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物書きやってると、5行どころか1行すら理解できない人を頻繁に見かける

ネットで「日本人の多くは5行以上の文章が読めない」みたいなのがバズってたそうです。
元ネタが何かは知らないのでどういう文脈かは分かりません。
ただ、個人的に思うことは、5行どころか1行すら理解できない人もけっこういます。
物書きをやっていると頻繁にそういう人に出くわします。

例えばブログ(note含む)。
僕のブログはこれまで何度かバズったり炎上したりしてきましたが、その都度思うことは、人は自分の理解したいようにしか文章を読まないということ。
じゃあなんで1行が理解できないと言えるのか?
さすがに数行ぐらいは理解して読んでるのでは??
と思うかもしれませんが、間違いなく1行が読めてない人がいます。
なぜなら、僕はほぼ必ずタイトルに内容と答えを書くからです。
例えば、

ギターの演奏で最も大事な要素とは?

ではなく、

ギターの演奏で最も大事な要素はピッキングの脱力である

このように、タイトルのさえ読めば、内容、主旨、答えが理解できるという作りになっています。
本文はその答え合わせですね。
もちろん本文を最後まで読むとタイトルで提示した答えに到達するように書いています。

そして、このタイトルが読めていない人がとても多い。
よくあるのは、タイトルに答えが書いてあるのに「何が言いたいのか分からない」という文句。
あと、タイトルの答えと違うことを僕が言っていると思っている人。
タイトルから別の概念を抽出して僕がそう言っていると思い込む人もいます。
こういう人を定期的に見ているので、1行すら読めない人って本当にいるんだなあ…とその都度変に感心しています。

また、そういう人ほどネットでの声はでかいし、語調も荒く攻撃的なので目立ってしまい、それに対する反感から誰かが意見し、そこから議論になってまた目立つという現象がしばしば起こります。
たぶんこれが一定以上膨らんだのが「炎上」なのでしょう。

ちなみに僕は内容を理解していないコメントには一切対応しないというスタンスを保っています。
最近もnoteの何かの記事によく分からないコメントが来ましたが、半分くらい読んで削除し、アカウントをブロックしました。
反論しても、そもそも文章が読めない、理解できない人なので、反論文も読めないのは明白です。
また既に強い言葉で拳を振り上げているので、自分が読み違えていたと分かったとしても謝罪したり非を認めるということはまずないでしょう。
だからどこまでいっても曲解して論点をずらして議論(?)を繰り返し、結局疲れた方が離脱し、残った方が謎の勝利宣言をして終わりという不毛なものにしかなりません。
文章が読めない人と文章でやりとりするほど無意味なことはありません。
まあ、物書きとして理解してほしい、理解してもらうための努力はしたいという欲求はありますが、同時にずっと文章を書いてきたからこそ、絶対に理解しあえない人が一定数いるということも知っています。

最後に、ではなんで答えを含んだ1行の文章が読めないのか……?
その人は本当に文盲とか、何か障害があるのでしょうか?
たぶんそういう人はまれで、ただ本を読んでないからでしょう。
学歴も関係ないと思います(僕も一般学歴だと高校中退だし)。
ただただ本を読まない、文章を読む訓練をしていない、それだけだと思います。

昔はよく本を読め本を読めと言われ、なんでだろう?と不思議に思いつつも言われなくても好きだから読んでいたのですが、今は「本を読まないとネットでこんなコメントする大人になるよ!」という事例が示せるので、そういう意味ではいい時代なのかなと思います。

八幡謙介ギター教室in横浜