱い
ワリエワ選手は2021−22シーズンにGPSロシア杯でトリプルアクセルと4回転3本を成功させ、総合272.71点で優勝しています。この大会は2021年11月の開催だったのでこの点数は次のルール改正が行われるまで「女子シングルの歴代最高得点記録」として残ります。おそらく誰も抜けない記録となるでしょう…。
2022年1月に行われた欧州選手権の成績は無効になるので、彼女の金メダルは剥奪となり、1位にアンナ・シェルバコワ選手(北京五輪金)、2位にアレクサンドラ・トゥルソワ選手(北京五輪銀)、3位にルナ・ヘンドリックス選手がそれぞれ繰り上がることになるーと予想されました。
ただしワリエワ選手側は30日以内にスイス連邦裁判所に上訴する権利がありますし、処分は完全な確定ではありません。2021年12月25日以降の競技成績をどう取り扱うかはIOC(国際オリンピック委員会)とISU(国際スケート連盟)の判断に任されることになったのですが、ISUは早々に北京五輪団体戦などの順位についての見解を発表しました。
北京五輪団体銅メダルはカナダでなくロシア?
この声明にはめちゃくちゃ驚きました。
銅メダルはカナダに行くものと思っていたのにロシアが銅メダル扱い!?
私はワリエワ選手の成績が無効になるのであれば、女子シングルの他選手の順位を繰り上げてポイントを再計算するだろうと思っていました。ワリエワ選手はショートプログラム・フリー共に1位で10点を獲得していますが、それが無効となるのでショートとフリーを滑った他の女子選手たちはそれぞれ1ポイントずつ増える計算になります。
その結果ロシアは74⇒54点となり、米国は65⇒67点で金メダル、日本は63⇒65点で銀メダルとなります。カナダも53⇒55点となり、54点になるロシアを上回る計算だったからです。
しかしISUの発表ではワリエワの成績を抹消するだけで団体戦の女子シングル選手の順位を繰り上げなかったため、ポイントは再計算されずロシア54点、カナダ53点でロシアが銅メダルだというスタンスです。
団体戦のメダルの行方については日本スケート連盟はこれまでほとんど抗議らしい抗議をせず、スポーツメディアも静観を続けてきました。一方、米国は選手も連盟もメディアも「早く結論を出すべき」と声を上げ続けてきました。カナダは米国ほど組織だったアピールはしていなかったものの、カナダの放送局CBCでは「ワリエワの件が決着するとカナダが銅メダルになるかもしれない!」と期待を寄せる特集を流していました。カナダが銅メダルになると予想する関係者は多かったです。
「ロシア団体チーム」が失格にならない理由
そもそも失格になったメンバーがいたのになぜ団体チームまるごとが失格にならないのか?という疑問の声もあります。
2000年のシドニーオリンピック・体操女子団体総合では、銅メダルを獲った中国チームの選手の年齢詐称が後日発覚(14歳を17歳と詐称していた)、中国のチームメダルは剥奪されて4位だった米国が繰り上がりました。
こうした決定はIOCと各競技団体によって行われるようですが、FIG(国際体操連盟)とISU(国際スケート連盟)との対応は大きく異なるようです。
そもそもフィギュアスケート団体戦はルール上、「一人失格なら全員失格」と言い切れない部分があります。
団体戦は男子シングル・女子シングル・ペア・アイスダンスの4つのカテゴリの選手が2つずつプログラムを滑った順位ポイントの総合で競いますが、4カテゴリ全部に選手を出せなくても出場は認められます。4つのカテゴリ全てで国際競争力のある選手を揃えられる国は限られるためです。実際北京五輪団体戦ではコロナ陽性での欠場者もいて、3カテゴリのみで参加した国が複数ありました。
「ロシアから来た選手チーム」の処分対象はワリエワ選手のみだったので、「男子シングル・ペア・アイスダンスの3つのカテゴリのみでの参加」として取り扱うことにしたのでしょう。
しかし北京五輪の1か月前開催の欧州選手権では女子シングル2~4位の順位を繰り上げるとISUは発表しているというのに、ポイント換算に関わる北京五輪団体戦の女子シングル順位を繰り上げないのには納得がいきません。
「銅メダルの行方」に対するメディアの批判
「ルール細則にこのような計算をする根拠が書かれていて、その通りにしただけ」という可能性はありますが、今のところ専門家でも根拠を見つけられていないようです。
USATodayのスポーツ担当記者は「なぜ女子シングルの順位を繰り上げてポイントを換算し直さないのかとISUに質問を複数回しているけど、未だに回答が来ていない」とX(Twitter)上で報告しました。
彼女は追加で調べた情報を含めて記事にしています。
X(Twitter)で取材過程を報告した後も更にISUに質問を送り、IOCにも質問を送ったけど両者ともリアクションはなし。米国の反ドーピング機関の最高経営責任者(CEO)からは「ロシアがオリンピックの銅メダルを維持するのはナンセンスだ」とのコメントを得ています。
ロシアもカナダも争う意向
「銅メダルを奪われた」感のあるカナダの連盟組織・スケートカナダは即異議を唱えました。納得がいかないと。そりゃそうですよね、私も納得いきません。
スケートカナダの主な主張は「ISUのスタンスに対して非常に失望している。『競技終了後に失格になった競技者より下位だった選手の順位を上げる』規則353を適用しないということに対し、異議を申し立てるあらゆる選択肢を検討する」という内容です。
スケートカナダが言及している規則353とは、ISUの技術規則の規則353(4)(a)のことと思われます。前述のUSATodayの記事によると「失格となった選手は順位を失い、中間結果および最終結果に失格 (DSQ) として正式に記載されます。競技を終了し、失格となった競技者よりも当初順位が低かった競技者は、それに応じて順位が上がります」と記載があるとのこと。
「異議を申し立てるあらゆる選択肢を検討する」ということですから、CASへの提訴も選択肢に入っていると思われます。
さらに驚くべきことにロシアオリンピック委員会も訴える方向だと。えええ、ロシアにとっては満額回答みたいな結果だったと思うのにマジですか!?
ロシアもカナダもCAS上訴するとなれば、裁定が出るのにまた1年以上かかり、団体戦順位が確定するのはまだまだ先になりそうですね…。
米国の金、日本の銀は確定と言ってもいい状況かと思いますが、銅メダルが確定しないことには3か国揃っての表彰式は実現しそうもありません。
もし現時点でのISU公表順位で確定したとしても、未だにフィギュアスケート競技大会に出場が許されていないロシア選手たちと共に表彰式を行うというシチュエーションは想像しにくいです。ロシアの連盟側は出席を拒否しそうですしね。場合によっては各国で独自の表彰式を行うという決着になりかねないかも…。
出場選手たちのファンとしては、新型コロナ禍真っ盛りの無観客五輪の中、感染予防に気を使いながらきつい日程の団体戦を勝ち抜いた選手たちが再び集い、少しでもオリンピックの空気感のある環境でメダル授与式を華々しくやってもらいたいーと願っていたのですが…。一刻も早くメダルを手にしたい選手たちもいるでしょうし、各国それぞれでの授与式になってしまうことも受け入れざるを得ないかもしれません。
ワリエワを指導していた側の責任は?
なぜIOCとISUはこのような結論に至ったのか、真相はわかりません。
スポーツ界では何だかんだと政治力の強いロシアとの関係性を保ちたかったから、ロシア寄りの判断にしたんじゃないか?今後カナダが訴えて順位が見直されることがもしあったとしても、それは「上訴の結果を受けてやむなくISUは変更せざるを得なかったから」ーと責任のがれできるように、いったんはポーズとしてロシア寄りの態度を表明したんじゃないか?とか色々言われていますが、どれも推測に過ぎません。
はっきりしているのは、結局ワリエワ選手一人に責任を負わせるだけで今回の件の陰に組織的なドーピング行為があったのかどうかは一切明らかになっていないということ。当時15歳の少女が全部自分でやったというにはあまりにも無理があるというのに、彼女をスケープゴートにしてロシアの大人たちの責任を見逃してあげているようにしか見えません。
フィギュアスケートファンの多くは、「ロシアのエテリ・トゥトベリーゼコーチ配下の女子選手たちは皆激しいダイエットを強いられ、謎の粉末と水だけで激しい運動をして細身の少女体型を何とか維持してるらしい」と言われていたのを知っているかと思います。
(日本のスケオタ達はこのダイエットサプリらしき「謎の粉末」をふざけて「エテリ粉」と呼んでいましたが、今はそんな言葉をジョークで使える空気ではなくなってしまいました。あれは本当にただのダイエットサプリだったのでしょうか…)
彼女たちの試合にはいつも専属医師が帯同していました。スポーツドクターを試合に帯同することは推奨されるべきことで悪いことでもなんでもないのですが、ロシアのフィギュアスケーター複数名は2016年から違法薬物に指定されたメルドニウムを恒常的に使用していたことが明らかになっているぐらいですから、「今も薬物を使って選手たちを管理し続けているのではないか」と疑う人たちはいました。
組織的薬物投与の疑いが強まった状況なのに詳細が明らかにならないまま2年近く。エテリ・トゥトべリーゼコーチをはじめとするワリエワ選手を指導していたクラブのスタッフたちはロシア国籍以外の選手も指導しているので、日本をはじめとする世界中の大会に普通に参加し続けています。その姿を見ると、ワリエワ選手だけが処分を受けることを理不尽に感じます。
台無しにされた「天才少女」の未来
ワリエワ選手は高難度ジャンプだけが見どころの選手ではなく、年齢の割にスケーティングも表現力も秀でていたので、少女体型でなくなった後も魅力的な演技ができる選手に成長する可能性があると思って期待をしていました。2021年大阪グランプリファイナル(新型コロナ・オミクロン株流行拡大により直前に開催中止)で彼女の演技をナマで観るのを楽しみにしていたぐらいです。
なので、北京五輪開催中「ドーピング検査陽性が出た」という報道を聞いても私には当初は彼女を擁護する気持ちがありました。誰かに違法薬物を盛られた可能性も考えました。(他競技でそういう事件はありましたし)
その後の報道で他者に陥れられた可能性も、禁止薬物が入っていると知らずうっかり口にしてしまった可能性も薄そうなことがわかってきたので、擁護の気持ちは消えてしまいましたが。
しかし、薬を飲みさえすれば凄いスケーターになれるわけではありません。薬物の力を借りて「限界を超えて追い込める体力」をつけた少女が常人の限界を超えた練習を続けた結果あれだけの能力を身に着けたわけで、彼女の実力の大半は彼女自身の努力で得たものです。
ドーピングをしていなかったとしても、彼女は才能と努力によっていい選手になれたでしょう。4回転3本も跳べるようにはなれなかったかもしれないけど、世界トップレベルで戦える、記憶に残るスケーターになれたはず。
もはや彼女は「オリンピックでドーピングが発覚したスケーター」としてしか記憶されません。彼女の背後で誰がどう指示していたのかは全くわかりませんが「なんて余計なことをしてくれたんだ」と腹立たしく思います。
競技の練習も事実上不可能に
CASの裁定はワリエワ選手自身にとってかなり厳しい処分となっています。
4年の資格停止は「当然だろう」と思うのですが、世界反ドーピング機関(WADA)の規定によると、資格停止期間中は「連盟や政府の資金を受けた活動」が許可されないのだそうです。
具体的にいうと「国内連盟、またはその国内連盟の会員であるクラブ、または政府機関の資金提供を受けているクラブが主催するトレーニングキャンプ、エキシビション、または練習に参加できない」のだと。
試合に出場することが許されないのは当然ですが、今までトレーニングしてきたリンクで滑ることもコーチに指導を受けることも許されないことになります。ロシアのリンクやクラブにはどこも大抵政府の補助が入っているでしょうから、彼女はロシアにとどまる限り競技レベルのスケートを続けることはできないと思われます。
ロシアの組織的なドーピングについて手厳しく考えている海外フィギュアスケートファンもこの点については少々同情的でした。2年近くまともなリンクで滑れず、指導も受けられなくなるということは、「競技の一線に戻る道」は閉ざされたようなものです。
現在17歳のワリエワ選手は既に4回転ジャンプやトリプルアクセルなどは跳べなくなっているようですが、決して「高難度ジャンプだけ」のスケーターではなかっただけに、天才少女の未来をこんな風に潰してしまった背後の人たちの責任が何一つ追及されていないことが本当に腹立たしいです。
今夏のパリ五輪は条件つきですが、ロシアとベラルーシの選手は個人資格で参加が認められます。
選手一人ひとりに問題があるわけではないのに、パリ五輪の競技でロシア選手を見ると微妙な気分になってしまいそうなのが残念です。
北京五輪のフィギュア団体のメダルが渡されるのはいつになるのでしょうかね…