アウトロー歌謡の総決算としての「とんぼ」そして消失(ラブソングの危機12)
今回は「アウトロー歌謡」について考える。日本の歌謡曲の歴史にはヤクザや社会の裏側の人々について歌った歌が少なくない。その多くは今では公に放送するのが難しいものも多いわけだが、多くの大衆に支持されたわけで、考察するに値するはずである。
アウトロー歌謡もCGP同様、「作者不詳の唄」ブームの中から生まれたジャンルである。作者不詳の「お座敷小唄」がのちのCGPを生み出した、とすれば、同じ作者不詳の「北帰行」はのちの「東京流れ者」や「網走番外地」などの「故郷を離れ、見知らぬ町を北へとさすらう、捨て鉢な心境」を描いたアウトロー歌謡の源流と言える。「北帰行」自体は「戦地で故郷を懐かしむ唄」という背景があったようだが、60年代後半以降、「田舎から都会へでてきたヤクザ者の自嘲の心境」へと読み替えられていったようだ。アウトロー歌謡とCGP、共通しているのはこの「自嘲、自己卑下」に心情である。あとで述べるが、この心情はショーケン、松田優作、ダウンタウンブギウギバンドの宇崎竜童、長渕剛に至るまで「不良性がウリ」のシンガーに次々と受け継がれていったが、90年代以降のヒップホップ、ラップ表現の登場により途絶えてしまったと私はみている。この「後ろ向きな自嘲」を許さないヒップホップ精神が結果、ヒップホップが日本の歌謡曲として未だ、根付いていない遠因があるのではないかと筆者は睨んでいるが、(つまり日本的な不良の歌謡曲とヒップホップ文化は相性が悪いのではないかと)この件について後述する。
この「不良(ヤクザ等裏稼業の人々)が後ろ向きに自嘲するのがカッコいい」という文化は80年代までは生き続けていたように思うのだが、90年代以降、急に流行らなくなる。1984年の大映ドラマ「スクールウォーズ」に登場する松村雄基演じる「川浜イチのワル」大木が敵対不良グループと立ち回りを演じる時にも「東京流れ者」を口ずさんでいる、と輪島祐介氏も回想している(創られた「日本の心」神話)つまり、84年あたりでは不良少年は「東京流れ者」的なメンタリティでオッケーだったのである。さらに時代がくだり、88年にはアウトロー歌謡の総括、といえる長渕剛「とんぼ」が発表される。本人主演のドラマの主題歌でもあったこの曲こそがアウトロー歌謡問題、CGP問題、つまり洋楽と浪曲の攻防戦の中核にあると私は考えている。どういうことか。
宮史朗や長渕剛の歌唱法は浪曲の精神を継承している。ナイーブで古風な恋愛観や人生観を悪しき近代主義の好奇の視線から守るためにはヤクザのような風貌を身にまとい、悪魔のようなダミ声でその無垢な世界を守るのだ、というコンセプトが受け継がれているように見える。必然的にアウトロー歌謡、CGPは近代志向、都市志向の文化人からは嫌われることになる。この都市志向の文化にはヒップホップも含まれる。少なくとも日本のヒップホップの黎明期のラッパー、80年代の近田春夫やいとうせいこうや高木完が長渕を好んでいたとは思えない。ヒップホップ畑から般若や輪入道のような「長渕ファン」を自称する者が現れるのは90年代も終わりになってからである。
浪曲は歴史的に文化人から嫌われ続けている。なにしろ浪曲関連の資料をあたると必ず登場するのが世間の浪曲嫌悪に対する愚痴なのである。正岡容「定本・日本浪曲史」のなかに「浪花節是非」という章があるが正岡の愛する浪曲がいかに文化人に嫌われてきたかの歴史を詳細に語っている。
まったく世に、浪花節ほど識者の顰蹙をかいながら、僅々五十年近くの間に全大衆の心の隅々まで食い入ってしまった演芸もあるまい。いや、今日でも文化人の過半数には食わず嫌いに嫌い抜いている人々が少なくない。いわゆる知識人が嫌いなばかりではなく、一部東京の伝統に育まれた江戸っ子と称する手合いにも場違いそのものの芸術として軽蔑されてきた。言うまでもなく旧東京人が娯楽の対象として渇仰した演芸は、まず講談であり、まず落語であった。講談や落語に比して、往年の浪花節は芸人そのものも、演出法も演芸場も、あまりにも野卑であり低調であった。それがはなはだしく嫌悪されたのである。(中略)これを要するに、西洋趣味の山の手人種からも、生粋の江戸前を尊ぶ下町人種からも狭窄的に忌み嫌われたものが、我が浪花節の「宿命」だったのである。(前掲書)
なぜこれほどまでに文化人に浪曲は嫌われるのか? 正岡なりに原因を考察している。まず第一に水調子と呼ばれる最低音の三味線の音調と腹の底から絞り出す力味声(ダミ声)が人々を嫌悪させるという点。第二にその歌詞。教養のない浪曲人の多くはいわゆる珍語奇語劣語悪語を創造した。(注1)講談や落語に比べると明らかに言葉が露悪的で下品だったのである。第三に、浪曲家の多くが生活水準の低い階層の人々であったということだ。実際にやくざの関係者も多かったようである。つまり浪曲とは泥臭く、無教養で、やくざのような風貌の人間のパフォーマンスであって、都市の文化から嫌悪されるのも「いかにもそれはうなづける、筆者にも」と正岡自身納得している。
しかし、「やくざのような風貌で」「珍語悪語を創造し」「ダミ声で」古風で自嘲的なやくざの生き様や恋愛を歌う長渕とは、浪曲をそのままアップデートしたかのような存在に思えてくる。「とんぼ」以降、悪趣味と言われても仕方のないような風貌で何度かテレビ出演を果たしているが、バブル絶頂期のポップス歌手やアイドル歌手と並ぶとやはり、常に浮いていたのである。
「とんぼ」の要素とは「北帰行」の作者不詳ソングの気配、(うすっぺらのボストンバッグ、北へ北へ向かった)「東京流れ者」「網走番外地」の自嘲的な不良ヒーロー像を踏襲している。(注2)そしてユーミンさんやサザンに象徴されるバブル絶頂期の文化的な空気の揚げ足をとるかのような「無教養で、下品なヤクザ感」の雰囲気、これらで構成されている。無論、当時から長渕の無教養感、下品感は文化人から嫌われていたわけだが、社会のある階層からは熱狂的に支持された。このあり方ははじつに浪曲の置かれた立場と似ている。
暴力団風の風貌、悪声で歌う、浪曲が「水調子」を基音とする単純な伴奏を伴うように、サウンドはシンプルなバンドサウンドである。複雑な和製を持ったジャズサウンドであってはならない。(注3)そのような意味で「とんぼ」は歌詞、歌唱法、サウンド、ビジュアルイメージのすべてが理想的なアウトロー歌謡である。長渕は翌、89年には「とんぼ」含むアルバム「昭和」を発表する。ここには50年代の浪曲ブーム、作者不詳ブーム、60年代CGP歌謡、アウトロー歌謡、70年代のニューミュージックCGP(ここまでくると自身のキャリアまで含む)までを含む、戦後「裏」歌謡史を総決算しようとしていたのではないかと思えるような内容である。じつに暗いアルバムなのだが、年間アルバムチャート3位を記録した。(ちなみに1位はバブル絶頂期らしくユーミンさん、2位は久保田利伸のベストアルバムである)そう、この昭和63年~平成元年といえばバブルの絶頂であった。世の中がオシャレに、合理的に、近代的に変化していく中で長渕は露悪的なまでに時代遅れのヤクザ者を演じた。まるで浪曲の「仇討ちもの」を現代的に翻案したかのような前時代的なドラマ「とんぼ」も高視聴率を記録した。この時代にもし、長渕がいなかったらと思うとゾっとするのだ。歌謡シーンがアイドル歌謡とニューミージック演歌とバンドブームとユーロビートで回っていたかもしれないのだ。こんなに貧しいことはないだろう。この時代の長渕の「近代への抵抗」を今一度、筆者は評価したいと思う。
ところでこの時代の長渕について筆者は未だにわからないことがある。TBSドラマ「とんぼ」の第一回放送のなかのあるシーン。ベンツで移動中の場面で子分のツネ(哀川翔)が運転、後部座席に刑務所から出所したばかりの長渕演じる小川英二が車窓を眺めている。ひさしぶりに再会した兄貴分との車中でどうも気まずくなったのか、ツネはカーラジオで音楽をかける。ちょうどそのころ大ヒット中であった、サザンオールスターズ「みんなのうた」が流れてくる。モータウン調のポップな楽曲である。ツネはこれがお気に入りのようなのだが・・・
英二(長渕)「オイ、なんだソレ」
ツネ(哀川翔)「ア、コレ今一番売れてるんスよ」
英二「消せ」
ツネ「アレ? 嫌いですか?」
英二「こんなクソみてえな歌、消せコノヤロー」(運転席を蹴る、ツネ、しぶしぶラジオを消す)
英二「日本人ナメくさったようなコノヤロー」
ツネ「スイマセン」
英二「(鼻歌)ここーはー、地の果てー、アルジェリアー、どうせー、ン? なんか言ったかー?」
ツネ「いえ、なにも」
英二「どうせ、カスバの夜に咲くー」(TBS系ドラマ「とんぼ」1988年10月7日第一回放送より)
英二が洋楽風のポップス歌謡が嫌いなのは小川英二の人物設定上、理解できるのだが、このやりとりのあとに口ずさむのがなぜ、エト邦枝の「カズバの女」(昭和30年)なのだろうか? 無論「カスバの女」もアルジェリアに流れ着いた女の「流れ者系」のアウトロー歌謡であるし、「とんぼ」(歌のほう)の源流といえばいえなくもない。しかし、アウトロー歌謡ならべつに「網走番外地」でもいいわけである。(なにしろ英二はちょうど刑務所を出所したところである)それに「カスバの女」は酒場の女の哀切であって、英二の心情にそのまま重なるものでもない。なにか別の深い意味でもあるのか? ドラマ「とんぼ」の脚本は黒土三男だが、演者の長渕の意見も多く取り入れたそうだ。(注4)おそらくこのクダリは長渕のアイデアと思われるが、真意が未だにわからない。「カスバの女」にとってのアルジェリアやチュニスやモロッコが、英二にとっての東京だ、ということか?
ところで長渕はキャリアの途中で急に「悪声化」した歌手であるが、CGP歌手のなかには長渕のようにキャリアの途中で歌い方が大きく変化した者がいる。そして奇妙なことに「CGP絶対歌わない歌手」に、このような変化を遂げる者は見当たらないのだ。次回はこの、「CGP歌手悪声化」問題について考えてみよう。
注1・・・珍語奇語劣語悪語の創造。長渕は「乾杯」、「順子」の作者として知られているように、元々常識的な日本語詩の書き手である。しかし85年あたりを境に珍妙な日本語表現を模索するようになる。たとえば「とんぼ」においても「ヤケ酒を呑む」ということを「憤りの酒を垂らせば」と常識的ではないものの、やさぐれ感を強調した長渕らしい表現がある。これ以外にも「夜を一枚ひんめくりゃ」(しゃぼん玉)、「自分の弱さに思わず 鼻をつまんだ」(Stay Dream)、「ゲスな女に雨宿り」(三羽ガラス)のような個性的な表現が見られる。これはすでにファンの間では周知のことだが、長渕歌詞がこのような浪曲的悪語の方向へシフトしたきっかけは83年の映画「竜二」(金子正次主演・脚本)の影響が強い。一度カタギになったヤクザが再び極道の世界に舞い戻るという話で、そのもっとも印象的なシーンで口上(ヤクザの世界の挨拶)を述べる。「花の都に憧れて 飛んできました一羽鳥 ちりめん三尺ぱらりと散って 花の都は大東京です 金波銀波のネオンの下で 男ばかりがヤクザではありません 女ばかりが花じゃありません 六尺足らずの五尺の体 今日もごろごろ 明日もごろごろ ごろ寝彷徨うわたくしにも たった一人のガキがいました そのガキも今は無情に離ればなれ 一人寂しくメリケンアパート暮らしよ 今日も降りますドスの雨 刺せば監獄刺されば地獄 わたくしは本日ここに力尽き引退いたしますが ヤクザもんは永遠に不滅です」というものだ。この口上のフレーズのいくつかを長渕は87年作品「泣いてチンピラ」に引用しているように、悪声以降の長渕歌詞はこの映画の世界に強く影響を受けている。80年代のオシャレな時代に、長渕と同期のフォーク歌手(チャゲ&飛鳥など)はこぞって、広告的、感覚的なオシャレリリックへと移行していったこの時期に、どういうわけか任侠の言葉に吸い寄せられていった長渕のセンスについてはあとでもう少し掘り下げてみたい。このあとの長渕のキャリアとは、「サウンドは現代的なアメリカンロック、リリックは古風な任侠の世界」というアンビバレントをはらみながら突進していくことになる。
注2・・・「とんぼ」の歌詞は明確に「反・近代」を意図しているが、歌謡曲研究家目線から見て興味深いのは「死にたいくらいに憧れた花の都大東京」というフレーズである。無論、主人公の男を受け入れようとしない都市文化を揶揄した言い方なのだが、同時に「楽し都、恋の都、夢のパラダイスよ、花の東京」といえば藤山一郎「東京ラプソディ」の一節でもある。急速に歌謡曲のモダン化が進んだ1936年発表の曲だが、都市の華やかさ、先進性を軽やかに讃えた歌である。そして藤山の歌唱も長渕とは真逆の朗々としたもので両曲はまるで裏表の関係にある。つまり「とんぼ」とは反「東京ラプソディ」ともいえるのである。このように長渕歌詞には、権威的なものや浅はかな流行などを毒づき、揶揄する表現が散見されるが、単に口汚く罵る、というより重層的な意味をこめられたものが多い。このように長渕歌詞とは一見、無教養で下品に見えるが、簡単に真似できない作詞術なのである。
注3・・・アルバム「昭和」は全体にシンプルなフォークロック風バンドサウンドである。しかし「シェリー」のような複雑なコードを使用したバラードもある。(オープンGチューニングのギターと思われる)かと思えば「ほんまにうち寂しかったんよ」のようなドロドロのCGPもある。暗いながらもバラエティ豊かなのである。つまり「とんぼ」のシンプルさとは、それしかできないのではなく、意図的なものである、ということが重要だ。長渕は音楽的な引き出しの多い作家である。実際、その後「女神のスウィング」のようなストレイキャッツタイプのネオロカビリーや、「走る」「loser」のEDM、ラップのようなトーキングブルースの「Keep On Fighting」など音楽的な実験を繰り返している。役者としては「古い男」を演じるのを好むが音楽家としては新しもの好きである。
注4・・・長渕はドラマ「とんぼ」が生まれた経緯についてこう語る。
「脚本家の黒土三男と社会派のドラマをやりたかった。世の中の不条理みたいなものを究極の形を借りてやっつけたかった。(中略)で、いろいろ考えて最終的にはヤクザしかねえと。当時「うさぎの休日」っていうドラマをNHKでやっていて、確か伊豆ロケだったな、その帰りの車の中で黒土とふたり、ヤクザになって何をやるかをテーマに話した。俺がいろいろ言ってたことを黒土がメモしてたのを憶えている。(別冊カドカワ「総力特集・長渕剛、音楽人生三十年を語り殺す!」KADOKAWA、「長渕剛が「今」語る「とんぼ」の時代」より)
このメモのなかにすでにドラマに採用されたエピソード、たとえば渋滞に巻き込まれた時に「どけ!」と前の車にぶつけて、抜けてしまう話や地方出身の交通整理の若者に「がんばれよ」と1万円札をあげてしまうシーンなどがあったという。「カスバの女」のシーンはドラマ「とんぼ」のなかでも数少ない「歌」に関するエピソードであり、長渕自身の発案であったと考えられる。