味噌汁くらいは、つくった方がいい。
「味噌汁くらいは、つくった方がいい。冷蔵庫にあるもの何でも切って鍋に入れて、味噌を溶かすだけでいいから。ちゃんとごはん食べなよ」
よっぽど生気の無い顔をしていたんだろう、普段口数が少ない上司がそう言ってきた。
あの日は、仕事中に泣き出してしまった。
怒られたりだとか、特別何があったわけじゃない。見えないしんどさとか、できない自分への嫌気とか、少しずつ積もっていたものが溢れ出たのが、たまたまあの日だった。
思えば、コンビニ飯が続いていた。部屋の片隅にはプラ容器が積まれている。ちょっとした意地で、昨日は弁当、今日はパスタ、明日は…とバリエーションをつけてみるものの、何を食べても同じような味に思えて、もはやそれは栄養補給と言ってよかった。いや、栄養だってきっと偏っていたから、お腹が膨れれば、もっと言えばご飯を食べたという事実をつくれればなんでもよかった。違うな、食事を抜くときもあった。そういう時期だった。
いろいろなことが空回りしていた。生きているけど、生活はしていなかった。夜は明けても、一日の区切りは無かった。
味噌汁か、と上司のことばを思い出す。もう何か月も料理をつくっていない。
冷蔵庫を開ける。使いかけの調味料と、あとで食べようと買ったままのプリン、そして好き勝手に芽が伸びた玉ねぎ。これじゃあ何もつくれない。買いに行こう。
3つパックになった豆腐と、油揚げと、乾燥わかめ。あの日つくった味噌汁がこれだとはっきり覚えていないけれど、実家で母がつくるのはいつもこのセットだから、きっとそうだ。
乾燥わかめを水で戻して、豆腐をパックから出して掌に乗せ、賽の目に切る。これも母がやっていた見様見真似だ。油揚げは湯通しする。大学時代に覚えた。鍋に入れて、沸騰させて、味噌だけじゃ味気ないよなと思いながら、実家から粉末だしを送られていたことを思い出して、最後に味噌を溶かす。
味噌汁の正しいつくり方もきっとあるんだろうけど、具材を鍋に入れて味噌を溶かせばいいって、そんな感じだった。
しょっぱすぎた気もするし、ほとんどお湯のような薄味だった気もする。それすらよく覚えていない。
ひと口。自然と、「うまっ」と声が出た。温かいものを食べたからなのか、人の手の入った料理の優しさみたいなものなのか、理由はわからないけれど、美味しくて、安心した。
お世辞にも、よくできたとは言えないあの日の味噌汁。けれど格別だった。
ご馳走みたいな絶品料理もいいけれど、部屋でひとり、自然に美味しいと声がこぼれるごはんがいい。食事って美味しいんだな、と置いてきたものを取り戻せた気がする。
あの日から、忙しくても汁物だけはつくろうと思っている。決して主役にならないし、誰かに振る舞う料理でもないけれど。
「うまっ」と自然と声が出るうちは、わたしはきっと大丈夫。生活ができている。