やり始める
やり始めることは大切だと感じた出来事。
現在、長男(10歳)はゲームに夢中。Switchを購入してから大袈裟かもしれませんが、ゲームに支えられ楽しい時間を過ごしています。YouTubeでもゲーム実況を見ながら攻略法を仕入れ、こういう事もできるんだと知らない事を知る為に見ていると言った感じです。
4つ歳下の妹も兄に影響され、YouTubeを鑑賞し、いつしかゲームをやる様になっています。最初YouTubeは自分好みのものを見ていましたが、最近は兄が見ている様なゲーム実況も見るようになっています。
時折、娘はゲームやりたい欲望がムクムクと湧き上がり「ゲームやりたい」と息子に掛け合い2人でゲームをしています。まぁ、息子が妹の相手をゲームだからしてやってるといった感じでしょうか。この年代の4歳差はけっこ大きいですから。
ある日、娘がいつもの様にゲームをやりたいと言い出し、1人でやり始めました。やった事のないゲームMinecraftというゲームです。Minecraftはまだできないだろうと高を括っていました。ブロックを置いていくゲームでクリエイティブな部分があるからです。今まで娘はスマッシュブラザーズで息子と一喜一憂しているというか、やりながら覚えてだんだんと上手くなっているなぁと言ったところ。
傍らでできるのかな?とぼんやりと眺めていたら、やり方もなんとなく把握しているようで、うまくいかなところではイライラを振りまき、時にブツブツ呪文を唱えるように独り言を、わからないところは息子に聞きながら進めていました。そういえば、Minecraftのゲーム実況をYouTubeで良く見ていたなと思い出し、やりもしないゲーム実況をみて面白いのだろうか?と疑問に思っていました。
今回の娘の行動を見ていて改めてそうだよなと思うところがありました。
最初は息子がやっている物、見ている物に影響を受け、興味を持ち何となくやってみよう!からのスタートだと思います。とにかくやり始め、手を動かし、わからないまま操作し、わからないを経験しながら、わからないなりに操作の方法がわかってくる。わからない中にわかり始めるというボンヤリとしたものが生まれ始める。上手くいかない事でイライラを振り撒き、イライラを経験する。やり始めた時に最初に感じるストレスです。誰にでも「初めて」があり、その「初めて」は大抵上手くいかない事が多いです。やり始めないとそういう事はわからないのです。もちろんそういう事に対して耐性もつかない。
途中の過程での「上手くいかない」にどう対応するのか?がその人の人となりが垣間見えるのかもしれません。性格もありますしね。ここで試行錯誤できるか、どれだけ面白がれるかという部分が、始め続けらるポイントになるのではないかと思います。
Minecraftをやり始めた娘。やり始めたという事は上達の可能性が上がり始めたという事。2回目、3回目とやる可能性があるという事。一方で、1回こっきりでやらないという可能性もあり、2回目、3回目で嫌になるという事もあり得ます。やり始め続けられないという結果も多いに孕んでいます。とにかくやり始める事で物事が動き始めるんだと思います。
大人になると「やり始める」という事が少なくなるというか億劫になるというところがありますよね。少なくとも私はそうです。「面倒くさい」と「失敗が怖い」が入り混じっています。
やり始める事をやる。やり始める事をやらない。やらないをやる。やらないをやらない。意味不明な言葉が脳内をループし始めて、ループし始める事を始めてしまい、混乱した思考を混沌とした脳内で処理しようとしてがんじがらめになりながら、あと何回、俺は「やり始める」事ができるだろうか?とふと考えてしまった出来事でした。
「やり始め」ないと始まらないんだよな。あたりまえだけど。誰かやり始める勇気の出し方と上手くいかない時の凌ぎ方を教えて欲しいと思う二児の父親のボヤキ。「やり始める」事はとにかく偉大だ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?