『絶対評価のストレス』をちゃんと認めてあげること
今日も書く。気分が乗っているうちに。
在宅勤務だけれど、昨日よりは集中できた気がする。ずっと椅子に座ってパソコンに向かって、足やら腕やら背中やらが凝り固まってきているから、もう少し適度にストレッチしたり、体を労ってあげたい。
買ってもまだ着ていけるところがないのに、洋服が欲しくなってきている。自分の体の近くには、好きで心地のよいものを置いておきたいのかもしれない。だから洋服が好きなのかもしれない。
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今日は、この記事に出会えてとっても救われた。SNSでもシェアしまくったけれど、まだ読んでいない人は読んで欲しい。わたしが書くこのnoteの続きは読まなくていいから、塩谷さんのこの言葉たちだけ、読んでいって欲しい。
この不穏でストレスフルな空気を浴び続けながら生命活動を維持してるだけでもう、めちゃめちゃすごいことなんだ。その上でさらに価値あるものを産まなければ、だなんて思い詰めなくていい。自分という価値ある存在を守り切るだけで、もう充分なんだ。
人によって置かれる状況は違うけれども、ストレスというのは相対評価ではなく、自分だけの絶対評価でしか測れない。
昨日、想像力についてこんなnoteを書いた。書き殴ったから、読み返すと言いたいことの半分も言えていないし、本当に力を込めたかったところに限って端折られているし、何だかなという印象。
『ストレスというのは絶対評価』。すとんと腑に落ちた。置かれている環境もそこから感じることもみんな違うんだから、自分のものさしでしんどい時はちゃんとしんどいって思っていいんだって。
みんなそれぞれ頑張っていて、偉い。
塩谷さんのことは、ふだん発信されている内容から、芯があり、論理が明確で、頭の切れる、強い方だという印象が強かった。非常に勝手かもしれないけれど、そういった方々も、等身大で精一杯生きているんだなって、親近感か安心感か、連帯感か、そんなものを感じた。とにかく、わからないけど、読んでて涙が溢れてきた。うまく言語化できていなかったことをすくい上げてもらったようで。
不安になる。ストレスを感じる。怒りがこみ上げてくる。無力感に包まれる。興奮してくる。そのどれも、おかしな感情なんかじゃない。誰もが経験したことのない非日常の真ん中にいるんだ。そうした感情を抱くことは私たちの心が確かにそこに在る、という証拠だ。
誰にもどうなるかわからない状況。何とか食い止めるために精一杯頑張ってくださる方がたくさんいる。この激動の時を乗り越えたあと、とか、この激動の時だからこそ、とか、ビジネスチャンスやマインドチェンジの機会に無理にしなくてもいい。まず自分のために、周りの大切な人のために、健やかで、確実な、一歩を踏み出したい。
手をしっかり洗って、密を避けて、ごはんと睡眠で免疫力を高めて、よく笑って命を上向きにする。
そういう一つひとつが、わたしにもできることだし、わたしたちがしていったらよいことだと思うから。
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毎日違うことを言っている気もするけれど、こうやって書き記していく中で残ったことばが、きっと大切な価値観で、真実だと思う。