ラブソングの危機を考える1
どうも昨今、「恋愛」の旗色が悪いようである。たとえば「ラブソング」というコンテンツがあまり消費されていないように感じる。
試しにスポティファイのニューリリース(2018年5月4日現在)という項目から任意に日本の楽曲をチョイスしてみる。
・キリンジ「時間がない」・・・どうも中年の男が主人公のよう。「あと何度、君にあえるか、あと何曲、曲を作れるか・・・母親はまだボケてはいないが子供は学校に行かないし、ローンはまだ残ってるし」
つまり人生の残り時間についての焦燥についての歌である。キリンジらしい、キャリアの長い作家の歌である。
・[Alexandros]、最果タヒ「ハナウタ」・・・抽象的だが、主人公がとても孤独を感じているらしい。どうも恋愛についての歌ではないようだ。
・EXILE featuring FANTASTICS「Turn Back Time」・・・EXILEなら大丈夫なハズだ。きっといつもの感じで惚れたはれたと大いに歌い上げくれることだろう、と期待したらビックリ。幼い頃に夢見た気持ちを忘れないでいよう、的な雑にまとめると人生論ソング。そんな、まさかEXILEまで恋愛をテーマにしていないとは。おかしいな、女性シンガーならどうか。直近のリリースならこんなのがある。
・のん「わたしはベイベー」・・・「わたしの心はわたしが決める、わたしの明日は笑っていよう」、矢野顕子作詞作曲による忌野清志郎に捧げられた歌。やはりラブソングということではなさそうだ。
・欅坂46「ガラスを割れ!」・・・飼いならされた犬に鳴るな、もっと自由を求めろ、というメッセージソング。アレ? アイドルって「アナタがスキ~、抱きしめて~」とか歌うものじゃないの? もう現在のアイドル文化についていけてない自分に気づいただけのノンラブソング。ヲイヲイ、女性シンガーが恋愛を歌わないってどういうこと? 根性で探す。したらあのグラビアアイドル、篠崎愛が4月25日に1stアルバム「You & LOVE」をリリースしている。そのなかに先行配信曲「UNICORN」がある。これはラブソングに違いない。
・篠崎愛「UNICORN」・・・「ふたりなら、迷子でもいい、つれだしてカラフルなMy Unicorn」「ねえ、君の隣は心地よくて So少し凹んだココロ埋める」やはり当代一のグラドルである。孤独がどうしたとか夢をあきらめるなとか辛気臭い話しているわけがない。ラブソングである。だが、オヤジの考えるラブソングとはどうも質感が違う。ユニコーンに例えられる男子とはどういうことか? また「アナタじゃなきゃダメ」的なことも言ってくれないのだ。「君の隣が心地いい」とは言ってくれるが、歌唱、サウンドから鑑みてこのあとにセックス的な展開が待っているとはどうしても思えない。グラビアアイドルですらこの抽象性なのだ。こうなったらなにがなんでも往年のユーミンさんや竹内まりやさんクラスのド直球のラブソングを探しだしてやるのだ。2010年代の高橋真梨子みたいなシンガーがどこかにいるはずなのだ。ハッ! JUJUがいるではないか! 彼女のミズっぽさなら期待できる。コテコテのラブソングを歌っているはず。多少、旧聞になるが今年の2月21日リリースの曲がある。
・JUJU「かわいそうだよね」with HITSUJI(吉田羊)・・・「あの子ってかわいそうだよね、ああはなりたくないよね、でも あたしにしかできないことなど何ひとつなかった からっぽなのは誰でもなく この無様なあたし」エ、どういうこと。ラブのラの字もないのだが。しかしこれはこれで画期的な楽曲のような気がする。どうもかつて「あの子」の陰口を叩いていたらしい「自分」のほうが今思えばみじめであった、という反省する歌である。しかし、「JUJU」「吉田羊」「過去のイジメを反省する主人公」というそれぞれのパーツがバラバラな気がしてどう評価すべきかわからない。しかし、ラブソングはどこに? とムキになってラブソング探しをしていたところポカっと頭を殴られた。こんな曲にであったからだ。4月25日リリース。
・あっとせぶんてぃーん「LOVE SONGは歌わない」・・・「LOVE SONGは歌わないわ、今はストイックに I Tell "Call Me"(カナ?)」アイドルとして走りだしたばかりのわたし。今はまだLOVE SONGを歌ってる時ではない。キミも全力で生きなきゃ意味がない、とのこと。アイドルとは恋愛しないもの、という古風な価値観を10代の子たちが歌うパラドックス。しかし、アイドルからラブソングをオミットしたらあと歌うテーマって何が残ってるのか?
このように、現状ラブソングの旗色は非常に悪い。このほか加藤ミリヤ「WALK TO THE DREAM」などにも期待したのだが、DREAMの話でした。
いったいどういうことか? CDが売れなくなったと言われて早幾年月が経ったが、この件とラブは別件であろう。まさかスポティファイがラブソングをオミットしているのだろうか? いや、それはない。槇原敬之や中島美嘉が引っかかるので。そう考えると現在、明確にラブソングの看板掲げてビジネスされている現役シンガーは西野カナさんぐらいということか? 今、気づいたが上記の女性シンガー楽曲はすべて職業作詞家の手によるものである。(矢野顕子、秋元康、SUMI、平井堅、カジヒデキ)プロの作家ならある程度、マーケットを意識して楽曲制作しているはずである。つまり、プロ作家の認識として「今はあまり直球の恋愛コンテンツは受けない」という前提があるのではないだろうか。
どうして恋愛ソングは受けないのか。そもそも歌謡曲とは恋愛ソングの歴史だったのではないのか? たとえば今、手元にスージー鈴木著「1984年の歌謡曲」(イースト新書)がある。今から34年前のオリコン年間ランキングはこのようなものだった。1位から順に行こう。わらべ「もしも明日が・・・。」、安全地帯「ワインレッドの心」、松田聖子「Rock'n Rouge」、チェッカーズ「涙のリクエスト」、チェッカーズ「哀しくてジェラシー」、中森明菜「十戒(1984)」、芦屋雁之助「娘よ」、チェッカーズ「星屑のステージ」、中森明菜「北ウィング」、中森明菜「サザン・ウィンド」とのこと。「娘よ」以外、ほぼ恋愛、か恋愛にまつわるシチュエーションについての歌である。つまり「娘よ」以外、すべて「最終着地点をセックスに定めている人生観」なのである。つまりのんや、JUJUや欅坂やあっとせぶんてぃーんなどは「最終着地点をセックスとは定めていない」人生観を生きている楽曲たち、ということになる。
セックス恋愛人生観がマックスを迎えたのはおそらくバブル絶頂期の1989年である。そして90年代に入ると小室哲哉とミスチルの時代がやってくる。彼らは恋愛ソングよりも人生観ソングに比重を置いた。すでにこの頃には恋愛の旗色は悪くなっていたのである。この時代に気を吐いたのはドリカムであろう。90年代終盤に差しかかると突然、日本の歌謡曲の恋愛観が刷新される。宇多田ヒカル、椎名林檎、、aikoの登場である。だが、私見ではこのあと、恋愛が刷新されることはなかった。この3者をひとくくりにして語る無謀が許されるなら、刷新後のラブソングについてこのように捉えることができる。
刷新後のラブソングはいずれも結婚をゴールと考えていないフシがある点である。また、恋愛そのものを単純にハッピーなものとは考えていない。むしろ苦労の多い、負担の大きいものだが、オミットできないもの、という諦めの感覚があるということ。とくにaiko楽曲にその傾向は強い。
日本の優れたラブソング研究家、マーケッター、そして実践家として大変な成果を収めてきた人物がいる。槇原敬之氏である。槇原氏のようなラブソングの大家の場合、ラブについてはもちろん、ラブソング市場についても歌にしてしまう。ここ数年のラブソング危機については槇原氏も思うところがあったようで2012年発表のアルバム「Dawn Over the Clover Field」ではツイッターのような常時やり取りが可能なSNSを批判する「Birds Stop Twittering Tonight」や「Boys&Girls!」のような「コンビニの食事やメール、ゲームで満足し、失恋して傷つくこともない人生とはいかがなものか?」と提言する。無論、ラブのマーケットが縮小すればラブソングのマーケットもなくなるわけで音楽家としてこの現状にテコいれしている。
しかし、歌謡曲の歴史を考えたとき、ラブソングはひとつの大きな幹となるジャンルのはずだ。この10年ぐらいでこのジャンルはかつてない曲がり角にきているといえる。この曲がり角を次はもっとマクロの視点から眺めてみたい。