麁相-sosou-
研鑽を積み、高めた技術を用いた美的な成り行き。
人柄や会話から足掛かりを得た末永く使える設計。
ありのままを惜しむ心。
人の生活に寄り添う作品は
長い時間と共に唯一無二の麁相な美しさへ変化します。
お店を構えるこの機会に銘を変更します。
麁相-sosou- 松崎賢也
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「そそう」という言葉はネガティブな意味合いが強くありますが、
茶道に関する書物や文献を読んでいると ”わびさび” の源流といえる美意識を持って使われていた言葉だったとわかります。
"麁相"という強い言葉を揺るがない目標として
制作、自分自身に対して真摯に向き合い、成長していけたらと思います。
- 人として
山上宗二記の「上ヲ麁相、下ヲ律義ニ信可在」
上辺は麁相に、心は律義に、という言葉に茶人の精神が表れているように思います。
内面の義理堅く、実直な性格を持って、
あなたらしい振る舞いをしなさいという
上辺ではない本当の意味での人間同士の対話を心掛けよと
私は解釈しています。
- 目指すものづくり
「一井戸、二楽、三唐津」と使われる語は茶人らが愛した茶碗の品評順を表しています。
それら茶碗の梅花皮や縮緬皺には、見込みなどにはない釉の調子、粗々しい露胎に幽玄な味わいを感じます。
研鑽を積み高めた技術を持って作られた美しさの中に、飾らない素地の姿が共存すると本質的な美しさが滲み出したような境地に至るのです。
心、頭の中の豊かさを持って麁相を観ずれば、麁相なものも幽玄で美しく感じられる。
革という素材の、ありのままを惜しむ気持ちで対峙することで、装飾を極限まで排した形を導き出します。
蕉風俳諧の美的理念の中に「しほり」がありますが、句の姿に作者の感情がにじみ出ること言います。
私のデザインらしい、しほりある作品になるよう多く学びながら手を動かし続けます。
麁相という概念は、人、ものに共通して見ることができます。
高い心・技術を持ったモノの成り行きから滲み出る「麁」あらさは余白に感じられ、奥ゆかしく幽玄で視覚を超えた領域の美しさになるのだと思います。そんな人、ものづくりを目指して日々精進いたします。
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・寂れることで善き麁相が滲む、使い込むことで到達する革作品の美しさ
一、又四畳半たて候て、
はやぬる計ニ候、いかにも
そさうニ立候、此方無事、
皆々そくさい候、我等
息災故、四畳半も出来候、
【大意】また、四畳半の茶室を建て、もはや壁をぬるばかりになりました。いかにもそそうに建てました。
元伯宗旦文書 表千家 元伯宗旦自筆の手紙より
茶の湯 心と美 (表千家監修サイト)から
麁相という言葉は”わびさび”の美意識の根底にある言葉のように思います。
山上宗二記の詫びの十ヵ条には”さび”の言葉は登場しませんが、
茶湯者覚悟十体には麁相という言葉が散見されます。
”わびさび”の”寂-さび”の美意識には
古くなり枯れるさまと、閑寂で奥ゆかしい美しさという相反する二元的な意味があります。どちらもその物の中で混在し、互いに引き立てあって一体となった美しい状態です。
麁なるものは単に粗いものではなく本質的な美しさが滲み出た素地のままの姿、そして時間の経過とともに寂れていく姿はそのもの自体を考える余白となって新品のきれいなものにはない幽玄な奥ゆかしさが宿ります。
革作品はお使いになられる方の暮らしの中で味わいが次第に変わっていきます。
革作品が最も美しい状態に到達するのはお使いになられてしばらく経ったあとだと感じます。皺や染み、傷が深まってようやくお使いになられる方の暮らしが刻まれたような深みに至ります。
それらが美しいと感じられるには長い年月を見据えた設計、仕立てをしていく必要があると強く思います。
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参考
「現代語訳 宗旦文書」 編:田中稔
「新訳 茶の本」 著:岡倉天心 訳:大久保 喬樹
「新編 元伯宗旦文書」 監修:千宗左 編:千宗員
「日本茶道の原点「そそう」-珠光・紹鷗・利休の茶-」 著:朴 珉廷
「山上宗二記」 著:竹内順一
「「麁相の美」をめぐって」 藤江正通
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