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龍が如くを5までプレイして、あまりのはちゃめちゃストーリーにどう解釈したらいいのか考えてみた!【ネタバレあり】

龍が如くといえば、唯一無二の世界観で大人気の作品であり、ファンも多いことでしょう。
4までプレイしてきてマンネリ化した物語やバトルに飽き飽きしてきたのは確かにありました。
しかし!しかしだ!5をプレイし始めてあまりのはちゃめちゃなストーリー進行に嫌気がさしてきてしまったのです。
ただ拒絶して、反応してプレイをやめてしまうことはもちろん簡単です。だけどこれを自分なりにどう解釈して受け入れたらいいのか考えてみました。

『龍が如く5』の「脱線したように感じるストーリー展開」を無理やり楽しむための解釈として、いくつかの視点を考えてみました。


1. 『龍が如く』シリーズ特有の“人生ドラマ”として捉える

『龍が如く』シリーズは、単なる裏社会の抗争劇ではなく、登場人物たちがその過程で経験する様々な人生模様も重要なテーマになっています。

冴島の狩猟パートも、単なる寄り道ではなく、彼の生き方や考え方を深めるための試練と捉えると、少し見方が変わるかもしれません。

冴島は「極道として生きるべきか」「別の道を選ぶべきか」という葛藤を常に抱えているキャラクターです。
彼が狩猟生活を通じて、自然の厳しさや生きることの意味を改めて考えさせられるのは、ある意味で「戦うだけではなく、違う形で強くなるための過程」とも解釈できます。

つまり、「今すぐ真島の謎を追うのが本筋のはずなのに、なぜ狩猟?」という違和感も、彼自身が極道とは違う生き方を模索するための時間」と考えれば、冴島というキャラの人間味を感じられるかもしれません。


2. 『龍が如く5』のテーマ「夢を追う物語」として受け入れる

『龍が如く5』はシリーズの中でも異色の作品で、メインテーマが「それぞれの夢を追うこと」になっています。

冴島の場合、「極道の道に戻るのか、それとも別の人生を選ぶのか」という分岐点に立っているキャラです。狩猟生活は、一見関係ないように見えて、彼が「極道とは違う生き方」を一瞬でも経験することで、自分の進む道を見つめ直す機会になっています。

つまり、「脱線している」というよりも、「冴島自身が極道という生き方以外を試すことで、彼の成長を描くためのプロセス」と考えると、物語の意図が見えてくるかもしれません。


3. 『龍が如く』シリーズの「シリアスとギャグのバランス」として楽しむ

『龍が如く』シリーズは、シリアスな本筋と、ありえないようなサブ要素が同居しているのが魅力でもあります。

例えば、桐生がアイドルのプロデューサーになったり、真島が突然ダンスバトルを始めたり、まるで関係なさそうなイベントが頻繁に起こります。これを「本筋の重さを緩和する遊び要素」として楽しむのも一つの方法です。

冴島の狩猟パートも、
「逃亡者のはずなのに狩りをしているなんて、なんて無茶苦茶な展開なんだ!」
と、シリーズ特有の“振り切れた”要素として受け入れると、逆に面白くなるかもしれません。


4. 「冴島だからこそ」成り立つ話として納得する

もしこれが桐生や他のキャラだったら、さすがに違和感が強すぎるかもしれません。
しかし、冴島はシリーズ屈指の豪快なキャラクターで、「野生の感覚が研ぎ澄まされている男」という設定があるため、彼が山で狩猟生活をするのは、ある意味では彼らしいとも言えます。

極道として都会で戦うことだけが「強さ」ではなく、
「山の中で生き抜くこともまた、冴島にとっての強さの一つ」
と考えると、この流れも不自然ではなくなります。


結論:「脱線」ではなく「試練」として捉えると楽しめる

結局のところ、冴島の狩猟パートを「寄り道」と考えると納得しづらいですが、
「彼が己の生き方を模索するための試練」と考えると、受け入れやすくなるかもしれません。

『龍が如く5』はシリーズの中でも「夢」や「人生の分岐点」に焦点を当てた作品なので、そういう視点で見ると、意外と納得できる部分が出てくるかもしれませんね。

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