子を持たない
紆余曲折あって、子を持たないことに決めた。
何年も何年も、この女体の生産性の最たるものである妊娠と出産について考え続けてきた。
生理の苦痛は、やがて子を産むことで昇華される痛みなのだと思ってやり過ごすしかなかった。私は幸いにも生理痛が重い方ではなく、痛みを我慢すれば社会生活を過ごせる程度の肉体を与えられて生きてきたが、それでも、月に一度、苦痛をともないながら股から多量の出血があることは、そこに何かしらの意味を見出さねばやりすごせないことだった。
妊娠可能な女性として生まれたこと、その務めを果たさねばならない義務感。自分を生きながら妊娠出産をやりおおせることの難しさは、想像するだけで血の気が引いた。
私は女に生まれた以上、出産の義務を果たさなければ、生きていることを認められないのではないかと怯えていた。
適齢期を迎えて、友人たちが次々に出産する。そのことが怖かった。私は遅れをとっているのだと思い知るのが怖かった。友人たちの産んだ子供に祝福を捧げながら、私は義務を果たしていないのだと思うのが、この上なく怖かった。
好きな男がいた。
人生を懸けて愛して、十分な愛を返された。
「あなたの子が欲しい」と伝えたら、男はその感情に応じた。
互いに子をなせる状況ではなかったが、その日から、私たちは避妊措置をおこなわない性行為に耽るようになった。
それでも、子はできなかった。後から聞いたことだが、男は私の排卵日を周到に避けて性交に挑んでいたのだそうだ。私だけが、生理がくるたびに絶望していたのらしい。私だけが。
男の子は孕まぬまま、われわれは終焉を迎えた。
男は、別の女性とのあいだに子をなし、家族をつくった。
次に、子をなすことを考えた相手は、すでに子を持つ男だった。
われわれのあいだに子をなすかを協議したところ、「選べるのなら、子を持たずに生きたかった」と本音を語った。
きちんとした男なので、彼は「君が子を持ちたいというのならばその準備はできている」と私に伝えている。
けれど、男の本音を受けてなお、私のエゴで生命をなすことは、できないと考えた。
諦める、というのは不適切な表現だろう。
子どもを望むことについて、私に、自身の生にともなう切実さはなかった。
射精の結果、子ができるという、そのことにずっと懐疑的だった。
男性を射精に導くなんてことは、言ってしまえば、誰にだって可能なことだ。そんな迂闊なことで、生命を生むことに、ずっと拒否感があった。
好きだった男の膝に乗って、泣いた。
「あなたが手に入らないのならば、私は、あなたとの子どもを産んで、あなたとの子どもと二人きりの世界を生きていきたかった。あなたとの子どもと、二人きりで愛し合って、大事にする。大事にするよ。あなたのかけらを子どもに見つけて、それで、あなたを愛するかわりに子どもを愛して、生きていきたかった、それすらも叶わない。私は、あなたを愛することを、世界のすべてに拒絶されている。否定されている。もううんざりだ」
そう言って泣いた。
とうとうと涙を流す私の気持ちは、男には伝わらなかったらしい。避妊を、提案された。絶望は深かった。
妊娠を諦めた。
私の人生の全てが、妊娠を拒絶した。
仕方ないと思う。
私はこれから、どういう自分を生きていけばいいのだろう。
私が生きるだけで、出産する以上の価値を生まなければならない。人をひとつ生み出す以上のことが、私にできるのだろうか。
死から逃れることができない。
こう決めた以上、なにも、私を死から逃してくれない。
誰によっても助けられないこの生を、まちがいなく私しか助け得ないのだが、もう疲れ果ててしまった。
折り合いのつけかたがわからず、苦しい。